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スペインの新しい黄金時代を築いた作曲家、ホアキン・ロドリーゴ。彼の半生は苦境に満ちた険しい道のりでした。しかし、そこに燦然と輝く才能と情熱があり、現在でも音楽を通して多くの人々に希望と勇気を与えています。
生まれながら障がいを抱えながらも、ロドリーゴは音楽の世界に身を捧げました。3歳で失明してからも譜面を記憶し、鋭敏な聴覚を武器に作曲を続けた彼の努力は並々ならぬものでした。なかでも有名なのが、ギター協奏曲『アランフェス協奏曲』です。この作品は、スペイン内戦の惨禍を乗り越えた不屈の精神を体現しているとも言われ、ロドリーゴをもっとも代表する作品でもあります。
苦悩を乗り越え、20世紀のスペインを代表する作曲家となったホアキン・ロドリーゴとはどのような人物なのでしょうか。今回はエピソードを交えつつ、彼の生涯を解説します。
ホアキン・ロドリーゴの生涯について
ホアキン・ロドリーゴ(以下ロドリーゴ)の生涯を紹介します。幼い頃に大きなハンデを背負ったロドリーゴですが、生涯をかけてスペインを代表する作曲家となりました。
3歳で視力を失う
ホアキン・ロドリーゴは、20世紀が始まった1901年、スペインのバレンシア地方にあるサグントに生まれました。サグントはスペインの中でも古い歴史のある街で、幼少期のロドリーゴは音楽と歴史に囲まれて育ちました。しかし不運にも悪性ジフテリアにかかったロドリーゴは、わずか3歳で視覚障害となり失明してしまいます。そんな彼を救ったのが、音楽でした。
8歳から音楽教育を開始したロドリーゴは、ソルフェージュ、ピアノ、ヴァイオリンを習い始め、16歳からは作曲も学ぶようになります。
そして1923年には最初の作品『ピアノのための組曲』『ピアノとヴァイオリンのための組曲』『チェロのための組曲』を発表。翌年1924年に作曲したオーケストラ曲で国内コンクール1位を獲得すると、瞬く間にロドリーゴの名が世に知れ渡ることになりました。
『アランフェス協奏曲』の大ヒット
ハンデを背負いながらも音楽の才能を開花させたロドリーゴは、1927年にパリへと旅立ち、パリ高等音楽院へ進学します。同校の修了生には同じスペイン人のマヌエル・ド・ファリャやエンリケ・グラナドス、イサーク・アルベニスなどがおり、ロドリーゴはポール・デュカスに5年間にわたり師事し、音楽を学んでいます。
スペインの内戦と第2次世界大戦が近づく不安定な時代のなか、ロドリーゴはフランスとスペインの国境を超え、作曲を続けます。そんな困難な時代に生まれた名作が、代表曲『アランフェス協奏曲』(1933年)です。一時期は経済的な困窮にあったロドリーゴですが、本作の成功により世界的名声を獲得し、以降、彼のもとに次々と作曲の依頼が舞い込むこととなりました。
1940年代はまさにロドリーゴの全盛期とも言える時代で、この時代の作品には『コンチェルト・セレナータ』『フルートと管弦楽のための協奏曲』などがあります。
栄誉ある晩年
20世紀のスペインを代表する作曲家となったロドリーゴ。その作曲意欲は1950年以降も衰えることはありませんでした。とくに『アンダルシア協奏曲』や『ある紳士のための幻想曲』などは、
『アランフェス協奏曲』と並び称されるほどの傑作とされ、コンサートの定番曲として現在も多くの聴衆に親しまれています。
また1983年にはスペインの最高の作曲賞「プレミオ・ナシオナル・デ・ムジカ」を受賞。さらに1991年には、スペイン国王カルロス1世から「アランフェス侯爵」の称号を授与されるなど、スペイン国民として名誉ある晩年をすごしました。
スペイン人作曲家として世界的名声を獲得したロドリーゴですが、1999年7月6日、マドリードの自宅にて97歳でこの世を去りました。死因は老衰でした。
ホアキン・ロドリーゴのエピソードは?
20世紀という激動の時代とともに歩んだロドリーゴ。そんな彼の人生にはどのようなエピソードがあるのでしょうか。今回は簡単に2つ紹介します。
同時代の作曲家たちとの交流
視力を失うというハンデを背負ったロドリーゴ。しかしそのハンデこそが、ロドリーゴを音楽への道に導き、世界的な作曲家へ向かわせたのかもしれません。上述したように、多くの時間をフランス・パリですごしたロドリーゴは、同地にて時代を牽引する芸術家たちと出会っています。
なかでもモーリス・ラヴェル、ダリウス・ミヨー、アルトゥール・オネゲル、イーゴリ・ストラヴィンスキー、マヌエル・デ・ファリャとの親交はロドリーゴに大きな影響を与えており、新しい作品を生み出すインスピレーションの源になったといいます。
ロドリーゴが生み出した情熱と繊細さは、フランスで出会った芸術家たちの影響が大きいのかもしれません。
悲しみを乗り越えた傑作
ロドリーゴの代表作『アランフェス協奏曲』は、フランス人ギタリストのレジノ・サインツ・マザの委嘱によって作曲されました。のちに大ヒットとなる本作ですが、後年、ロドリーゴと妻ヴィクトリアは「この作品は第一子を流産したことへの応答として作曲したもの」と語っています。第2楽章の哀愁漂う悲しみのメロディーには、なき子を思う両親の弔いの気持ちが込められており、ロドリーゴ夫妻が本作を通じて深い悲しみを乗り越えたことがうかがえます。
まとめ
今回はスペインを代表する作曲家ホアキン・ロドリーゴについて紹介しました。おもにギター曲が演奏されることが多いロドリーゴですが、ピアノ曲や協奏曲など、さまざまなジャンルで傑作を残しています。しかし彼の作品を聴いたことがない方は、まずは『アランフェス協奏曲』から聴いてみてください。スペインの燦々とした景色や、作曲当時に抱いたロドリーゴの哀しみなど、彼の真骨頂が味わえる名作です。
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