近年、癒しの音楽として注目を集めている「グレゴリオ聖歌」。読者の方の中にもヒーリング・ミュージックとして愛聴している方もいるかもしれません。グレゴリオ聖歌は中世ヨーロッパで編纂された、キリスト教ローマ・カトリック教会における典礼聖歌です。
その伝統は現在も受け継がれている一方で、クラシック音楽の原点とも言われています。では、グレゴリオ聖歌とはどのようなものなのでしょうか。この記事では、グレゴリオ聖歌の特徴や代表曲について解説します。
中世時代について
グレゴリオ聖歌の解説の前に、中世時代について簡単に解説します。一般に中世時代とは、紀元400年から500年頃の古代ローマ時代末期から、15世紀ルネサンス期前の時代を指します。この時代区分に誕生した音楽を「中世音楽」と言い、さらに年代ごとに6つの時期に分けられています。それぞれの特徴は以下の通りです。
(1)紀元400年から600年
古代ローマ時代末期。キリスト教が広まり、各地で固有の方言的聖歌が誕生する。
(2)600年から900年
キリスト教的ゲルマン文化、ローマ・カトリック教会の精力が増し、聖歌の統一が勧められる。
(3)900年から1150年
神聖ローマ帝国が完成し、本格的な中世時代へ。理論的にも実践的にもグレゴリオ聖歌が完成し、集大成が行われる。また、多声音楽が登場したのもこの時代。
(4)1150年から1300年
フランスやスペインなどの修道院において、その国独自の多声音楽が生まれる。12世紀末から13世紀にかけて、パリ・ノートルダム大聖堂が聖歌の中心となり、記譜法や器楽曲が発達する。
(5)1300年から1400年
中世時代の封建制度が終わりを迎え、音楽に人間的な感情が取り入れられる。また、世俗音楽のミサが登場し、カノンなどの音楽的技法の追求が本格化する。この頃から、宗教性よりも音楽性を重視した作品も試みられ、代表作にマショーの『ノートルダム・ミサ曲』がある。
(6)1400年から1450年
イギリス人作曲家ダンスタンブルが3和音を中心とする新しい技法を生み出し、大陸へ伝わる。イギリスの技法と大陸の技法が結びつき、ギヨーム・デュファイといったブルゴーニュ楽派が生まれ、ルネサンス期へ。
グレゴリオ聖歌とは
「グレゴリオ聖歌」とはキリスト教ローマ・カトリック教会で用いられる無伴奏・単旋律による典礼聖歌です。おもにラテン語で歌われますが、一部にギリシャ語やヘブライ語も用いられます
。中世ヨーロッパ各地で盛んになり、それらをグレゴリウス1世が編纂したことから「グレゴリオ聖歌」と名付けられました。しかしその編纂の歴史的な根拠はわかっていません。
一説には、精霊の象徴である「鳩」に霊感を受け、グレゴリウスが聖歌を書き取ったという説もありますが、こちらも真偽は不明のままです。それでも、グレゴリウス1世が聖歌学校を育成させたことや、その後の西洋音楽の発展に大きな貢献をしたことは間違いない事実と言えるでしょう。
また、カール大帝が神聖ローマ帝国皇帝に即位したことも、グレゴリオ聖歌がヨーロッパ全土に拡大する重要な要因となりました。
グレゴリオ聖歌の特徴について
「グレゴリオ聖歌」にはどのような特徴があるのでしょうか。ここでは主な特徴を2つ紹介します。
口伝で広まった
グレゴリオ聖歌は、記譜法が発達するまでの数百年の間、各地の修道院で口伝により受け継がれてきました。9世紀頃からはネウマと呼ばれる記号を用いた「ネウマ譜」が登場し、13世紀頃には「楽譜」として定着します。
また、10世紀後半にはイタリア人修道士グイード・ダレッツォによって「グイードの手」と呼ばれる伝達法も開発されています。これは「手の関節に音名を記して、音の部分を指しながら音名を教える」伝達法で、聖歌を伝える手法として広く取り入れられました。
ネウマ譜の登場
上述した「ネウマ譜」についてもう少し解説します。「ネウマ」とはギリシャ語で「合図」や「身振り」を意味し、グレゴリオ聖歌の記譜法として重要な役割を果たしました。
記号としてのネウマは、大きく分けて旋律の動きのみを示す「通常ネウマ」と、スタッカートやトレモロといった特殊な演奏方法を示す「特殊ネウマ」の2種類があります。これらは、正確な音高を示す点において優れていますが、音の長さについては示されていないため、その音楽的解釈については現在もなお研究が続けられています。
また、現在の譜面とは異なり、譜線が4本であるのもネウマ譜の大きな特徴です。やがて時代とともに音楽が複雑化すると、4本では不十分となり現在の5線へと進化します。
グレゴリオ聖歌の代表曲は?
