アントニオ・サリエリ「ダナオスの娘たち」の解説・分析。楽章編成(あらすじ)や演奏時間は?

出典:[amazon]The Best of Salieri (Remastered)

アントニオ・サリエリは、古典派を代表する素晴らしい作曲家でした。しかし、モーツアルトの毒殺疑惑をかけられ、輝かしい功績にもかかわらず、彼の音楽を耳にする機会は消えていきました。長年、サリエリの作品を演奏されない時代が続きましたが、現代においては、サリエリの作品は再評価され、少しずつ復活しつつあります。
そんな彼の代表作の中から、今回は歌劇「ダナオスの娘たち」を紹介します。

アントニオ・サリエリの生涯

1750年、北イタリアのレニャーゴで生まれました。その後早くに両親を亡くし、父の友人を頼り移ったヴェネツィアでオペラにのめり込んでいきます。そこでウィーンの宮廷作曲家のガスマンと出会い、16歳の時にガスマンの弟子としてウィーンに移りました。ウィーンではオペラ作曲家として成功していたグルックと出会います。
ガスマンとグルック、この二人の出会いがサリエリの音楽へ大きな影響を及ぼします。そしてサリエリは、ガスマンの後任としてウィーンの宮廷楽長となりました。ウィーンのみならず、イタリアやパリでも活躍し、この時代を代表する作曲家となりましたが、彼の晩年はモーツアルトの毒殺疑惑に苦しめられ、穏やかではありませんでした。
そして1825年ウィーンにて75年の生涯に幕を閉じました。

「ダナオスの娘たち」ができるまでの背景

当初、「ダナオスの娘たち」はグルックとの共同作品として発表する予定でした。グルックはパリとウィーンの両方で活躍する作曲家でしたが、1781年、ウィーンで脳卒中の発作に見舞われ右半身が麻痺してしまい、パリに戻ることが出来なくなってしまいます。しかしパリでは、「ダナオスの娘たち」の公演に向け、着々と準備が進んでいたため、弟子であるサリエリに作曲させることにしました。
なぜ表向きは共同作品としなければならなかったかというと、パリではまだサリエリは全くの無名だったため、オペラの集客を心配したからです。そのため、共作とはいっても、ほとんどグルックが作ったと認識させる必要もありました。
こうして出来た「ダナオスの娘たち」は、1784年パリの王立音楽アカデミー(オペラ座)で初演されました。

初演されたその後

グルックからチェンバロを習い、ウィーンからパリへと嫁いだ王妃マリー・アントワネットの大きな協力もあって、初演は大成功を収めました。
グルックとサリエリの二人の共作として発表されたこの作品は、グルックの傑作として高く評価されました。実際にはサリエリが作曲したとはいえ、当時サリエリは、フランス語の作品を書いたことがなかったため、フランスオペラの構成やフランス語の朗唱法など、グルックの最大限の手助けがなければ書けなかったのも事実です。
しかし、その後グルックは、「全てサリエリが作曲した。自分は彼に求められた助言をしたにすぎません。」とパリ新聞に寄せています。これに対してサリエリも「自分一人で作曲したのは事実です。しかし私はその音楽のすべてを彼の指導のもと、彼の光輝に導かれ、その天才に感化されて書いたのです。」と寄せています。

作品情報

台本:フランソワ=ルイ=・ガン・ル・ブラン・デュ・ルレ
ジャン=バティスト=ルイ=テオドール・ド・チュディ
原作:ギリシア神話「イペルメストラ(イタリア語)」
原語:フランス語
全5幕
演奏時間:約1時間55分(序曲5分、第1幕22分、第2幕23分、第3幕23分、第4幕17分、第5幕20分)

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あらすじ

双子の兄弟であるアイギュプトスとダナオスは、父親から与えられた土地をそれぞれ統治していた。勢力を拡大したアイギュプトスが制圧した地メラムポデスは、エジプトと名付けられた。さらにアイギュプトスは、ダナオスの50人の娘をそれぞれ自分の50人の息子の妻になるようダナオスに迫った。怒ったダナオスは娘たちと共にアルゴスに退避するが、アイギュプトスの50人の息子たちも船で後を追ってきた。追い詰められたダナオスは、息子たちを皆殺しにして復讐しようと考え、婚礼を受け入れる。

アルゴスの海岸にて、アイギュプトスの息子を代表してランセが両家の和解を誓う。そしてランセの相手となるダナオスの娘の一人であるイペルムネストルに愛を誓う。

宮殿の地下に娘たちを集めたダナオスは、婚礼の場でそれぞれの相手を短剣で殺すよう命じる。娘たちは渋々了承するが、ランセに恋心を抱いていたイペルムネストルだけは納得しなかったため、ダナオスの怒りをかってしまう。

宮殿の園庭にて婚礼の宴のため、何も知らない息子たちが集まってくるが、イペルムネストルは殺戮の恐怖にかられていた。そしてダナオスに「秘密を洩らせばお前を殺す」とささやかれ、その場を走り去る。

イペルムネストルはランセと二人きりになると、短剣を見せ、宮殿から逃げるよう促す。そこで殺戮の合図が聞こえ、事態を察したランセは、兄弟たちの救出のために宮殿へと向かってしまい、残されたイペルムネストルは、その場で気を失って倒れてしまう。

死の空気が満載の中で意識を取り戻したイペルムネストルは、ランセも殺されたと思い、時分も死を望む。そこへ現れたダナオスにランセの遺体を差し出すように言われ、ランセが生きていると確信する。ランセの遺体がないことに怒ったダナオスは、復讐をとげた他の娘たちにイペルムネストルを殺すよう命じる。すると今度はランセが仲間たちを引き連れ復讐に現れ、ダナオスは打たれてしまう。その時、大地震が起こり、宮殿は崩壊してしまう。

舞台は地獄の場へと変わり、ダナオスと娘たちは悪魔に責めさいまなれる姿が浮かび上がり、娘たちの阿鼻叫喚で幕が下りる。

作品の解説・分析

作品ができるまでの背景からもわかるとおり、グルックに大きな影響を受けていると思われる箇所がいくつもあります。特に第4幕のランセのアリア“イメネの宮殿で”の冒頭部分は、グルックの代表作「オルフェオとエウリディーチェ」の第3幕でオルフェオが歌うアリア“エウリディーチェを失って”を彷彿させる旋律です。

そしてなんと言ってもこの作品で重要なのは合唱です。ダナオスをはじめ、何人かの登場人物もいますが、そのどれもアリアは長くはありません。それはあくまでも、このオペラで注目されるべきは、タイトルの通りダナオスの娘たちだからではないでしょうか。

そのため、アリアだけではなく、合唱にも高い技術が求められる旋律やハーモニーで、格調高くも壮大で素晴らしい曲となっています。特にフィナーレのスケールの大きな大合唱は圧巻です。

まとめ

以上、歌劇「ダナオスの娘たち」を紹介しました。
スケールの大きく、音楽だけでなく、舞台も見応えのある作品です。機会があれば是非一度、見てみてください。きっとサリエリの世界に引き込まれることでしょう。

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