出典:[amazon]Best Of Ravel
モーリス・ラヴェルという作曲家をご存知ですか?ラヴェルの名前は知らなくても「ボレロ」という作品名は聞いたことがある人は多いと思います。ラヴェルは19世紀後半から20世紀初頭に活躍した、印象派を代表するフランスの作曲家です。ピアノ曲から管弦楽、バレエ音楽など多くの名作を残しました。またオーケストレーションの素晴らしさから「オーケストレーションの天才」とも称されました。今回はそんなラヴェルの生涯や人物像をご紹介します。
モーリス・ラヴェルの生涯
ここでは、ラヴェルの生涯を3つの時期に分けてご紹介します。若くして才能を発揮したラヴェルの人生とはどのようなものだったのでしょうか。
誕生〜20世紀まで
モーリス・ラヴェルは、1875年フランスの南西部ニヴェル川にほど近いシブールという街に生まれました。生後間もなくしてパリに移住したラヴェルは、7歳でピアノを学びはじめました。ラヴェルの父親はとても音楽に詳しかったようで、早くからラヴェルの音楽の才能を見抜き、常に後押しをしてくれていたといいます(ラヴェルの生家は、今も残されています)。
パリ音楽院に進学したラヴェルは、フォーレなどから音楽を学び、その才能を開花させました。22歳という若さで音楽界にデビューしたラヴェルは、伝統的な作品よりもエリック・サティなど新しい時代の作品を支持し、その態度はときに反発をくらうこともあったそうです。
20世紀〜第一次世界大戦まで
20世紀に入るとラヴェルの作曲活動はますます活発になります。1900年から1910年までの10年間のうちに「水の戯れ」「スペイン狂詩曲」「ラ・メール・ロワ」「夜のガスパール」など数々の名曲を作曲しました。またこの時期はラヴェルにとって大きな事件があった時期でもあります。
1900年から1905年にかけてローマ賞という作曲賞に応募していたラヴェルは(1904年は見送り)は、応募最終年の1905年になんと予選落ちしてしまいます。すでに世間で認められていたラヴェルの予選落ちというニュースは話題となり、最終的にパリ音楽院院長が辞職に追い込まれるという大事件にまで発展しました。この事件は「ラヴェル事件」として今でも語り継がれています。
第一次大戦後〜亡くなるまで
第一次世界大戦が勃発すると、ラヴェルはトラック輸送兵として参加しました。そのときに罹(かか)った腹膜炎の影響は、ラヴェルが亡くなるまで消えなかったそうです。ラヴェルの作曲意欲は、第一次世界大戦を境にして大きく落ち込みます。その原因の一つは、最愛の母を亡くしたことにありました。大きな悲しみに飲み込まれながらも、その後行ったアメリカツアーは大盛況となり、ラヴェルの名声は世界的なものとなりました。
しかし1920年代後半からラヴェルの精神に少しずつ変化が起こりはじめます。記憶障害や言語障害が出はじめ、その後の交通事故がきっかけでこれらの症状はますます悪化していきました。神経学者による診察や、脳の腫瘍を疑っていた弟の要望で手術も受けましたが、ラヴェルの症状は一向に回復する事なく、1937年に62歳でこの世を去りました。
葬儀には友人であった作曲家のプーランクやストラヴィンスキーなどが参列し、遺体はパリ北西部のルヴァロワ・ペレに埋葬されました。
ラヴェルの性格は?
ラヴェルは、かなりのヘビースモーカーだったそうです。アメリカツアーが決まったときの逸話の一つに、次のような話が残っています。「自分が普段吸っているタバコの銘柄がなければ3ヶ月のツアーに耐えられない」と主張したラヴェル。フランス本土から輸入すると、高額な関税がかかってしまいます。そこでアメリカのタバコメーカーは、ラヴェルが普段吸っているタバコと同じ配分のタバコを作り、事なきを得たそうです。このエピソードから、ラヴェルはとてもこだわりの強い人物だったことが想像できます。
また、アメリカツアーに向かう船上では、乗客のリクエストに応じてピアノ演奏を披露したことから、ラヴェルのサービス精神旺盛な一面がうかがえます。
死因は?
1920年代後半から失語症や記憶障害に悩まされたラヴェル。症状が悪化したラヴェルは、ほんの短い手紙を書くことさえ満足にできなくなり、自分のサインもできなくなってしまうほどでした。
記憶障害が進んだラヴェルに有名なエピソードが残されています。ある日友人が「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞かせたところ、ラヴェルは「美しいメロディだね。誰が作曲した曲なの?」と答えたそうです。
当時の医学知識でできる限りのことはしましたが、ラヴェルの死の直接の原因として考えられるのは、症状を回復させるために行った脳の手術によるものだったのかもしれません。
まとめ
今回は、ラヴェルの生涯をご紹介しました。ラヴェルは「オーケストレーションの天才」「オーケストラの魔術師」「スイスの時計職人」など、さまざまな異名をもっていました。
人生の後半は活発ではなかったようですが、それでも今もなお、ラヴェルの音楽は世界中で多くの聴衆に愛されています。「ボレロ」以外にも多くの美しい名曲がありますので、これを機会にぜひラヴェルを深ぼりしてみてはいかがでしょうか。
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