坂本龍一ってどんな人?出身や生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]UF (映画音楽集)

テクノ音楽ブームを巻き起こしたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成し、日本のポップミュージックに大きな影響を与えた作曲家、坂本龍一。YMO解散後は、映画音楽やミュージシャンへの楽曲提供、役者、バラエティ番組への出演など、多種多様なジャンルで才能を発揮しました。

作曲家でありながら、その知的な雰囲気から「教授」の相性で親しまれた坂本龍一は、音楽のほか、文化、政治、環境問題などに関心を示し、常に時代の第一線で活躍し続けました。
そんな「世界のサカモト」はどのような人生を歩んだのでしょうか。今回は、エピソードを交えながら坂本龍一の生涯を解説します。

坂本龍一の生涯について

マルチな才能を発揮した坂本龍一はどのような生涯を送ったのでしょうか。

文化的な家庭に生まれる

坂本龍一は1952年、東京都の中野区に生まれました。父の一亀(かずき)は三島由紀夫などを担当した編集者、母の敬子は帽子デザイナーをする文化的な家庭に育ちます。そんな坂本龍一がピアノを始めたのは3歳の頃。最初に作曲した作品は「うさぎのうた」だそうです。

音楽に明け暮れる青春時代を送ったかと思いきや、スポーツが得意だった坂本龍一は、中学時代はバスケ部に所属するスポーツマンでもありました。しかし高校時代は「本の虫」だったようで、校内の図書貸し出しランキングでは、常にトップ10に入るほど読書にのめり込んだとのこと。また、音楽ではジャズやロックを夢中になって聴いていたそうです。

YMO、そして「世界のサカモト」へ

1970年、東京芸術大学に入学した坂本龍一は、民族音楽に強い影響を受けのめり込んでいきます。また、同学生時代には作曲家の三善晃から指導を受けたほか、高橋悠治の勉強会に参加するなど、徐々に活動の幅を広げ始めました。

そして1975年、大学院在学中にスタジオ・ミュージシャンとしてデビューした坂本龍一。その後は大瀧詠一や山下達郎といった大物ミュージシャンのキーボードを担当し、1978年に細野晴臣の誘いにより、伝説のユニットYMOを結成するに至りました。YMOは「ライディーン」や「千のナイフ」「ビハインド・ザ・マスク」など、数々の名曲を生み出し、日本のみならず世界でも注目を集め、坂本龍一の名前が一気に広がりを見せ始めます。

YMO解散後の1987年、映画『ラストエンペラー』の音楽を担当した坂本龍一は、グラミー賞の映画・テレビサウンドトラック部門においてゴールデングローブ賞作曲賞を受賞。
日本人として初の快挙となり、映画音楽へ携わることとなりました。この受賞をきっかけに「世界のサカモト」と称されるようになり、以降、さまざまな分野で作品を発表し続けます。

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音楽に生涯を捧げた晩年

そんな坂本龍一をより一層世界に印象付けたのが、1992年に開かれたバルセロナオリンピック開会式のテーマ音楽の担当であることは間違いありません。当初は「ナショナリズムを高揚させる」との理由から、オファーを断っていたようですが、大会プロデューサーの熱心なオファーにより、承諾したそうです。その後も世界ツアーやCM音楽、ユースオーケストラ活動を指導するなど、さまざまな分野で活躍した坂本龍一。

しかし2014年、咽頭癌が見つかったことで闘病生活に入り、活動制限を余儀なくされてしまいます。闘病中も東北復興支援のための『東北ユースオーケストラ』に登場するなど意欲的に音楽活動を行ったものの、2023年3月28日、都内の病院で帰らぬ人となりました。享年71歳。
坂本龍一の訃報はイギリス、アメリカ、フランスなどでも伝えられ、世界中のメディアが哀悼の意を表しました。

坂本龍一の性格を物語るエピソードは?

坂本龍一には多くのエピソードが残されていますが、今回はその中から簡単に3つのエピソードを紹介します。

大の猫好き

坂本龍一は大の猫好きだったことで知られています。それは、生まれた頃から実家に猫がおり、15歳になるまで兄弟のように育ったことが影響しているようです。坂本龍一は一人っ子だったため、一緒に住む猫と感情の共有をしていたのかもしれません。大人になっても自由で表現豊かな作品を作れたのは、飼っていた猫の影響もあるかもしれませんね。

若い頃はヤンチャだった?

クールで知的な印象の坂本龍一。しかしYMO時代の人気絶頂期は、遅刻や仕事をさぼることなどもあったそう。また、若かりし頃はかなり態度が大きかったらしく、何人も運転手が辞めていったのだとか。これについては、後年になってから反省していたそうですが、なんだかイメージとは違った一面がうかがえるエピソードですね。

漫画も大好き

猫と同じくらい大好きなものが、漫画だったそうです。なかでも手塚治虫の作品に心酔し、『火の鳥』『ブッダ』がお気に入りだったそうです。手塚治虫のファンだったことが縁となり、坂本龍一は手塚るみ子(手塚治虫の娘)プロデュースによる「手塚治虫 その愛した音楽」のCD作成に参加し、またアニメ音楽も担当することとなりました。

まとめ

今回は、2023年に惜しまれつつもこの世を去った、日本が世界に誇る作曲家、坂本龍一について紹介しました。時代に流されず、常に一歩先をゆく彼の姿は、ファンのみならず多くの人々に現在も影響を与え続けています。テクノ音楽からポップス、そして映画音楽などで、多くの名曲を残した坂本龍一は、まさにマルチな音楽家だったと言えるでしょう。
これまで彼の作品を聴いたことがない方は、ぜひYMOから聴いてみてください。結成から46年が経過した現在でも、きっと新たな発見があると思いますよ!

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