古典派音楽とは?特徴や形式は?有名な作曲家や代表曲は?

大バッハヘンデルなどが活躍したバロック時代が終わりを告げ、新たな音楽様式として誕生した古典派音楽。古典派音楽の出現は、ヨーロッパの時代の変革に合わせるかのように「形式美」という新たなスタイルを西洋音楽にもたらしました。そんな古典派音楽とはどのようなものなのでしょうか。今回は、その特徴や形式について解説します。あわせて代表作も紹介しますので、ぜひ最後までお読みください。

古典派の時代背景

中世・ルネッサンス期を経て、音楽史はバロック、古典派、ロマン派と展開します。なかでも古典派の音楽は、その後の音楽史に重要な影響を与えています。そんな古典派とはどのようなものなのでしょうか。

バロック時代からの転換期

一般に、西洋音楽史における「古典派」とは、大バッハが亡くなった1750年頃からベートーヴェンが亡くなる1820年代までの時代を指します。しかし、大バッハが亡くなってから、急速に時代が古典派へ変化したのではなく、他の時代と同様に、ゆるやかにバロック時代から古典派へと移行します。

またこうした変化は、オーストリアやウィーンといった限定された地域だけではなく、ドメニコ・スカルラッティやその後継者など、イタリアの作曲家たちにも見られました。

資料によりさまざまですが、『標準音楽辞典』によると、1750年から1770年を初期古典派、これ以降を盛期古典派とする区分が一般的なようです(初期古典派、前期古典派、盛期古典派といった区別もあります)。

ヨーロッパの時代背景

では古典派が生まれたいきさつには、どのような時代背景があるのでしょうか。1750年代から1820年代にかけて、ヨーロッパはまさに激動の時代を迎えます。特に1770年以降、フランスでは貴族社会に反発した民衆がフランス革命を起こし、イギリスでは産業革命の時代に突入します。そしてこれらの社会変化により貴族社会が崩壊したことで、時代の中心は貴族から「市民」中心へと変化し始めます。

啓蒙思想の広がり

こうした市民活動を支えた背景には、18世紀に芽生えた「啓蒙(けいもう)思想」の広がりがあります。詳しい説明は別の機会にゆずりますが、啓蒙思想とは、物事を「理性」や「合理性」、「理論」で考える思想です。

つまり、貴族社会や教会の権威といった「伝統的価値観や思想をもう一度考え直し、一人一人がきちんと考えることによって、人間生活の基盤を作り直すという思想」だと覚えておいてください。こうした啓蒙思想は、やがて芸術の分野にも広がりを見せ始めます。

古典派音楽の特徴と形式について

次に、古典派音楽の特徴と形式について解説します。古典派の登場により、音楽はより理論的かつ複雑なものへ発展しました。

そもそも、なぜ”古典派”なのか

バロック時代を脱却したにもかかわらず、なぜ”古典派”と言われるのでしょうか。これは、現在の私たちから見て「古い時代の作品」という意味ではありません。古典派を英語で表すと「classicism」と書きますが、語源はラテン語で「模範的」を意味する「classicus」に由来します。

では、どの時代からみて模範的だったのでしょうか。これについて調べたところ、どうやら古典派と定義したのは、19世紀のロマン派の人々であることがわかりました。

また、この時代を「古典派(classicism)」と定義した理由については、あまりにも自由な形式になりすぎた自分たちへの戒めと、古典派が持つ形式美への憧れが込められていると考えられています。

ソナタ形式とは

古典派の大きな特徴として「ソナタ形式」が挙げられます。理論的に生み出されたソナタ形式は、古典派以降の作品に重要な影響をもたらしました。

ソナタ形式の基本形は、序奏、提示部、展開部、再現部、結尾部の5つで構成され、2つの主題(テーマ)が提示部と再現部に登場します。

音楽理論の話はここでは省略しますが、「ピアノソナタ」や「ヴァイオリンソナタ」といった「ソナタ」と記された作品は、基本的に上記の構造です。理論上強い制約があるものの、ソナタ形式の登場はクラシック音楽の発展に大いに貢献したと言えるでしょう。

ロンド形式とは

「ソナタ形式」と同じく、古典派時代に発展したのが「ロンド形式」です。ロンド形式とは、「ロンド主題」と呼ばれる主題が、異なる旋律を挟みながら繰り返し演奏される形式のことです。

ロンド形式は「A-B-A-C-A-B-A」の形をとる大ロンド形式と、「A-B-A-C-A」の小ロンド形式の2つに大別され、ソナタ作品や交響曲、協奏曲など多くのジャンルに応用されます。

作曲家の働き方改革?

