ジュゼッペ・ヴェルディってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]ジュゼッペ・ヴェルディ:真の発明家 ~イェルク・ハンドシュタインによる「音で聴くヴェルディの伝記」(Verdi: Das Wahre erfinden)[3CDs]

イタリアの作曲家でロマン派に属し、主にオペラを作曲した音楽家であるジュゼッペ・ヴェルディは、1813年に生まれて1901年に亡くなりました。この1813年という年は、なんとリヒャルト・ワーグナーが生まれた年でもあるのですが、そう考えるとすごい年だと思ってしまいませんか?

この記事では、主にヴェルディの生涯について紹介をしながら、人物像やエピソード、作品についても触れていきます。

ヴェルディの生涯

それでは、ヴェルディの生涯を幼少期から節目ごとに見ていきます。

幼少期のヴェルディ

幼い頃から音楽に興味を示していたヴェルディは、8歳で中古の、スピネットという小さなチェンバロのような楽器を買ってもらったそうです。その後、教会のオルガニストだったバイストロッキから手ほどきを受けると、教会でパイプオルガンの演奏を行うほどに成長をしました。

10歳で教会のオルガニストとして活動するようになったヴェルディの両親は、息子の才能のことを考えて音楽を学ばせることにしたそうです。そして1823年以降、ブーセットの上級学校では語学や文学の勉強を、音楽学校では音楽の基礎を学んでいます。

また18歳でミラノ音楽院に入ろうと受験をしましたが、不合格となり入学することはできませんでした。しかし音楽教師のヴィンチェンツォ・ラヴィーニャから、作曲も含めた音楽に関することを学ぶと、たくさんのステージを見に行ったり、ステージのリハーサル見学中にピアノ伴奏を臨時で行ったりする機会を得ることもありました。

音楽の仕事を始めてから

1836年には、ブッセートで音楽の仕事をすることになったためミラノを離れます。またマルゲリータという女性と結婚をすると、翌年には長女が誕生し、さらに翌年には長男が生まれました。しかし、その後すぐに長女と長男、そして妻のマルゲリータが亡くなるという悲しい出来事が続けて起こってしまいます。

長女が亡くなった後に生活を変えようとしていたヴェルディは、1839年にミラノへ移りました。そして、オペラ「オベルト」の初演が行われると高い評価を得ることができ、作品は出版もされたようです。さらに1842年には、オペラ「ナブッコ」でも大成功を収めました。

忙しい生活からの農場生活

その後メレッリというスカラ座の支配人と契約をしたヴェルディは、複数の劇場からのオファーも受けると、たくさんの作品を作曲しました。作曲しただけでなく、作品の評判もとても良かったようです。しかしこの頃のヴェルディは、働きすぎてしまったためか、過労によって少しの期間休みを必要とするようになりました。

また、ジュゼッピーナという女性とよく会うようになったヴェルディは、ブッセートに移るとその女性と一緒に暮らしますが、その後2人はブッセートからサンターガタの農場に移り住むことになります。原因は様々あったようですが、中でもブッセートでのジュゼッピーナに対する反応が厳しかったことがあげられるようです。ジュゼッピーナは恋多き女性として知られていたと言われていて、それがヴェルディの周りには受け入れられませんでした。また2人は、長い同棲期間を経た後の1859年に、結婚式を挙げています。

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政治の世界に入るヴェルディ

実はヴェルディには、議員として活動をしていた時期がありました。ある人物から政治の世界に入ることを薦められたヴェルディは、説得されて議員に立候補することになると、なんとそのまま当選してしまったそうです。しかし、ヴェルディに立候補を薦めた人物が亡くなってしまうと、その後も特に主な活動はしないまま任期を終えています。

晩年

定期的に作曲を続けていたヴェルディですが、晩年は慈善活動にいそしむようになったようです。そして1897年頃に妻のジュゼッピーナが亡くなると、ヴェルディ自身も1901年に亡くなりました。

ヴェルディの人物像とエピソード

ヴェルディは、ロンドン万博のための作曲を頼まれていました。その際に作曲されたのが、「諸国民の讃歌」という作品です。しかし実際にこの作品が演奏されたのは、全く別の機会になりました。理由としては、当時万博の音楽を担当していた人物が、この作品の演奏を拒否したと言われています。

バレッツィとプロヴェージ

ヴェルディは、バレッツィという人物の助言や援助によって音楽を学ぶことができるようになったのですが、音楽の基礎を教わったプロヴェージという人物が亡くなると、バレッツィの希望によりプロヴェージの後を引き継ぐためにブッセートへ戻ってきました。

ヴェルディは「固い」「頑固な」イメージが強いようですが、このエピソードからは、恩や義理を重んじる性格だったのかもしれないとも思わされます。もちろん、経済的な支援があったため断れなかっただけかもしれませんが、エピソードから人物像を想像すると、さらに興味がわいてくるような気がします。

「ナブッコ」作曲のエピソード

たった数年の間に子供と妻を亡くしてしまった当時のヴェルディは、音楽の世界から遠ざかろうと考えていました。しかし、そんなヴェルディに新たな作品の作曲を促したのが、メレッリというスカラ座の支配人だったそうです。

メレッリは作曲の意欲を失っていたヴェルディに、ある台本を無理矢理渡しました。最初は作曲するつもりもなかったヴェルディですが、偶然目に入ったその台本のセリフによって、作曲への意欲が復活したとされています。そして完成した作品が、オペラ「ナブッコ」です。

ヴェルディの作品について

最後に、ヴェルディの作品について簡単に紹介します。

作曲ジャンル

「オペラ王」とも呼ばれるヴェルディの作品は、オペラのジャンルが主になっていて、有名作品のほとんどがオペラです。しかし、知られている作品にオペラ以外の曲が無いわけではありません。

代表作の紹介

ヴェルディの代表作はやはりオペラが中心ですが、実はミサ曲のレクイエムも有名です。このレクイエムは、ある詩人の追悼のために作曲が行われました。クラシックが身近でなければあまり知られていないかもしれないヴェルディですが、実際は日常の中でも聴く機会の多い作品がいつくも残されています。

特に耳にする機会の多い作品としては、レクイエムの「怒りの日」という作品や、オペラ「リゴレット」の「女心の歌」、オペラ「椿姫」の「乾杯の歌」、オペラ「アイーダ」の「凱旋行進曲」などがあげられます。もしよろしければ、ぜひ聴いてみて下さい。

>>ジュゼッペ・ヴェルディの作品の特徴。代表曲おすすめ7選

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