アントン・ブルックナーってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]The Best of Bruckner (Remastered)

オーストリアの作曲家であり、評価の高い有名なオルガニストでもあったブルックナーは、1824年に誕生し1896年に72歳で亡くなりました。この記事では、その生涯や人物像、またエピソードなども交えて紹介していきます。

ブルックナーの生涯

幼少期から最初の就職

幼い頃から音楽の才能を発揮していたブルックナーは、10歳くらいの年齢になった際に、オルガン奏者だった父親の代わりにオルガンの演奏を教会で行うことがあったそうです。そして11歳の年には、名付け親でありオルガニストだった人物の元で音楽の教育を受けることとなりますが、その後父親が亡くなると、すぐに修道院の聖歌隊に入ることになりました。

その後16歳で小学校の補助教員免許を取ると、翌年には補助教員として働き始めますが、そこでは授業以外の雑用や畑仕事なども行う必要がありました。しばらくして別の場所へと転勤になりますが、移った先はブルックナーにとって良い環境だったらしく、初期の合唱曲が生み出されることとなります。

オルガニストとしての活躍と作曲の勉強

1855年には、リンツ大聖堂のオルガニストの試験でその席を勝ち取ることとなり、大きな収入を得ていくようになったようです。しかし同年、ブルックナーは再び作曲の勉強をしたいと考え、6年間に渡ってジーモン・ゼヒターに師事しました。

1868年には、師事していたゼヒターの後にウィーン国立音楽院教授となると、しばらくの間はリンツ大聖堂の仕事と掛け持ちしている状態だったそうです。作曲を行いながらオルガニストの仕事も継続していたブルックナーは、この時期オルガニストとしてとても高く評価されていました。ちなみにこのころに作曲されたのが、初期の交響曲である「第1番」「第2番」、そして「第0番」と呼ばれる作品です。

ワーグナーとの交流と大幅改訂の波

1873年、バイロイトでワーグナーとの交流の機会を得たブルックナーは、自身の「交響曲第3番」を献呈しました。このことは、ワーグナーには良い印象を与えましたが、当時の反ワーグナー派からは批判を受けることとなったようです。

>>リヒャルト・ワーグナーってどんな人?その生涯と性格は?

そして1876年、バイロイト音楽祭を訪れたブルックナーは、作曲してきた交響曲を大幅に改訂することにしました。この時に大幅改訂されたのが、「交響曲第1番」から「第5番」だったようです。

その後1877年に行われた「第3番」の初演は失敗に終わりますが、次の「第4番」が好評となったためブルックナーは交響曲の作曲家としても知られるようになります。そして、宗教曲の中の代表作である「テ・デウム」や、「交響曲第7番」などが作曲され、さらに有名になっていきました。

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2度目の大幅改訂の波と晩年の生活

1884年ころから「交響曲第8番」に取り掛かると1887年には初稿が完成しましたが、大幅な改訂を必要としたため現在よく知られている第2稿が完成したのは1890年でした。この作品は、ブルックナーの作品の中でも代表作と言える交響曲で、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈されています。また、この「第8番」の改訂の際には、他のいくつかの交響曲も改訂が行われました。

数階建ての建物に住んでいたブルックナーでしたが、体を悪くすると、階段の往復が辛くなっていきました。それを知ったフランツ・ヨーゼフ1世は、ブルックナーを宮殿敷地内の建物に住まわせることにしたようです。

また、ブルックナーは亡くなる当日まで「交響曲第9番」の作曲を行っていましたが、完成には至らないままとなってしまいました。

ブルックナーの人物像について

ブルックナーの作品では、交響曲や宗教曲が特に知られていますが、そのイメージとは少し違った人物像の紹介や、当時のエピソードを紹介します。

「熱心な勉強家」という人物像

ブルックナーがジーモン・ゼヒターに師事していた期間の評価に関して、ゼヒターが書いた手紙の内容が残されています。その手紙には、ゼヒターの生徒の中でもブルックナーは最も熱心な生徒だった、というような文章が書かれていたそうです。

その後のブルックナーは、現在知られている通り有名な作曲家となりましたし、当時の音楽界では有名なオルガニストでもありました。その演奏の腕前は、同時期に活躍した音楽家たちに高く評価されていたり、演奏のコンクールで1位になったりするほどだったそうです。

他の作曲家に比べると、かなり遅くから作曲を始めたという点でも驚きますが、それだけではなくしっかりと結果を残しているという所からも、勉強熱心な様子が想像できます。

イメージと少し違った人物像

ブルックナーは熱心な勉強家という所から、固く真面目なイメージを持っている方もいるかもしれません。しかし実際はそんなこともなく、恋多き人生だったという意外な一面や、お酒が大好きでかなりの量を飲む人物だったという話もあります。

恋に関してはどれも破局してしまっていたため、生涯結婚はしないままだったようです。

有名なエピソード

ブラームスとの関係

当時の音楽界は、ブルックナーが「交響曲第3番」を献呈したワーグナー派と、ドイツ三大Bの内の1人であるブラームス派に分かれていました。そのためワーグナー派とされていたブルックナーと、ブラームスの仲は良いものではなかったようです。

>>ヨハネス・ブラームスってどんな人?その生涯や性格は?

しかし、「交響曲第8番」に関してはブラームスも評価をしていました。そして、ブルックナーの葬儀の際は遠くから見ていたり、泣いていたりといった様子が確認されたと言われています。

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