フランツ・リストってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]愛の夢~リスト:ピアノ名曲集

ハンガリーの音楽家として認識されることの多いフランツ・リストですが、実はハンガリー語を話すことができなかったという話をご存じでしょうか?タイトルにハンガリーと名の付く曲をたくさん作曲していることでも知られていますが、実際にはドイツにいた期間が最も長いようです。また、交響詩という新しいジャンルに名前を付けた人物、超絶技巧、ピアノの魔術師など、様々な呼び名やイメージが付いています。そんなフランツ・リストの生涯や性格について、掘り下げながら紹介をしていきます。

フランツ・リストの生涯

ピアニストとして、また作曲家として活躍したリストですが、当時からその交友関係や恋愛に関しても注目を集めました。

ピアニストとしての活躍

1811年に生まれたリストは、10歳になる頃にはすでに演奏会を開いていました。1822年にウィーンへ移住すると、ピアノ経験者には馴染みのあるカール・ツェルニーに、ウィーン音楽院で出会っています。そして翌年1823年にはパリへ行き、今度はパリ音楽院への入学を希望しますが、外国人だったことを理由に入学を拒否されてしまったそうです。しかしこの年、ウィーンでコンサートを開いた際にはベートーヴェンから賞賛されたという話が残っています。

またリストは超絶技巧で有名ですが、その超絶技巧を目指すきっかけとなったのが、当時ヴァイオリンの名手として知られていたニコロ・パガニーニでした。リストの曲で特に有名な「パガニーニによる大練習曲第3番ラ・カンパネラ」は、このパガニーニのヴァイオリン協奏曲を主題として編曲されたものです。しかし、一般的には編曲ではなくリストのオリジナル曲とされています。

作曲家としての活躍

リストの曲には無くなってしまったものや途中のものも多く、実際にどのくらいの曲数があったのかは数えられなくなっています。また交響詩にその名前を付けたリストは、13曲の交響詩を作曲していて、なかでも「レ・プレリュード」が有名です。

恋愛

当時アイドルのような存在だったとされるリストは、様々な女性との恋愛の話が残っています。その中でも、マリー・ダグー、カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン、この2人との恋愛は有名です。マリー・ダグーという女性は、後にリヒャルト・ワーグナーの後妻となるコジマの母親にあたります。コジマの他にも2人の子供をリストとの間に儲けますが、しばらくの同棲生活を送り別れることになりました。またカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタインとは、恋愛、同棲の後正式に結婚をしようとしますが、様々な事情から認められることができなかったとされています。

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交友関係

リストの同年代には有名な音楽家がたくさんいました。その中でも交流があったとされているのが、エクトル・ベルリオーズフレデリック・ショパンロベルト・シューマンフェリックス・メンデルスゾーンです。特に、ショパンと関連のある話は多く残っています。

フランツ・リストの特徴や性格

リストの演奏に関する特徴は、当時交流のあったショパンと比較して語られることが多くあります。

リストとショパン

リストはパガニーニの演奏に影響を受けたことから、超絶技巧で知られる音楽家になりました。またどのような曲も初見で弾きこなすとされ、その初見演奏に関しては、メンデルスゾーンの手紙にも当時の様子が残っています。しかし、ショパンの「12の練習曲作品10」だけはそれができなかったため、しばらくの間姿を見せずに練習をして、全曲を弾きこなせるようになってから現れたそうです。このことから、リストには負けず嫌いな一面もあったようだと考えられています。また当時はショパンも驚き、リストの技術を評価することで、リストとショパンはお互いを認め合っていました。しかしリストの演奏がテクニックに重きを置きすぎるようになると、表現を大切にするショパンは少しずつそれを否定していくようになります。

指導

演奏以外ではお金を稼がないとしていたリストは、演奏の指導を無償で行っていました。そしてその指導方針は、自身のような演奏をさせるのではなく、個人の個性を追求させたそうです。指導に関することでもエピソードはいくつかありますが、リストが人格者だったという内容のものが多く残っています。

フランツ・リストの有名なエピソード

ピアノの魔術師と言われたリストですが、その演奏にまつわる話は数多く残されています。

指が6本あったのでは!?

リストはその超絶技巧を理由に、指が6本あるのではないかと噂されていました。実際には技術が高すぎただけだったのですが、その噂はかなり信じられていたようです。

演奏中にピアノが壊れる

リストの演奏は乱暴というわけではありませんでしたが、その力強い演奏に耐えられなかったピアノの中には、弦が切れてしまったりハンマーが壊れてしまったりということがありました。そのためピアノの予備を用意して演奏をすることもあったとされています。そんなリストの演奏に耐えたことで有名になったのがベーゼンドルファーです。またこの時代、ピアノの改良が各地で競うように行われたため、音量や音域などを含めた質の向上が見られています。

大きすぎる手

リストの超絶技巧やその破壊力は、驚くほどの手のサイズが大きく関係していると言われていて、広げると12度~13度をおさえることができました。12度というと、ドから数えて1つ上のドを通り越したソのことです。通常は9度が届けばだいたいの曲が弾けると言われていますが、リストの曲に関しては本人の手が大きすぎたせいか、10度を必要とする曲も作曲されています。

演奏中に観客も本人も気絶

観客がリストの演奏を聴いて気絶したという話は有名ですが、実はリスト本人も演奏中に気絶したことがあったと言われています。

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