出典:[amazon]ジュゼッペ・ヴェルディ:真の発明家 ~イェルク・ハンドシュタインによる「音で聴くヴェルディの伝記」(Verdi: Das Wahre erfinden)[3CDs]
ヴェルディの代表作である「アイーダ」の、登場人物やあらすじ、また作品に関する紹介や解説をしていきます。
ヴェルディの生涯についてまとめ
まずは、作曲者自身に関することを簡単にまとめましたので、少し紹介します。
幼少期から勉強期間
幼い頃から音楽に触れていたヴェルディは、10歳で教会のオルガニストとして演奏をするようになりました。そんなヴェルディの両親は、息子に音楽の勉強をさせることを選択したそうです。
そして18歳で受験したミラノ音楽院は不合格でしたが、音楽教師のヴィンチェンツォ・ラヴィーニャから、音楽に関する様々なことを学びました。
作曲家としての活動
最初のオペラ作品「オベルト」が好評の後出版されると、作曲家として活動をするヴェルディの作品は、次々と高い評価を得ました。またこの頃は、複数の劇場からのオファーを受け、多くの作品を作曲しています。
ヴェルディの作品は作曲されただけでなく、多くの作品で高い評価を得ていました。そして、たくさんの作品で成功を収めながら活躍をしていたヴェルディですが、忙しくなりすぎたのか、過労を理由に少しの休養期間を取ったこともあったそうです。
農場、政治、慈善活動
忙しい作曲家生活を送っていたヴェルディでしたが、後に農場に移り住むと作曲のペースが緩くなっていきました。さらには議員として、政治の世界へも入っていったそうです。そして晩年は、慈善活動に取り組むことに熱心になっていたとされています。
代表作の紹介
ヴェルディの代表作は、もちろん「アイーダ」だけではありません。またオペラで有名なヴェルディですが、代表作と言われる作品の中には、オペラではない作品も含まれています。
例えば、ミサ曲である「レクイエム」の「怒りの日」という曲は、映画やCMなどでBGMとして使用される機会が多いため、たくさんの人の記憶に残っている曲ではないでしょうか。またオペラ「ナブッコ」の中の曲には、イタリアの第2の国歌として知られているものもあります。
これらのような有名な曲が、ヴェルディの作品にはまだたくさんあるので、もし興味があれば聴いてみて下さい。
「アイーダ」の登場人物やあらすじ
アイーダは、たくさんの人気作を作曲したヴェルディのオペラの中でも、特に人気のある作品の1つで、古代エジプトが舞台となっています。
登場人物と演奏時間
- エジプト国王
- アムネリス:エジプトの王女
- アイーダ:アムネリスの奴隷、実はエチオピアの王女
- ラダメス:エジプト軍の指揮官
- アモナズロ:エチオピアの国王
演奏時間は約2時間半です。
作品のあらすじ
エチオピアとエジプトの戦争により、エジプト軍の指揮官となったラダメスは、エチオピアの王女という素性を隠している奴隷のアイーダと、お互いに想いあっていました。しかし、エジプトの王女であるアムネリスもラダメスに想いを寄せていたため、奴隷のアイーダを恋敵として意識します。
またアイーダは、エチオピアの国王である父親と、エジプト軍の恋人が戦わなければならないという運命を悲しみました。
そしてラダメスの軍は勝利しますが、捕虜となった人の中には、国王ということを隠したアモナズロがいました。ラダメスは、エジプト国王に捕虜の解放を願うと、アモナズロ以外の捕虜が解放されることになります。
またエジプト国王は、勝利した軍を指揮していたラダメスと、娘である王女のアムネリスを結婚させ、ラダメスを次の国王にすると言います。アムネリスは喜びましたが、ラダメスとアイーダは絶望しました。
そしてアモナズロは娘のアイーダに、ラダメスから機密情報を聞き出すように指示しました。アイーダはためらいますが、エジプトから一緒に離れる決意をしたラダメスから情報を得ます。するとそこにアモナズロが登場し、自分たちの身分を明かしました。
ラダメスは、敵に機密情報を漏らしてしまったということを理解し悔やみます。エチオピアへ一緒に来るようにと誘われたラダメスでしたが、そこにアムネリス達が現れると2人を逃がし、自身は捕まることを選択しました。
アムネリスは、裁判が行われる前のラダメスに、自分を受け入れればラダメスを助けるために働きかけると言います。しかしそれを拒否したラダメスは、裏切り者として地下へと入れられ、生き埋めの刑が執行されることになりました。
しかしラダメスが地下に入ったとき、そこには刑を予想していたアイーダが待っていました。そしてお互いに想いあう2人は、そのまま地下で静かに亡くなります。
「アイーダ」に関するエピソードや解説
作品の作曲に関することや、有名な「凱旋行進曲」のエピソードを少し紹介します。
「アイーダ」の作曲に関する紹介
1870年頃に作曲が行われ、1871年にカイロ劇場で初演が行われたこの作品は、4幕で構成されているヴェルディの代表的なオペラです。もとはエジプトの総督からの依頼で作曲されることになり、考古学者だったオギュスト・マリエットの原案をもとに、原台本をカミーユ・デュ・ロクルが作成し、台本をアントニオ・ギスランツォーニが担当して創られました。
サッカーで使用されている「凱旋行進曲」について
作品中で特に有名な、2幕の「凱旋行進曲」は、サッカーの応援歌としても使用されているので、聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。サッカーでこの曲が使用された経緯としては、イタリアのチームに所属していたことのある中田英寿さんが、現地でこの曲を気に入ったため、日本でも使用されるようになったという説があります。しかし実際には、それより前から日本でも使用されていたとも言われているそうです。
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