アルカンジェロ・コレッリってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]Arcangelo Corelli: 6 Concerti Grossi Op. 6

今回ご紹介するのは、アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)です。
コレッリは、イタリアの作曲家・ヴァイオリニストとして活躍し、「合奏曲」、「トリオ・ソナタ」、「ヴァイオリン・ソナタ」でも知られています。
そんな彼の生涯を調べてきましたので、是非最後までご覧ください。

アルカンジェロ・コレッリの生涯

コレッリの13歳以前の事は明確になっていない

実は、コレッリはフジニャーノ(現在のラヴェンナ県内)で生まれたこと以外、若い頃のことは知られていません。コレッリが17歳でアカデミア・フィラルモニカの会員になってから、経歴が明らかにされています。
コレッリの家系は、善い行いをする者もいれば悪人もいる、個性的な血族であったようです。
コレッリが生まれる、ほんの少し前に父が亡くなってしまい、コレッリの幼少期は、母の実家で兄弟とともに育ちました。
その後ウーゴへと渡ったコレッリですが、当時イタリアの器楽音楽発展の最大の拠点であったボローニャを1666年に後にします。
ここでベンヴェーヌティにヴァイオリン奏法を学んだのですが、さらにブロノーニについて音楽家として大きく成功させます。
彼のヴァイオリンの師は、ジョヴァンニ・バッティスタ・バッサーニという人物だとされていますが、定かではありません。
コレッリが、どのような教育を受けてきたのかは不明となっています。
そして、有名な教皇の礼拝堂付き歌手であった、マッテオ・シモネッリが彼に作曲を教えたのではないかともいわれています。

パリでの活躍

コレッリは初期の作品を発表していたころ、みずから「フジニャーノ生まれで、ボローニャの人と呼ばれる、アルカンジェロ・コレッリ」と名乗っていました。
しかし、彼が実際にボローニャに滞在したのは、13歳から17歳までのたった4年間です。
コレッリは、パリで初めて大きな成功をし、これによってヨーロッパで評判を広めます。
22歳の年、コレッリはローマに進出し、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会でヴァイオリン奏者の地位に着きます。
26歳の時に、コレッリはローマのカプラニカ劇場で友人のパスクィーニの歌劇、<義務と愛と慈悲>という作品のオーケストラを指揮しました。
この時、フランスのラゲネは、「私はローマでコレッリ・パスクィーニ・ガエターニの3人が同じオペラで共演するのを聞いたが、この人たちはそれぞれバイオリン・チェンバロ・テオルボにかけては世界の第一人者である。その上、この人たちは1ヵ月か1ヵ月半の間に300から400ピストーラも稼ぐ」と、褒める言葉を記しています。

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コレッリ、活躍の場所をドイツに移す

コレッリはパリからドイツへ拠点を移します。
1681年にはコレッリはバイエルン選帝侯のもとで勤めていました。
そして、1680年から1685年の間の5年間は、多くの時間を友人のクリスティアーノ・ファリネッリの自宅で過ごしています。
そして、コレッリにとって、この時が特に活躍した時期と言えます。
まず、1681年の作品1「トリオ・ソナタ集」をはじめ、作品番号を記した代表作を多く世に放ち、器楽曲の作曲家として名声を高めていきました。
1685年にはコレッリはローマに滞在し、スウェーデン女王クリスティーナのための祭典で音楽公演を指揮します。
また、コレッリは後のローマ教皇アレクサンデル8世となる、ピエトロ・オットボーニ枢機卿の寵臣でもあります。
1689年から1690年にかけてはモデナに滞在していました。
モデナ公もコレッリに対して寛大な対応をするという、良好な関係でした。
ローマで作品5「ヴァイオリン・ソナタ集」を1700年に出版し、この作品集はヨーロッパ中の宮廷で評判となり、何度も再販や再出版が起こるベストセラーになりました。

59歳で生涯を終える

1713年、コレッリは59歳で亡くなりました。調べたところ、コレッリは1710年に病のために公衆の面前に現れなくなりました。ですので、死因は病気と思われます。
コレッリの晩年の楽しみといえば、贅沢をすることのみという寂しい期間でした。
コレッリは、自分の後援者と召使、友人に遺産を譲りますが、友人は寛大にもその財産をコレッリの親類に返還します。
友人たちに愛されているのがうかがえますね。
そして、コレッリの遺体は、ローマのパンテオンに埋葬されました。

コレッリの性格を物語るエピソード

コレッリの曲は、急楽章の中でもヴァイオリンのパートは第四ポジションの最高音である最高音弦のホ(E)音より上に行くことがありません。
一説によると、コレッリはヘンデルのオラトリオ「時と悟りの勝利」の序曲におけるアルティッシモのイ(A)音にまで及ぶ楽節を拒んでいたそうです。
そして、作曲者がその音を演奏したときには、「技術を誇示するためだけにこんな音を弾かせるとは」と、痛烈な批判を浴びせたといいます。
この話を聞くと、コレッリの音へのこだわりと、性格の繊細さが伺えますね。

まとめ

若い頃から才能を発揮したコレッリですが、人生の最期には少し寂しさを感じますね。
59歳で亡くなったコレッリですが、調べてみると人との縁にはとても恵まれていたのだと思いました。
音にこだわりぬいたコレッリですが、どんな音楽なのか気になった方は是非CDやYouTubeで聞いてみてくださいね。

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