[amazon]ボッケリーニ:チェロ・ソナタ集
18世紀中期から19世紀初頭にかけて活躍したイタリアの作曲家ルイジ・ボッケリーニ。そんな彼は、チェリスト・作曲家として膨大な数の室内楽を作曲しており、なかでも『ボッケリーニのメヌエット』は誰でも1度は聴いたことのある名曲です。
その一方で、彼がどんな人生を歩んだかについては、よくご存じない方も多いのではないでしょうか。そこで本記事では、ボッケリーニにまつわるエピソードを交えつつ、その生涯を解説します。
ルイジ・ボッケリーニの生涯
幼少期から非凡な才能を発揮し、チェリスト・作曲家としてヨーロッパ各国で活躍したルイジ・ボッケリーニはどのような生涯を送ったのでしょうか。
音楽家一家に生まれる
ルイジ・ボッケリーニ(以下ボッケリーニ)は1743年、イタリアのルッカという街に生まれました。ボッケリーニの家系は音楽一家で、父はチェリスト兼コントラバス奏者、兄弟たちも芸術家として活躍しており、幼い頃のボッケリーニは芸術に囲まれながら育っています(ちなみにルッカは作曲家プッチーニの生誕地でもあります)。
そして5歳の頃、父からチェロの手ほどきを受けたボッケリーニは、早くからその才能を開花させ、わずか9歳で地元大聖堂の音楽監督であった、アッべ・ヴァヌッチに師事しました。
息子の類い稀な才能に目をつけた父は、1753年、ボッケリーニが10歳の頃にローマへ留学させ、その後1757年には親子でウィーンの宮廷音楽家として働き始めます。
14歳で宮廷音楽家になったことを考えると、ボッケリーニがどれほど優れた才能を持っていたかが想像できますね。
パリ、そしてスペインへ
ウィーンでキャリアを重ねたボッケリーニは、その後フランスのパリへ渡ります。同地での滞在期間はわずか数ヶ月という短い期間であったものの、ボッケリーニの評判はたちまちパリに広まり、チェロのヴィルトゥオーゾとしてその名が一気に広まります。また、音楽出版社との関係を築いたのもこの頃だと考えられており、パリでの生活はボッケリーニが本格的に音楽家としての道を歩むきっかけとなった時期でもありました。
そして1768年、パリを後にしたボッケリーニはスペインのマドリードに渡り、2年後の1770年からはスペイン国王カルロス3世の弟にあたるルイス・アントニオ皇子(のちの国王カルロス4世)の庇護のもと、宮廷音楽家として活躍し始めます。スペインにおけるボッケリーニは、室内楽とチェロのヴィルトゥオーゾとして認められ、数々の室内楽を世に送り出しました。ボッケリーニの作品でもっとも有名な『ボッケリーニのメヌエット』が作曲されたのも、スペイン時代のことです。
その後、宮廷音楽家としての役目を終えたボッケリーニは、グレドス山脈にある小さな町、アレナス・デ・サン・ペソロに移り住み、生涯を同地にて過ごしています。
静かな晩年
スペインでのパトロンを失い、一時財政難に陥ったボッケリーニ。しかし、1800年からナポレオンの弟ルシアン・ボナパルトが新たなパトロンとなり、彼の庇護のもと作曲家・チェリストとして静かな余生を送ったと伝えられています。とくにボッケリーニの晩年は、最愛の家族との別れが続いたため、肉体的にはもちろん、精神的な痛手も大きかったのかもしれません。
そして、ルシアンの庇護から5年後の1805年、マドリードにて腹部結核のためボッケリーニもこの世を去りました。享年62歳でした。
ボッケリーニにまつわるエピソード
多くのパトロンから支持されたボッケリーニですが、ときには命の危機に直面したこともあったそうです。
パトロンを激怒させ、窓から投げられそうになる
宮廷音楽家としてカルロス4世に仕えていたボッケリーニ。カルロス4世はヴァイオリンを演奏するアマチュア音楽家であり、ボッケリーニの作品を自分で演奏するほどの腕前だったそうです。
そしてある日の演奏会のこと。ボッケリーニを宮廷に招き、カルロス4世も第1ヴァイオリン奏者として演奏会に参加する旨をボッケリーニに伝えます。しかし、しばらく演奏が進むと次第にカルロス4世の顔がくもり、ボッケリーニに「この作品はひどい、初心者でもこんな楽譜は書くまい」と作品に難癖をつけたのでした。これに対しボッケリーニは、作品の趣旨を伝えた上で「殿下、殿下こそ音楽へのご理解をお深めください」と反論します。
これに激怒したカルロス4世は、ボッケリーニの足を掴み、窓から落とそうとしたと伝えられています。その後2度とボッケリーニが宮廷に招かれることはなかったそうですが、彼の音楽に対する信念がうかがえるエピソードです。
家族の不幸が続き、質素な生活を送る
宮廷音楽家として順調な人生を歩んだボッケリーニ。家族にも恵まれ、家庭や仕事においても充実した人生を送るはずでした。しかしそんな彼の晩年を多くの悲劇が襲います。
1796年に長女マリア、1802年にさらに2人の娘が亡くなり、1804年には2番目の妻ホアキーナに先立たれてしまいます。短い間に最愛の娘たちと妻を失ったボッケリーニは、大きな悲しみに暮れ、晩年は静かで質素な生活を好んだそうです。
まとめ
今回はルイジ・ボッケリーニの生涯について解説しました。チェリスト・作曲家として大きな成功を収めたボッケリーニですが、その人生は平坦なものではなかったようです。彼の死後、その膨大な作品群は忘れさられてしまいましたが、近年その完成度の高さが見直され、新たな録音も増えています。彼の作品は、穏やかで、耳心地の良いものばかりですので、この記事をきっかけに、ぜひボッケリーニの作品に触れてみてはいかがでしょうか。
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