20世紀初頭に起きた音楽運動のなかに新古典主義音楽があります。この運動の発端となったのは、19世紀に全盛期を迎えたロマン派音楽へのアンチ・テーゼであり、印象主義への批判によるものでした。
新古典主義音楽は、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーによって提唱され、期間こそ短いものの、20世紀のクラシック音楽界に大きな痕跡を残しています。では、一つの時代を築いた新古典主義音楽とは一体どのようなものなのでしょうか。今回は、その特徴や形式について、有名作曲家を交えながら解説します。
新古典主義音楽について
新古典主義音楽は、ロマン派音楽や印象主義、シェーンベルクらの表現主義を否定することに端を発します。そして新古典主義を掲げる作曲家たちが目指した理想とは、古典派やバロック音楽、さらにその前の時代、つまりルネサンス音楽時代で表現された「わかりやすさ」でした。
また、新古典主義の流行期間についてはいくつかの説がありますが、現在では、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の時期である「戦間期」とする説が一般的です。音楽史上では近代音楽の1つに捉えられています。
バロック音楽や古典派への回帰
新古典主義音楽は、主観に重きを置くロマン主義への反発や、ドビュッシーらによる印象主義、あるいはシェーンベルクなどの表現主義への批判として生まれました。
可能な限り作曲者の感情を取り除き、古典派やバロック音楽(ルネサンス音楽も含む)などの、わかりやすく親しみやすい音楽を目指したのが、新古典主義音楽の大きな特徴です。
そしてこの理想を掲げた人物が、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーでした。ストラヴィンスキーはバレエ『プルチネルラ』においてバロック音楽の技法を採用し、ロマン派時代にみられる大規模なオーケストラとは対照的に、小規模オーケストラによるわかりやすいメロディーを生み出します。
また、イタリア・バロックに理想をみたストラヴィンスキーは、バロック時代の合奏協奏曲形式を用いた「管弦楽のための協奏曲」と呼ばれる新しいジャンルを開拓。以降この手法は、パウル・ヒンデミットやバルトーク・ベーラ、エリオット・カーターなど、その他多くの作曲家に引き継がれます。
ヨーロッパ各地で民族音楽と融合する
ストラヴィンスキーによる新古典主義の理念は、20世紀初頭のヨーロッパ各国でも受け入れられ、各国独自の発展を遂げます。
例えば新古典主義を採用した作曲家として、「フランス六人組」、東欧のバルトークやコダーイ、イタリアではレスピーギ、スペインにはファリャやロドリーゴなどの人物が挙げられます。彼らは古典派やバロック音楽を取り入れつつ、自国の民族音楽と融合させ、新たな表現の可能性を追求しました。彼らの作品が明るく朗らかであるのは、ルネサンス音楽やバロック音楽、古典派の影響によるものと言えるでしょう。
新古典主義の衰退
20世紀の新たな音楽運動として開花した新古典主義音楽。しかし第2次世界大戦が終焉を迎えると同時に、その活動は衰えを見せ始めます。その理由は、戦時下にあって、多くの作曲家がこの世を去ったこと、提唱者であるストラヴィンスキーが新たな道を模索したこと、さらには前衛音楽の台頭などが考えられます。
また、1947年から現在まで続く前衛音楽の音楽講習会「ダルムシュタット夏季現代音楽講習会」の開催も、新古典主義音楽が衰退した大きな要因の一つです。
前衛音楽・現代音楽が主流となった時代では、十二音技法以前の音楽は過去のものと見なされ、「古い形式」=「つまらないもの」という解釈が広がり始めます。これにより、新古典主義音楽の立場をとる作曲家は次第に減少し、芸術運動としての活動は終わりを迎えることになりました。
新古典主義の有名作曲家
新古典主義を代表する作曲家を紹介します。ストラヴィンスキーが提唱したその手法は、ヨーロッパ各地の作曲家たちによって独自の進化を遂げました。「古典派音楽と民族音楽の融」という点に注目して聴いてみてください。
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971年)
出典:[amazon]Stravinsky conducts Stravinsky
『火の鳥』や『春の祭典』などの傑作で知られるロシアの作曲家です。新古典主義音楽の提唱者であり、バレエ『プルチネルラ』でその理念を作品に表しました。
本作では、18世紀的な旋律や形式を用いつつ、新しい管弦楽法の手法を取り入れています。ストラヴィンスキーの新古典主義手法は、1951年に発表したオペラ『放蕩者のなりゆき』に終わりをみます。
>>イーゴリー・ストラヴィンスキーってどんな人?その生涯や性格は?
