ロマン派音楽が終わりを告げ、クラシック音楽の潮流は新たな局面を迎えます。なかでもフランスの作曲家クロード・ドビュッシーが確立した「印象主義音楽」は、20世紀におけるクラシック音楽のみならず、ジャズやミニマル・ミュージック、あるいはBGMといったポップス音楽に至るまで絶大な影響を及ぼしたことでも知られています。この記事では、「印象主義音楽」について具体例を交えながら解説します。
印象派について
印象主義音楽の解説の前に、「印象派」について簡単に紹介します。「印象派」とは、19世紀後半にフランス・パリで起きた芸術運動のことを指します。おもに絵画の分野で展開し、モネやルノワールなどの画家たちがその代表者です。
彼らが登場する前の絵画は、画家が見たものを正確に描く「写実主義」の全盛期でした。そのような時代にあって、印象派の画家たちは既存のルールに縛られない、より自由な表現方法を求めます。そして、1874年に開かれた展覧会「第1回印象派展」で発表された、モネの「印象、日の出」によって「印象派」は広がりを見せ始めます。
印象派にとって最大のテーマは「光」です。描写する対象は「光の差し方」により見え方が変化し、その表情は刻一刻と変化します。印象派の画家たちは、光の加減による対象の瞬間的な変化に注目しキャンバスに表現しようと試みました。モネが「睡蓮」をいくつも描いたのも、光による対象の見え方の違いにこだわったためです。
印象主義音楽の特徴
こうした印象派の芸術運動を音楽的に表現したのが、クロード・ドビュッシーです。音楽史においては「印象派」ではなく「印象主義音楽」と表記されています。
ドビュッシーは、同時代に流行したロマン派の主観的表現を斥(しりぞ)け、標題が持つ「気分」や「印象」をいかに表現するかに着目しました。管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」がその代表例です。印象主義音楽は、絵画における印象派と同じく、作品のイメージを客観的に映し出すことに主眼をおいています。
調整や不協和音を使用
標題が持つ「印象」や「雰囲気」を表現するには、伝統的な和声や対位法では限界がありました。そこでドビュッシーをはじめ、印象主義の音楽家たちは、調性を崩した音楽語法や非機能的和声、不協和音を積極的に使うようになります。後期ロマン派全盛期において、この試みは少なからず反発があったものの、これらの手法は、のちの無調音楽や「十二音技法」へと発展します。
印象主義を代表する作曲家
印象主義を代表する作曲家にクロード・ドビュッシーとモーリス・ラヴェルが挙げられます。しかし、厳密な意味での定義は難しく、ドビュッシー自身は「印象主義」と言われることを嫌っていました。したがって、今回はあくまでも「便宜的に」2人の代表作曲家を紹介します。
クロード・ドビュッシー(1862〜1918年)
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既存のロマン派音楽に反旗を翻し、伝統にとらわれない自由な和声を生み出したフランスの作曲家です。19世紀後半から20世紀にかけて絶大な影響力と人気を獲得し、クラシック音楽やジャズに至るまで、あらゆるジャンルに影響を与えました。
絵画における「印象派的」手法を音楽に取り入れ、点描画のような豊かな色彩感や輪郭、繊細さを表現したのがドビュッシーの特徴です。ピアノ曲から管弦楽曲、オペラなどさまざまなジャンルで傑作を残しています。
「水の反映」
ピアノ曲集『映像』に収められた作品です。ドビュッシーのきらびやかな才能が顕著に表現されており、印象主義の代名詞的作品として高い人気を誇っています。ぜひ、ラヴェルの「水の戯れ」と聴き比べてみてください。
モーリス・ラヴェル(1875〜1937年)
出典:[amazon]Best Of Ravel
印象主義を代表する作曲家としてモーリス・ラヴェルが挙げられます。「オーケストレーションの魔術師」や「スイスの時計職人」と称され、多くの名曲を残しました。印象主義の音楽家として知られるラヴェルですが、その作品の根幹は古典的形式によるものであり、伝統に沿った形式を重んじています。
また、タヒチの民族音楽やインドネシアのガムラン、バスク地方民謡といった、各地の民族音楽を取り入れた点において、ドビュッシーとは違った道を歩みました。
>>モーリス・ラヴェルってどんな人?その生涯や性格は?死因は?
