アントニオ・サリエリってどんな人?その生涯や性格は?弟子は?

出典:[amazon]The Best of Salieri (Remastered)

アントニオ・サリエリといえば、映画「アマデウス」でその名を聞いたことがある人は多いかもしれません。映画では、サリエリはモーツアルトを毒殺した人物のように描かれていますが、実際はどんな人物だったのでしょうか?
今回はアントニオ・サリエリについてどのような人物だったのかを詳しく紹介していきます。

生涯

アントニオ・サリエリの幼少期

アントニオ・サリエリは1750年に、北イタリアのレニャーゴに生まれます。父の後妻の子として生まれたサリエリは10人兄弟の8番目でした。長兄のフランチェスコ・アントニオは教会オルガニストとしての職を得ており、また、ヴァイオリン奏者としてもとても優秀でした。サリエリはまず長兄に音楽を教わり、そして10歳からレニャーゴ大聖堂のオルガン奏者であるジュゼッペ・シモーニにヴァイオリンとチェンバロを教わります。
しかし13歳になった1763年に母親が亡くなり、父親が蒸発してしまいます。(その後、父親は翌年の1764年に亡くなったとされていますが、はっきりしたことはわかっていません。)

孤児になったサリエリは、父親の友人でヴェネツィアの貴族であったジョヴァンニ・モチェニーゴに引き取られヴェネツィアに移ります。音楽と演劇が盛んだったヴェネツィアで、すぐにオペラの虜になりました。ちょうどその頃、ウィーンの宮廷作曲家のフローリアン・レーオポルト・ガスマンもヴェネツィアに滞在しており、運命の出会いを果たします。サリエリの音楽の才能を見出したガスマンは、ウィーンに連れて帰りました。

ウィーンでの生活がスタート

1766年6月、サリエリはガスマンと共にウィーンに移ります。ガスマンはサリエリを皇帝ヨーゼフ二世に、宮廷演奏会の楽器奏者として紹介します。サリエリの素晴らしい腕前は、すぐに皇帝ヨーゼフ二世に気に入られました。ガスマンは、サリエリに宮廷音楽だけでなく、すすんで劇場にも連れて行きました。1767年にはガスマンの助手としてオペラの上演に携わることとなり、その後、帝室歌劇場の副指揮者のアシスタントとして働くことになります。

その頃、のちにオペラの改革者として名が知られることとなるクリストフ・ヴィリバルト・グルックに出会います。36歳年上のグルックは、すでに歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の成功を収めていました。サリエリはグルックを父のように慕っていました。

音楽家としての功績

皇帝ヨーゼフ二世、ガスマン、グルックのおかげで、生活にも音楽にも何不自由なく暮らせるようになったサリエリは、次々とオペラの作品を発表します。1770年、20歳の時に初めて発表した「女文士たち」に始まり、翌年には21歳にして出世作ともいわれる「アルミーダ」を発表します。他にサリエリの代表作には「ダナオスの娘たち」「ファルスタッフ」等があります。

また、1774年、24歳という若さで宮廷作曲家兼イタリアオペラ指揮者の職を与えられ、地位と名誉も安定したものになりました。1778年、28歳の時に、ミラノにあるスカラ座のこけら落としの作品として「見知られたエウローパ」を初演しました。1788年、38歳で宮廷楽長に就任し、1824年の亡くなる直前まで、約36年間にわたりその地位にありました。1817年67歳の時にはウィーン楽友協会音楽院の指導者となり、歌唱学校を設立するなど、後世の音楽に今なお大きな影響を与えています。

サリエリの性格

サリエリはとても慈悲深い人物だったようです。それはガスマンの影響を大きく受けています。孤児だったサリエリの才能を見出し、ウィーンへと導いたガスマンは、サリエリに音楽の教育だけでなく、経済的な支援も惜しまなかったといいます。そんなガスマンへの恩義を生涯忘れることなく、サリエリ自身もガスマンにしてもらったように、若い音楽家へ無償で音楽を教えていました。

また、経済的に困っている音楽家への支援やチャリティーコンサート、互助会の設立など、慈善事業に非常に熱心だったようです。

サリエリの弟子は誰もが知っているあの作曲家たち

サリエリの弟子たちの中で誰もが知っている作曲家と言えばベートーベンです。主にイタリア語の声楽を教えていたとされています。

他にも、歌曲王と呼ばれるシューベルトも弟子の一人でした。ウィーン帝室宮廷礼拝堂少年合唱団のオーディションに当時10歳のシューベルトがやってきたのが最初の出会いです。サリエリはそのオーディションの審査委員でした。シューベルトが変声期を迎えたために合唱団を退団した後も、シューベルトへの個人レッスンは続きました。