グレゴリオ聖歌の代表曲を3曲紹介します。モーツァルトやヴェルディのレクイエムにも出てきますので、ご存知の方も多いかもしれません。彼らのレクイエムもグレゴリオ聖歌が源流です。
キリエ
キリスト教の礼拝において「キリエ」は重要な祈りの一つです。ローマ・カトリック教会のミサやルター派の典礼でも用いられ、ラテン語で「主よ」を意味します。日本のカトリック教会においては「憐れみの賛歌」とも呼ばれています。
キリエの伝統として「主よ、憐れみたまえ。キリスト、憐れみたまえ。主よ、憐れみたまえ」の聖句が3度唱えられます。
アヴェ・マリア
グレゴリオ聖歌をご存知ない方も、「アヴェ・マリア」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。フランツ・シューベルトやシャルル・グノーなどの「アヴェ・マリア」が有名ですね。これらの作品も、グレゴリオ聖歌に由来します。
ラテン語で「こんにちは、マリア」や「おめでとう、マリア」を意味し、聖母マリアを讃える聖歌として親しまれています。
怒りの日
「怒りの日」とは、キリスト教における終末思想「最後の審判」が行われる日のことです。これにより人間は、天国へ行く者と地獄に落ちる者に分けられます。『
新約聖書』の最後に書かれた聖典『ヨハネの黙示録』に詳細が描かれており、その衝撃的な内容により「死を象徴するイメージ」として定着しました。
また、「怒りの日」が持つ重厚な旋律は、多くの作曲家により転用されています。
グレゴリオ聖歌が用いられたクラシック作品
グレゴリオ聖歌の伝統は、その後のヨーロッパ音楽にも脈々と受け継がれています。とくに「怒りの日」の旋律は、私たちがよく知る作曲家たちの作品の中にもしばしば見られます。多くの作曲家がそのモチーフを転用していますので、ここではその代表例を3曲紹介します。
ベルリオーズ『幻想交響曲』
ロマン派を代表する作曲家ベルリオーズが1830年に作曲した作品です。本作は彼の代表作であるだけでなく、「標題音楽」という新しいジャンルを切り開いた歴史的作品でもあります。全5楽章で成り立っており、各楽章に標題(タイトル)が付けられています。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」において「怒りの日」が転用されています。
リスト『死の舞踏』
「ピアノの魔術師」フランツ・リストが1849年に作曲したピアノ曲、管弦楽曲です。一般に『死の舞踏』のタイトルで知られていますが、『死の舞踏『怒りの日』によるパラフレーズ』が原題です。文字通りグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が主題として用いられています。
ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』
1934年に作曲されたラフマニノフを代表する狂詩曲です。主題と全24曲からなる変奏曲で構成されています。タイトルの通りパガニーニの「24のカプリース」の1曲が主題となっていますが、第7・9・10・24変奏で「怒りの日」のモチーフが転用されています。
まとめ
グレゴリオ聖歌について解説しました。口伝によって始まった教会音楽が、現代のクラシック音楽まで続いていると思うと感慨深いものがありますね。これまでグレゴリオ聖歌を聴いたことがない方も、この記事を機会にぜひ美しいメロディーに触れてみてください。きっと、崇高で暖かい気持ちに包まれると思いますよ。