「水の戯れ」
ラヴェルがパリ音楽院時代に作曲したピアノ曲です。「音楽の響き」という意味においては、ドビュッシーの作品と比べると、より「線的」な印象を受けます。発表当時、サン=サーンスから「まったくの不協和音」と酷評されましたが、現在ではラヴェルを代表する作品として広く親しまれています。
印象主義に影響を受けた作曲家たちと代表作
印象主義的手法は、20世紀のクラシック音楽界に絶大な影響を与えました。その手法はヨーロッパ各国に広まり、さまざまな作曲家により取り入れられています。以下では、印象主義に影響を受けた代表的作曲家を紹介します。
エリック・サティ(1866〜1925年)
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「音楽界の異端児」や「音楽界の変わり者」と称されたフランスの作曲家です。1890年代以降、モンマルトルのカフェ「黒猫」に集い、画家パブロ・ピカソらと共に新しい芸術を模索しました。サティが打ち出した「家具の音楽」の概念は、20世紀におけるBGMの始まりと言われています。
>>エリック・サティってどんな人?その生涯や性格は?死因は?
「ジムノペディ第1番」
サティをもっとも代表する作品です。ヒーリング・ミュージックの代表曲として、現在も多くのシーンで用いられています。水面に広がる波紋の印象や、物憂げな旋律が特徴です。
オットリーノ・レスピーギ(1879〜1936年)
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イタリア・ボローニャ生まれの作曲家です。ヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動した
のち、作曲家に転身しました。近代イタリア音楽における重要人物です。管弦楽法においてドビュッシーに強い影響を受けています。
「ローマの松」
「ローマの噴水」「ローマの祭り」と並ぶレスピーギの代表作です。3作品合わせて交響詩「ローマ3部作」として知られています。古代ローマに思いを馳せて作曲された本作には、グレゴリオ聖歌や教会旋法が巧みに用いられています。
>>オットリーノ・レスピーギってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
フランシス・プーランク(1899〜1963年)
出典:[amazon]プーランク : 歌曲全集 (Poulenc : Integrales des melodies pour voix et piano)
20世紀のフランスを代表する作曲家の1人です。オネゲル、ミヨーらとともに「フランス6人組」を結成し一世を風靡しました。5歳でピアノを学び、8歳で耳にしたドビュッシーの独特な音色に魅了されたプーランクは、生涯にわたり彼の影響下にあったと述べています。
>>フランシス・プーランクってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
「2台のピアノのための協奏曲」
1932年に作曲されたプーランクを代表するピアノ協奏曲です。ドビュッシーの印象主義的手法が随所に施されています。本作によりプーランクは不動の名声を獲得しました。
バルトーク・ベーラ(1881〜1945年)
出典:[amazon]ベーラ・バルトーク:作品によるヴィオラ編曲集
ハンガリーの作曲家、民族音楽家・研究者です。ハンガリーに伝わる民間伝承や民謡を研究し、独自の世界観を築き上げました。ドビュッシーの影響を公言しており、自身の作品の随所にその要素を取り入れています。
「ルーマニア民俗舞曲」
バルトークが1915年に作曲したピアノ組曲。ハンガリーのトランシルヴァニア地方の民謡を題材とした独特な和声が魅力です。6つの舞曲で構成され、「ルーマニア風ポルカ」や「速い踊り」が特に有名です。
まとめ
印象主義音楽について解説しました。人間の感情を全面に押し出したロマン派とは異なり、現象や心象の雰囲気、色彩的感覚を重視したのが印象主義音楽です。不協和音の多用や調性を崩した彼らの音楽スタイルは、20世紀の無調音楽や12音技法を生み出すきっかけになりました。忙しい毎日から離れて、ときにはキラキラとした彼らの作品を聴くと、良い心のリフレッシュになるかもしれません。