その他にも、ピアノを習ったことがある人ならば必ず通る道のツェルニーや、ピアノの魔術師ともいわれるリストも、サリエリの弟子でした。

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モーツアルト毒殺疑惑

サリエリの生涯を語るにあたり、モーツアルトの存在なくして語ることはできません。

1756年生まれのモーツアルトとは6歳しか歳が違わず、お互いにウィーンで大活躍していました。二人の確執については、はっきりとわかっていないようですが、モーツアルトが「サリエリがいるせいで自分が宮廷楽長になれない」との発言をしている記録があります。しかしその真意はわかっておらず、逆にサリエリへの称賛ともとれる発言だともされています。なぜなら、宮廷との雇用関係になかったモーツアルトが宮廷楽長になりえるはずがないからです。当時、サリエリとモーツアルトは互いに尊敬し合い、深く交流がありました。ではなぜ、サリエリの毒殺説が浮上したのでしょうか。

モーツアルトは亡くなる前、全身の浮腫みが酷く、それを「誰かが毒をもったせいだ」とモーツアルトが言ったこと、また、当時モーツアルトの訃報を知らせる新聞に「彼の身体が腫れたので、毒をもったと信じる者もいる」と報じた事で、毒殺説が浮上しました。

そして、当時のウィーンは、ドイツ派とイタリア派の対立がありました。ザルツブルグ生まれのモーツアルトはドイツ派でした。そのため、イタリア人であったサリエリが標的にされたのです。また、イタリア人でありながら、宮廷楽長の座に長く居座っているサリエリをよく思わない者は多かったようです。

このモーツアルト毒殺説は、1821年ごろの話で、モーツアルトの死後、実に30年後の出来事でした。サリエリは71歳になっており、その後の晩年を苦しめることになります。

毒殺疑惑に苦しめられたサリエリの晩年

サリエリの晩年といえば、「アマデウス」によると精神病院に入院していたため、精神異常で穏やかではない晩年を過ごしたイメージがある人も多いかと思います。実際、70歳をすぎるころから体調を崩し、入院はしていましたが、世話をするのが負担になったサリエリの娘たちにより、強制的に入院させられたからです。

このサリエリの入院により、世間ではモーツアルト毒殺説がますます強くなっていきました。このことは、当時すでに耳が聞こえなくなってしまっていたベートーベンの筆談帳にも、多くの記録が残されています。また、入院中に見舞いに来た弟子のモシェレスに、モーツアルトを毒殺していないと否定したことが、逆に最後の弁明ととらえられてしまったことも、毒殺説を強める一因となしました。

しかしサリエリは一貫して無実を主張していました。1822年、ウィーンを訪れたロッシーニがサリエリと面会した際に、モーツアルトを毒殺したのか尋ねると、サリエリは毅然とした態度で否定したと話しています。また、モーツアルトの息子であるフランツ・クサーヴァー・モーツアルトもはっきりと否定しています。

その後サリエリは、1825年5月7日、ウィーンの自宅にて老衰のため、75年の生涯に幕を閉じました。現在、ベートーベンやシューベルトと同じウィーン中央墓地に埋葬されています。

現代のサリエリ

モーツアルトは死後に作品が高く評価されたのに対し、サリエリは晩年の毒殺説が、素晴らしい音楽の功績も消してしまいました。サリエリの作品は1863年の上演を最後に、約90年もの空白の時代が続きます。

しかしその後、サリエリ生誕200年となる1950年頃から少しずつ再燃していきます。1955年にヴェローナで「トロフォニーオの洞窟」が上演されたのを皮切りに、段々と作品が復活していきました。日本では1974年に「はじめに音楽、次に言葉」が初演されました。

1979年のアマデウスで知名度は一気に上がり、再評価される大きなきっかけとなりました。2003年メゾソプラノ歌手のチェチーリア・バルトリがアルバムを発表し、2009年からは、故郷レニャーゴでサリエリ・オペラ音楽祭が開かれるようになりました。

まとめ

サリエリは本当に素晴らしい作曲家でした。当時(1781年~91年)のウィーンでのオペラ上演回数は、あのモーツアルトが合計105回だったのに対し、サリエリはなんと合計185回も上演されているのです。モーツアルトと同じ時代に生き、ベートーベンやシューベルトといった素晴らしい音楽家を輩出しながら、あまりにも苦しい晩年ですが、現代の音楽においても、今なおサリエリの音楽が寄与していることは言うまでもありません。
この記事が、サリエリの音楽に触れるきっかけとなれたら幸いです。

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