時代の変化とともに貴族社会が崩壊し、生活の中心が市民に移ったことで、芸術家のあり方も大きく様変わりします。それまでの音楽家(芸術家)は、貴族に雇われて生計を立てるのが一般的でした。

しかし、貴族に代わり一般市民が力を持ち始めると、彼らは自分たちの趣味趣向を追求し始めます。18世紀、庶民にウケが良い喜劇的オペラが流行し始めたのも、こうした時代背景によるものです。

この頃から作曲家はいわゆるフリーの芸術家となり、彼らの間で競走が起こります。フリーの芸術家の先駆けとなったのはモーツァルトであると言われますが、モーツァルトの時代は古典派の過渡期だったため、不遇の後半生を送ることになりました。

職業音楽家として最初に成功したのは、古典派の大家ベートーヴェンといえるでしょう。ベートーヴェンも当初は貴族からの依頼を請け負うお抱え作曲家でした。しかし貴族社会の終わりとともに、職業音楽家として「自分の思いを音楽で表現すること」を決意し、よりプライベートな作品として音楽を発表することになります。モーツァルトとベートーヴェンの年齢差はわずか14歳ですが、このわずかな年の差が、2人の音楽家の人生を大きく異なるものとしました。

ピアノの誕生

古典派の時代になり大きく変わったのは、形式の面だけではありません。作品の規模が大きくなるにつれ、使用される楽器の改良も余儀なくされました。みなさんは、アカデミー賞受賞作『アマデウス』という映画をご存知でしょうか?この映画はモーツァルトとサリエリの悲劇を描いた名作ですが、作品の中でモーツァルトがチェンバロを弾くシーンがあります。映画で描かれている通り、この時代の鍵盤楽器の主流はオルガンかチェンバロでした。

しかし交響曲や協奏曲の規模が大きくなると、会場も広くなり、チェンバロの音ではよく聞こえません。そこで登場したのが、弦楽器と打楽器を組み合わせて作られたピアノです(正確にはフォルテピアノといいます)。

ピアノが登場したことで音楽表現の幅が格段に広がり、バロック時代には生み出すことのできなかった壮大な作品も可能となりました。ピアノの存在がなければ、古典派の名曲は生まれなかったといっても過言ではないでしょう。

古典派を代表する有名作曲家たち

古典派音楽には多数の作曲家がおり、代表的人物には以下の人物たちが挙げられます。

・ジョバンニ・バティスタ・サンマルティーニ(1700年頃〜1775年)
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年〜1809年)
・フランソワ=ジョセフ・ゴセック(1734年〜1829年)
・ルイジ・ボッケリーニ(1743年〜1805年)
アントニオ・サリエリ(1750年〜1825年)
・ムツィオ・クレメンティ(1752年〜1832年)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年〜1791年)
・ルイジ・ケルビーニ(1760年〜1842年)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年〜1827年)
・ヨハン・ネポムク・フンメル(1778年〜1837年)

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なかでも、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3名は「ウィーン楽派」を代表する人物として知られ、古典派音楽において重要な地位を占めています。そこで今回はこの3名の代表作を例に挙げ、古典派音楽を体感してみましょう。

ハイドン

出典:[amazon]<ダイレクト・カットSACD>《ハイドン交響曲集Vol.6》交響曲第39番、第61番、第73番「狩り」

生涯で106曲の交響曲を作曲したハイドンは「交響曲の父」と称されています。1732年にオーストリアのウィーンで生まれた彼は、バロック音楽から古典音楽への転換期において重要な役割を果たした人物です。「弦楽四重奏の父」とも称され、彼が作曲した『弦楽四重奏曲 第77番』の第2楽章の旋律は、現在のドイツ国歌に用いられています。

ハイドンは音楽家の家系ではありませんでしたが、幼少の頃から楽才を発揮し、6歳から音楽を学びはじめます。若い頃のハイドンは苦労が多かったようですが、27歳で貴族お抱えの作曲家となり、その後長きに渡り宮廷楽長を務めています。

ハイドンの作風にはバロック時代の名残が多分にあるものの、古典派の基礎を確立した人物であることは間違いないでしょう。また、生涯にわたりモーツァルトに手を差し伸べ、ベートーヴェンを弟子としたのもハイドンでした。

『交響曲第94番 驚愕』

長年務めた宮廷楽長の職を辞したハイドン。その後、彼はイギリスへ渡り大変な人気を獲得します。1791年、ロンドンで作曲された本作は「ロンドン交響曲」の1作として知られ、ハイドンの交響曲でも最も人気のある作品です。

「驚愕」というタイトルが目を引きますが、これは第2楽章で打ち鳴らせるティンパニが聴衆を驚かせたことに由来します。

オラトリオ『天地創造』

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『四季』と共にハイドンを代表するオラトリオです。1796年から1798年にかけて作曲されました。1799年に行われた初演は大成功を収め、ヘンデルの『メサイア』、メンデルゾーンの『エリア』と並び3大オラトリオの一つに数えられています。