パウル・ヒンデミット(1895〜1963年)
[amazon]Paul Hindemith – Avantgardist
ドイツ出身の作曲家、ヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者です。ヒンデミット初期の作品は、後期ロマン派や表現主義の影響下にありましたが、やがて新古典主義音楽へと移り、バロック時代の対位法を採用しています。また、ベルリン音楽大学で教鞭をとるかたわら、オペラや映画音楽なども手がけ、世界的に知られる作曲家となりました。
後期のヒンデミットは表現主義やロマン派に再び傾倒しましたが、新古典主義音楽においても重要な役割を果たしています。
>>パウル・ヒンデミットってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
ダリウス・ミヨー(1892〜1974年)
出典:[amazon]Milhaud: Une Vie Heureuse
作曲家、指揮者、ピアニストとして世界的に活躍した「フランス六人組」の一人です。
パリ音楽院時代はドビュッシーやムソルグスキーに心酔しましたが、やがてバッハ作品の研究へ移行し、調性を追求するに至ります。
また作曲家としては珍しく、外交官秘書の経歴も持つ異色の人物です。海外生活が豊富なミヨーの作品には、ブラジル民族音楽の影響がみられる作品もあります。
>>ダリウス・ミヨーってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
アルテュール・オネゲル(1892〜1955年)
出典:[amazon]Honegger: le melodies (the songs)
ミヨーと同じく「フランス六人組」のメンバーです。ミヨーと同級生であり、生涯の友人でもありました。交響的断章や5つの交響曲を作曲したほか、『ダヴィデ王』や『火刑台上のジャンヌ・ダルク』といった聖書や歴史上の人物を題材とした作品も多く手がけています。
また50作以上の映画音楽を作曲した映像作曲家でもありました。
>>アルテュール・オネゲルってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
オットリーノ・レスピーギ(1879〜1936年)
[amazon music]Ottorino Respighi : Musica per pianoforte a quattro mani
イタリア出身の作曲家、音楽学者、教育者です。「ローマ3部作」(『ローマの噴水』『ローマの松』『ローマの祭り』)の作者として世界的名声を獲得しました。
レスピーギは、クラウディオ・モンテヴェルディやアントニオ・ヴィヴァルディといった17世紀頃の作曲家の研究に取り組み、古典派以前の様式を自身の作品に応用した探究心溢れる作曲家です。この点において、レスピーギもまた新古典主義の作曲家に数えられています。
>>オットリーノ・レスピーギってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
コダーイ・ゾルターン(1882〜1967年)
出典:[amazon]The Choral Music of Kodaly
ハンガリーの作曲家、民俗音楽研究家、教育者です。同郷のバルトークとともにハンガリーの民謡や民話を収集し、民謡集の出版や民謡を題材とした作品を数多く手がけました。
コダーイの名前は知らなくても、組曲『ハーリ・ヤーノシュ』のメロディーを一度は聴いたことがあるかもしれません。
また、「コダーイシステム」と呼ばれる教育法を提唱した人物としても知られ、現在でも世界中の教育現場で活用されています。
>>コダーイ・ゾルターンってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?
新古典主義音楽のまとめ
今回は新古典主義音楽について解説しました。新古典主義が流行した期間は短いものでしたが、古典派やバロック音楽と民族音楽の結合は、20世紀初頭のクラシック音楽に大きな功績を残すものでした。
新古典主義音楽の作品はユニークでわかりやすい作品が多いため、初めて聴く方にとっても聴きやすいのではないかと思います。これまであまり聴いたことがない方でも、この記事を参考にして、新古典主義の音楽にぜひ手を伸ばしてみてください。