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18世紀初頭のドイツに生まれ、オーストリアやフランスで絶大な指示を集めた作曲家クリストフ・グルック。グルックはそれまでのイタリア・オペラの伝統とハーモニー豊かなフランス・オペラを融合させ、18世紀のオペラのあり方に大きな変革をもたらしました。なかでも『オルフェオ・エウリディーチェ』はグルックをもっとも代表するオペラであり、現在でも多くのクラシックファンから愛される名作です。
そんな「オペラ界の革命児」、クリストフ・グルックとはどのような人物なのでしょうか。
今回はエピソードを交えつつ、その生涯を解説します。
クリストフ・グルックの生涯について
クリストフ・グルックは早熟の天才にして、オペラの革命児でした。その名声は広くヨーロッパに広がり、その後の作曲家に多大な影響を及ぼしています。
音楽の申し子
クリストフ・グルック(以下グルック)は1714年、現在のドイツ・バイエルンに9人兄弟の長男として生まれました。父が林業を営んでいたため、幼少期のグルックはボヘミヤやライヒシュタット、アイゼンベルクなど、ドイツ国内を転々とする生活を送ったそうです。
幼少期のグルックがどのような音楽体験をしていたのか、詳しいことはわかりませんが、グルック本人によれば「(楽器は)驚くほど早く上達し、いくつかの楽器を演奏した」そうです。
また、青年時代から放浪癖のあったグルックは、両親の目を盗み一人ウィーンに向かい、歌うことで生計をたてていといいます。
ヨーロッパ各地を渡り歩く
そして1737年、イタリアのミラノに渡ったグルックは、ようやく本格的に音楽を学び始め、バティスタ・サンマルティーニに師事しその才能を開花させていきます。1741年から1745年にかけて、毎年のように2〜3作のイタリア・オペラを発表したグルック。
その後はヨーロッパ各地を訪れるようになり、友人ロブコヴィッツと共にロンドン、ドイツ、コペンハーゲンで成功を収め、やがてウィーンに定住することとなります。
ウィーンでは作曲家のほか、カペルマスター(楽長)にも就任しており、1756年にはローマ教皇ベネディクト14世からシュバリエの称号が授与されました。
イタリア、ウィーンで不動の名声を獲得したグルックは1770年、活動拠点をパリに移し、新しいオペラの作成にとりかかります。このときグルックのパトロンは、なんとあのマリー・アントワネット。グルックは彼女の寵愛のもと、パリ・オペラ座とさらに6つのオペラ座と契約をかわし、フランス・オペラ界においても絶大な支持を得たのでした。
作曲活動は終わらず
フランスでも成功を収めたグルックですが、このときすでに60歳。徐々に身体に衰えが見え始めます。そして1779年、最初の脳卒中を起こしたグルックはやがて表舞台から姿を消し、隠遁生活を送ることに。これまで作曲したオペラは、なお各地で上演され続けていたものの、1787年11月15日、グルックはまたも脳卒中により昏倒し、その数時間後にこの世を去りました。
享年73歳でした。グルックの死を悼んだ旧友アントニオ・サリエリは、死の翌年、グルック作『死の淵より』を自ら演奏し、グルックの死を弔いました。
クリストフ・グルックのエピソード
グルックにまつわるエピソードを2つみてみましょう。サリエリが一定の名声を獲得したのは、もしかするとグルックによるものが大きいのかもしれません。
アントニオ・サリエリとの関係
イタリア、オーストリア、フランスで爆発的な人気を得たグルック。そんな彼は、高齢になっても「オペラ界の重鎮」として精力的にオペラ作成に取り組んでいました。1777年には『アルミード』、1779年には『オーリッドとイフィジェニー』などで成功を収め、ますますその名声は高まるばかりでした。
しかし、日頃の無理が災いしたのか、オペラ『エコーとナルシス』のリハーサル中に脳卒中を起こし、ウィーンへ戻ることを余儀なくされてしまいます。グルック不在によりオペラ上演は中止かと思われましたが、そんなときに白羽の矢がたったのがアントニオ・サリエリでした。
グルックはサリエリをパリに紹介し、以降、サリエリはパリで大きな成功を収めるに至ります。もしグルックがいなければ、現在知られているサリエリの多くの業績は生まれていなかったかもしれません。
各地にその名が刻まれている
国際的に認められた最初のスター作曲家として知られるグルック。グルックは音楽史において「18世紀のワーグナー」と称されるほど、オペラに革新をもたらしました。
そんな彼は現在でもその業績が讃えられており、各国に彼の名前にちなんだ場所や学校、ストリートなどが存在しています。
南極大陸にある標高335メートルの岩峰(がんほう)グルック・ピークは、グルックにちなんで命名されました。このことから、グルックの功績がいかに大きいものであるかが、うかがい知れますね。
まとめ
クリストフ・グルックについて紹介しました。ヨーロッパ各地を渡り歩いたグルックは、各地の音楽的要素を柔軟に吸収し、当時としてはまったく斬新なオペラを世に送りだしました。
日本ではそれほど知られていないかもしれませんが、モーツァルトやワーグナーと並び称されるほどオペラ界において重要人物であり、またフランス・オペラの基礎を築いたのもグルックだと言われています。
「オペラを聴くのはすこしハードルが高いな」と思われる方もいるかもしれません。
そんな方は、まずは短い「アリア」を聴いていただき、グルックの作品に触れてみてください。
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