出典:[amazon]The Best of Berlioz (Remastered)
ベルリオーズと聞いてその代表作品や、どんな人物だったのかが思い浮かぶ方は、あまり多くはないかもしれません。この記事では、実はとてもすごい人だったベルリオーズの生涯や、人物像についての解説をしていきます。
幼少期から30歳ころ
作曲の勉強を始めるまで
1803年のフランス南部、医者をしていた父親の元に誕生したベルリオーズは、基本的な教育をその父親から受けていました。幅広い知識を持っていた父親からは、ラテン語や数学などだけでなく、音楽の基礎までも学ぶことができたようです。
そして、その過程でフラジオレットという楽器を見つけ手に取ると、演奏方法などを教わりました。また作曲に関しては、本を読みながらの独学がスタートだったようです。さらにフルートやギターの演奏も行うようになりますが、最初は音楽の道ではなく、医学を学ぶためにパリの医科大学へ入学します。
しかし、解剖学を苦手としたことから自身の進路を考えるようになったようで、そのころに興味を持って聴きに行くようになっていたオペラや作曲の勉強をするため、20歳でパリ音楽院に入りました。同じ時期の有名な作曲家たちが幼少期から作曲を学んでいたということを考えると、ベルリオーズは本格的に音楽の勉強を始めるのがとても遅かったということになります。
ローマ賞と恋愛
音楽の勉強を本格的に始めた後、ベルリオーズはローマ賞に挑戦していくようになりますが、なかなか結果の出ない期間が続きました。このころ、舞台女優として活動していたハリエット・スミッソンという女性を知ると、彼女にアプローチをしましたが良い結果にはならず、その当時の思いをきっかけに、代表作「幻想交響曲」を作曲しています。
そしてやっとローマ賞を受賞し、ローマへ留学をしたベルリオーズでしたが、なんと、ある突然の知らせをきっかけに激怒し我を忘れることになりました。この知らせというのが、エピソードとして有名な、婚約者マリー・モークの母親からの手紙です。
その母親からの手紙には、彼女が他の男性と結婚するということを知らせる内容が書かれていました。そんな知らせに怒り狂ったベルリオーズは、婚約者とその母親、そして結婚相手を殺して自分も自殺してしまおうと、そのための道具をそろえて留学先からパリへ向かったそうです。しかし途中で思いとどまり、正式な婚約破棄となりました。
このような婚約破棄を経験したベルリオーズでしたが、その後、「幻想交響曲」作曲のきっかけとなったハリエット・スミッソンとの再会を経て、なんと結婚に至ります。
苦しい生活と演奏旅行
重なる不幸
スミッソンとの結婚後しばらくして、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が作曲され初演に至りますが、当時の評判はあまり良いものではありませんでした。さらに、このころには母親が亡くなってしまい、数年後には妻のスミッソンとの別居、そしてロンドンでの指揮者としての契約が途中で破棄されるなど、不幸が続きました。また、当時のベルリオーズは多額の借金によって生活も大変だったようです。その後、パリでの人気は下がっていくことになってしまいます。
ベルリオーズにとっては大変な期間だったとされるその数年間でしたが、パリでの人気が下がってきたころに始めた演奏旅行では、向かった先の各地で歓迎され演奏を成功させています。この演奏旅行は度々行われ、時には大きな収入を得ることもあったようです。
2月革命
1848年になると、パリで2月革命が起こりました。その革命の影響で、パリでは劇場が閉鎖されてしまっていたようです。このころ、ベルリオーズは父親を亡くし、さらに別居中のスミッソンが倒れるなどということが立て続けにありました。
その後、1850年になると新しくパリ・フィルハーモニック協会が作られ、そこの指揮者として活動することになったベルリオーズでしたが、資金難を理由に1年程で協会は解散することになります。
再婚から晩年
1854年、妻のスミッソンが亡くなると、しばらくしてマリー・レシオという女性と再婚をしました。その後、フランス学士院会員としての収入により生活が少し安定します。さらに数年後には、新しい劇場のためのオペラとして「ベアトリスとベネディクト」を作曲、初演が行われました。
また、ベルリオーズが亡くなったのは1869年ですが、それ以前に再婚相手のマリー・レシオと息子に先立たれているようです。
人物像
性格について
ベルリオーズは寂しさに耐えられない性格だったのか、別居中だった妻が亡くなり後妻と再婚した際には、「私は1人で生きていくことができない」という内容の手紙を息子へ書いていたようです。また婚約破棄の際のエピソードからは、激しい一面が感じられます。
さらに、最初の妻となったスミッソンとの出会いの際には、送った手紙の内容が激しすぎて、スミッソンを引かせてしまったとも言われているようです。
このような内容からは、寂しさに弱く、激しい情熱的な一面を持った人物だったのではないかと考えられます。また、我を忘れた際の怖いところも、忘れられない一面です。
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