フランツ・シューベルトってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]シューベルト:交響曲全集

シューベルトと言えば、現在では広く知られている作曲家の1人ですが、当時はとても有名な音楽家というわけではありませんでした。また、そのころ世に出ていた作品は歌曲が主だったことから、現在でも「歌曲の王」として知られています。しかし実際には、他のジャンルの作品も幅広く残し、一般にもよく知られている有名作品も数多く作曲されていました。

シューベルトの生涯

1797年に誕生し31歳でこの世を去ったシューベルトは、その短い生涯の内に数多くの作品を残しました。そしてその作品の特徴や形式から、ロマン派に属すのか、それとも古典派と言えるのかという議論がされています。

幼少期

ウィーンの郊外に誕生したシューベルトは、幼いころから音楽の才能を開花させていました。6歳のころ、アマチュア音楽家だった父親から最初の音楽の手ほどきを受け、7歳ではすでにその才能を感じさせるようになっていたようです。そこで父親は、シューベルトを教会の聖歌隊に入れることにしました。

そこでは周りもシューベルトの才能を感じ、シューベルトが自由に楽器の練習ができるような環境にしてくれていたとされていて、貧しかった幼少期にピアノの練習ができたのはこのおかげだったそうです。

学生時代

1808年に奨学金を得て入学した学校では、宮廷礼拝堂聖歌隊を育てるということも行っていました。

この学校にいる間にもすでに作曲を始めていたシューベルトは、主に室内楽や合唱曲などを作曲していました。また、最初の交響曲として残されている作品も、この学校にいる間に作曲されています。

学校での友人たちは、在学中だけでなく、その後のシューベルトの人生にとっても大切な存在となっていきました。

教師時代

1813年に声変わりを迎えたシューベルトは、父親の学校で教師として働き始めました。教師としての仕事はシューベルトを満足させるものではありませんでしたが、この短い期間にもたくさんの作品が作曲されています。

作曲家としての活動

学生時代の友人の家を訪れたシューベルトは、その友人から、教師を辞めないかという話をされました。この時の友人の援助は大きく、シューベルトは作曲活動に専念するきっかけを得たようです。

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貧しい音楽家生活とシューベルティアーデ

自身の演奏で稼ぐことができなかったシューベルトは、実は貧しい音楽家だったようです。しかし、そんなシューベルトを支援する人たちの援助により、衣食住や身の回りのことなどには困りませんでした。

またシューベルトが行っていた音楽会には、親しい友人たちや、このころに増えていた音楽関連の友人たちが参加していたようです。そしてその会のことを一般的に、「シューベルティアーデ」と呼んでいます。

作品の出版がされるようになったころ

1818年になると、シューベルトの作品が初めて公演されることになりました。また翌年には歌曲の公演が初めて行われ、ついに1821年、作品出版の機会を得ることになります。

しかし、その後は大きな発展に繋がることはなく、数年に及ぶ苦しい時期に入ることになってしまいました。

1822年にはウェーバーやベートーヴェンと出会っていたようですが、親しい関係にはならなかったとされています。しかしシューベルトはベートーヴェンを尊敬していたため、自身の作品を献呈したこともあったようです。

晩年のシューベルト

1825年になると、作品の出版が進むようになり、大きな収入を得ることもできました。しかし1827年に尊敬するベートーヴェンが亡くなると、その翌年、シューベルトは31歳という若さで亡くなってしまいます。

シューベルトの作品や性格

シューベルトは、当時広く知られているような作曲家ではなかったため、出版社もたくさんの作品を出版するようなことはなく、歌曲以外の作品は世に出ず埋もれてしまっていたようです。

作品が広く知られるようになるきっかけ

シューベルトが亡くなってから約10年後、シューベルトの兄の所を訪れたシューマンが、見つけた「大ハ長調の交響曲」を持ち帰ると、メンデルスゾーンの指揮によって演奏が行われました。そしてそれが大絶賛され、更に数十年後にはジョージ・グローヴという音楽評論家や、アーサー・サリヴァンという作曲家によって、他の作品も世に出ることとなっていったのです。

現在ではシューベルトの名前が入った国際音楽コンクールも行われるほど、世界的に有名な音楽家となりましたが、作品の出版の多くが亡くなってから行われたために、不明な点も多いようです。

特に、アクセントなのかデクレッシェンドなのかの判断が難しい記号に関しては、演奏する人によって解釈が変わってくるということでも知られています。

シューベルトの性格

シューベルトは貧しい音楽家ではありましたが、実際には周りの人や友人に支えられながら生活を送っていました。シューベルトが受けていた支援を考えると、恐らく周りに好かれやすい人物だったのではないかということが考えられます。しかし、最晩年に向けて沈んでいく様子も友人たちとのエピソードとして残されているようです。

また時々鬱っぽくなることもあったようですが、友人たちからの作曲のお願いがあった際などには、気分が高まり作曲に集中していたとされています。

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