旧約聖書の『創世記』とミルトンの『失楽園』を元に台本が書かれ、全3部で構成されています。「オラトリオ」形式で作曲されていることから、ハイドンがバロック音楽と古典派の中間的存在だったことがわかります。

モーツァルト

出典:[amazon]モーツァルト生誕250年記念 エターナル:モーツァルト

神童モーツァルトの名前を知らない人はおそらくいないでしょう。1756年、神聖ローマ帝国・ザルツブルク(現ウィーン)で生まれたモーツァルトは、3歳でチェンバロを始め、5歳で作曲したと言われています。

そんなモーツァルトの才能を早くから見抜いた父レオポルトは、当時考えられる限りの最高の音楽教育を施したと言います。パリ、イタリア、ロンドンなどヨーロッパ各国を周り、大きな賞賛を得たモーツァルトでしたが、一方で時代に見放された音楽家でもありました。

25歳の時、ザルツブルク大司教ヒエロニムス・コロレドと対立したモーツァルトは、フリーの音楽家としての道を選びます。しかし、彼が生きた時代はいまだ貴族中心の社会であり、「音楽家は貴族に仕える者」という認識が一般的でした。

もちろん、フリーへ転身後もオペラ『フィガロの結婚』などで人気を博しましたが、次第に貧困となり(浪費癖もあったそうです)、35歳という若さで人生の幕を閉じます。作曲家が自由に作品を表現するには少し早かったのかもしれません。

『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』

1787年にウィーンで作曲された作品です。日本語では『小さな夜の曲』と訳されています。
有名な作品が多いモーツァルトのなかでも、もっとも知られる作品の一つです。全4楽章で構成されており、演奏時間は20分程度です。とても人気のある曲ですが、作曲の詳しい経緯などの詳細はわかっていません。

モーツァルト作品らしい、快活なメロディーが印象的な作品です。

『ピアノソナタだ第11番 トルコ行進曲付き』

モーツァルトが作曲したピアノソナタの中でも、もっともよく知られる作品です。特に第3楽章の「トルコ行進曲」は誰もが1度は聴いたことのある作品だと思います。本作も作曲年代についての詳細は不明ですが、1778年、もしくは1783年作曲と考えられています。

ベートーヴェン

出典:[amazon]Beethoven: Piano Sonata No. 1-32, Piano Concertos No. 1-5

「楽聖」ベートーヴェンは、1770年、神聖ローマ帝国のボン(現ドイツ)に生まれました。祖父の代から続く音楽家の家系に生まれましたが、17歳で母を亡くしたことにより、苦労の多い青年時代を過ごします。20代で難聴が始まり、40代の頃には完全に耳が聞こえなくなったという話は有名ですね(諸説あります)。
そんなベートーヴェンも、当初はハイドンと同じく貴族向けの宮廷音楽を作曲していました。しかし、時代は貴族から市民社会へ移り変わります。変革する時代の流れを受けたベートーヴェンは、やがて「芸術のための芸術」を生み出す活動に展開していきます。

古典派はベートーヴェンによってその完成をみますが、彼は次のロマン派音楽時代への架け橋にもなったと言えるでしょう。

『ピアノソナタ第8番「悲愴」』

ベートーヴェンの初期を代表するピアノソナタです。1798年から1799年にかけて作曲されました。特に第2楽章の哀愁ただようメロディーが有名で、上記で解説した「ロンド形式」がよくわかる作品です。

この作品により、ベートーヴェンはピアニストとしてだけではなく、作曲家としての名声を獲得しました。本作は『ピアノソナタ第14番「月光」』、『ピアノソナタ23番「熱情」』と共に3大ピアノソナタに数えられています。ベートーヴェン自らが標題を付けた数少ない作品です。

『交響曲第3番「英雄」』

1804年に作曲されたベートーヴェン3番目の交響曲です。フランス革命の立役者ナポレオン・ボナパルトをイメージして作曲されました。「英雄」を意味する「エロイカ」というタイトルでも親しまれています。壮大な構成を持つ本作からは、ベートーヴェンの才能の飛躍が見て取れます。ベートーヴェン自らが「一番好きな交響曲」と自負したそうです。

ナポレオンが皇帝に即位した際、「怒りを込めて楽譜の表紙を破った」という逸話がありますが、これは作り話の可能性が高いそうです。

まとめ

今回は古典派音楽について解説しました。音楽史をたどりながら作品を聴くのも、クラシック音楽の楽しみ方の一つだと思います。古典派の時代は、わずか70年という短い期間でしたが、その後の音楽史に多大な影響を及ぼしました。今回の記事をきっかけに、改めて古典派の音楽に触れてみてはいかがでしょうか。

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