ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]Beethoven: Piano Sonata No. 1-32, Piano Concertos No. 1-5

ドイツの作曲家として有名なベートーヴェンは、音楽の授業でも必ず取り上げられるほど、クラシック音楽にとって欠かせない人物です。そんなベートーヴェンの、生涯や性格、またエピソードなどを紹介していきます。

ベートーヴェンの生涯

ベートーヴェンが誕生したのは、1770年の12月16日頃だと考えられています。場所は、現在のドイツにあるボンという所でした。

父親は宮廷歌手をしていて、ベートーヴェンは幼いころから音楽教育を受けたようです。しかしその父親は、大の酒好きで浪費家だったようで、ベートーヴェンの祖父の援助や遺産に頼っていました。しかし息子の才能に目を付けると今度はその才能をあてにするようになり、スパルタとも言える音楽教育を施したことによって、ベートーヴェンは一時的に音楽を嫌うようになってしまったと言われています。

その後は、1778年の演奏会でデビューし、1782年にクリスティアン・ゴットロープ・ネーファから学ぶようになりました。そして1787年にはウィーンを訪れ、憧れていたモーツァルトに会っているようです。しかし同年、母親が亡くなってしまうと父親はアルコール依存症となり、ベートーヴェンは家計を支えるだけでなく弟2人の世話をする必要もありました。

転機となったのは、1790年と1792年にボンを訪れたハイドンに出会ったことです。ベートーヴェンはこの出会いをきっかけにハイドンに弟子入りすると、1792年の11月にはボンからウィーンへ向かっています。ところが、当時のハイドンは絶頂期による多忙のため、ベートーヴェンが作曲を教わる時間はあまりなかったようです。これを理由に、1794年からはヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーにも師事していたとされています。

そして1796年になると、ベートーヴェンはプラハやドレスデン、さらにライプツィヒやベルリンと演奏旅行を行いました。しかし、20代後半には難聴の症状が悪化していき、28歳ではほとんど聞こえない状態にまでなってしまったそうです。この耳の問題をきっかけに自殺を考えたベートーヴェンは、1802年に“ハイリゲンシュタットの遺書”というものを遺しますが、思いとどまるとその後は作曲に専念するようになり、数々の代表作を生み出していきました。

40歳くらいになると全聾になってしまいますが、その後の作品としては特に代表的な「交響曲第9番」、いわゆる「第九」があります。ベートーヴェンが亡くなったのは1827年3月26日で、その葬儀にはおよそ2万人が参列しました。またこの時の有名なエピソードとしては、その翌年に亡くなるシューベルトも、実は参列していたと言われています。

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代表的な作品ジャンルについて

ベートーヴェンの作品は、交響曲やピアノ曲に有名な作品が多く残されています。例えば交響曲第5番の「運命」や、交響曲第9番のいわゆる「第九」は、クラシックに詳しくない方でも聞き覚えのある作品ではないでしょうか。

またピアノ曲には、「エリーゼのために」や、「月光」や「悲愴」で知られるピアノソナタがあります。特に「エリーゼのために」に関しては、こちらもクラシックに普段関わりのない方でも聞いたことがある作品の1つではないでしょうか。

性格やエピソード

性格

冗談好きで変わり者として知られていたベートーヴェンは、父親に似てしまったのか、お酒がとても好きだったようです。さらに度々癇癪を起すこともあり、暴力的な一面も見せたと言われています。

外見

身長が165cm前後と小柄だったようですが、体格はがっしりとしていて良かったそうです。また若い頃には気にしていた服装に関しては、年を経るにつれて無頓着になっていったとされています。

弟子

弟子には“ツェルニー”で有名なカール・ツェルニーがいました。ベートーヴェンのエピソードを調べると、度々ツェルニーの言葉が登場します。

エピソード

逸話としては、コーヒーが好きだったため淹れる際には60粒数えていたとか、生涯の引っ越しの回数が60回以上あったというものがあります。

さらに興味深い逸話としては、メトロノームの価値を見出したのがベートーヴェンだったというものがありました。現在は使用することが当たり前になっているメトロノームですが、当時はまだあまり広まってはいなかったようです。

また独身のまま人生を終えたベートーヴェンでしたが、実際には恋多き人だったらしく、女性にまつわるエピソードもいくつか残されています。また困ったエピソードとしては、浮浪者と勘違いされてしまい逮捕されるという事件があったようです。

信憑性に欠けるのではと言われている有名なエピソードの1つに、ナポレオンに関するものがありました。それは、「交響曲第3番」の作曲にまつわる話です。当時ベートーヴェンがウィーンへ出てきたころはフランス革命の真っただ中で、「第3番」を作曲したのはその革命後でした。ベートーヴェンはナポレオンを讃えるためにこの作品を作曲していましたが、ナポレオンが皇帝になったことが許せず、この作品の表紙を破ったとされています。現在ではこのエピソードは本当にあったことなのか疑わしいとされていますが、有名なエピソードとして知られているので、ここでも紹介をさせて頂きます。ちなみにこの「交響曲第3番」が、「英雄」として知られているベートーヴェンの代表的な交響曲です。

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