ヨハン・セバスティアン・バッハってどんな人?その生涯や性格は?

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今回は、クラシック音楽界において「音楽の父」と称された「ヨハン・セバスティアン・バッハ」について紹介したいと思います。

バッハの生涯

まず、はじめにヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年~1750年)(以下バッハ)は西洋クラシック界でいう「バロック音楽」の重要な作曲家の1人で大音楽家一族の中で生まれました。オルガンを始めヴァイオリンなどの弦楽器、フルートなどの木管楽器など様々な楽器を使いこなせたため冒頭でも書いた通り「音楽の父」と称されていました。

また、約65年という人生の中で作曲した曲は実に1000曲以上にも上り生涯音楽三昧の人生だったということが分かりますね。しかし、中を開けてみるととても頑固でお金に困っていたそうです。

次は、どんな人生を送ったのか、どんな性格だったのか具体的に書きたいと思います!

バッハは1685年に神聖ローマ帝国アイゼナハ(現ドイツ)にてバッハ家の一員であるヨハン・アンブロジウス・バッハの8人兄弟の末っ子として生まれました。宗教改革を行ったマルティン・ルターもアイゼナハ出身のため、一家でルター派のプロテスタント教徒であったことが分かっています。

実は、バッハがどのように幼少期を過ごしたのか詳しいことはわかっていませんが、おそらく音楽家の中で生まれ育ったため父の指導の下楽器を演奏していたのではないかと言われています。

7歳の時には、教会付属のラテン語学校に入学しました。1694年に母親が、1695年には父が続けて亡くなり、まだ10歳であったバッハは兄ヨハン・クリストフと2人でオルガニストの家に引き取られ勉学に励みました。兄ヨハン・クリストフは有名な作曲家パッヘルベルの弟子でした。

そのためバッハが羨ましがる楽譜を持っていたそうですが、何故か自分の楽譜をバッハに見せなかったため悔しかったバッハは兄が寝静まった夜に、月明かりの下で半年かけて楽譜を写譜しました。結果的に兄に見つかり取り上げられてしまいますが、音楽熱心なバッハの様子を表す逸話として有名なので知っている人もいるかもしれませんね。

1700年にはオーアドルフの学校を中退し、ゲオルク・エルトマンと共にドイツのリューネブルクに移りました。そこで、聖ミカエル教会付属学校の給費生となり、ボーイソプラノとして合唱隊員に採用されました。この合唱隊は高い音楽的能力を必要とされておりとても入団が難しかったのですが、バッハには優れた音楽的能力が備わっていたため難なく入団することが出来ました。

しかし、入団当時15歳のバッハはすぐに声変わりしボーイソプラノとして歌えなくなったためヴァイオリン等の楽器を演奏し活躍しました。18歳には宮廷楽団のヴァイオリン奏者として就職しましたが、オルガニストの代役を行うこともあり、オルガンの技量も上げました。

1706年にマリア・バルバラと結婚し、7人の子どもを授かりましたがバッハの主張中に妻マリアが急死。幼い子どもたちのためにバッハは翌年に16歳年下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しました。彼女はソプラノ歌手だったためバッハのお仕事を助けていたそうです。1723年にバッハはライプツィヒの聖トーマス教会にてカントルというオルガニストと作曲家、合唱指導を行う職業に就きました。1749年にバッハは脳卒中で倒れましたが、一命をとりとめました。しかし、度重なる不運と体調不良のため翌年1750年に去りました。

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バッハの約65年の人生を搔い摘んで紹介させていただきました。今は人生100年時代と言われているので65年というと「まだ、、、」と思う人も中にはいるかもしれません。しかし、昔は今見たく医療も進歩していないため若くして亡くなる方も少なくありません。オペラ「魔笛」などを作曲したウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは35歳という若さでこの世を去っています。時代は違いますが、バッハは「長生き」したのではないかと私は思います。
では次は、バッハの性格を諸説も交えながらお伝えしたいと思います。

バッハの性格について

バッハの性格は冒頭でもある通りとても頑固でお金に困っていました。とても頑固だと言われているエピソードを1つ紹介したいと思います。

バッハが当時20代のころ、オルガニストと指揮者のお仕事をしていました。しかし、頑固だったバッハは自分の納得いく演奏をしない演奏者に対して悪く言ったり、厳しい態度をとるようになりました。そのためファゴット奏者の1人がバッハを街中で後ろから切りつけたそうです。

その後の会議で、ファゴット奏者は「バッハに自分の演奏を悪く言われたから」と述べていたそうです。何があっても切りつけるという行為はあってはならない行為ですが人をそこまで怒らせてでも自分の納得いく演奏をしたかったバッハは誰が見ても「とても頑固」ですね。

では、次はもう1つのお金に困っていたことについてです。お金に困っていたということだけを聞くと「性格」という観点から少し離れてしまっている感じがしますね。しかし、バッハは冒頭でもあるようにルター派のプロテスタント信者だったため、とても質素な生活を送っていました。

「その生活でなぜ、お金に困るの?」と誰もが疑問に思いますよね?実は、バッハは食費に関しては一切ケチらず1食2000kcalほど摂取していたそうです。現代の2000kcalというと某人気ハンバーガー店のビッグマックが4つだそうです。面白い話でいうと、人参が60本で2000kcalみたいです。

また、「頑固」と述べていましたが裏を返せばバッハはとてもまじめで勤勉家だったためストレスをためやすく、「暴食」の道に進んでしまったのかもしれませんね。性格としては、とても勤勉家で勉強熱心だったがために少しの妥協も許せず、ストレスがたまり暴食の道に進み結果的にお金に困っていたという話になりますね。

まとめ

今回は、バッハの生涯や性格についてまとめさせていただきました。バッハというと沢山の名作を残し後世の音楽界の道を切り開いたと言っても過言ではないくらいクラシック界における重要な作曲家の1人です。

しかし、裏を返して見ると苦労の絶えない人生を歩んできたことが分かります。「この音符にはどのような意味が込められているのかな」などもっと作曲家の意図を読み取ってもっと音楽を大切にして楽しんでいけたら良いですね。

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