エドヴァルド・グリーグってどんな人?その生涯や性格は?死因は?

出典:[amazon]Grieg-the Piano Music in His

エドヴァルド・グリーグという作曲家をご存知ですか?。エドヴァルド・グリーグ(以下グリーグ)は、北欧ノルウェー出身の作曲家で、国民楽派の代表的人物です。

またグリーグは卓越したピアノテクニックと作品の美しい旋律から「北欧のショパン」と評されています。生涯で1曲だけ作曲した「ピアノ協奏曲」がもっとも有名な作品であり、また組曲「ペール・ギュント」は誰しも一度は聞いたことのある作品だと思います。

今回は、北欧の大地と海が育んだグリーグの生涯を解説します。

グリーグの生涯


音楽界のみならず、ノルウェーの文化を世界に広めた功績により、旧500クローネ紙幣の肖像画にも使用されたグリーグ。彼の人生はどのようなものだったのでしょうか。幼少期から順にご紹介していきます。

幼少期から音楽院時代

エドヴァルド・グリーグは1843年ノルウェーの旧首都ベルゲンで5人兄弟の4番目として生まれました。父は地元の名士で、アマチュア管弦楽団に所属する音楽愛好家でした。

母はピアノを学んでおり、グリーグが最初にピアノの手ほどきを受けたのは母からでした。幼少の頃から類い稀な才能を発揮したグリーグは、当時人気のヴァイオリニストであったオーレ・ブルの勧めで、15歳でドイツのライプツィヒ音楽院に入学します。

3年半の間、ピアノと作曲を学んだグリーグは、首席で同音楽院を卒業しました。ライプツィヒ音楽院時代にクララ・シューマンが演奏するシューマンのピアノ協奏曲を聴いたことが、その後のグリーグのピアノ協奏曲に大きな影響を与えたと言われています。

兄もライプツィヒ音楽院に通いましたが、音楽の道には進まず、別の道を歩みました。グリーグが作曲した「チェロ・ソナタ」は、兄に捧げられています。

音楽院卒業後

音楽院を卒業すると、さらに作曲を勉強するためにデンマークのコペンハーゲンに移り住みます。その地でロマン派の大家であったニルス・ゲーゼに師事し、音楽の勉強を続けました。グリーグの「ピアノソナタ」「交響曲」(発表せず)、「ヴァイオリンソナタ」はこの頃の作品です。

またコペンハーゲンに滞在中、グリーグに嬉しい出来事が起こります。幼い頃から親しかった従妹のニーナ・ハーゲルップと偶然再開し、紆余曲折を経て、24歳で結婚することになりました。妻となったニーナはとてもすぐれた声楽家で、グリーグの歌曲の大部分がニーナへ捧げられています。

世界的作曲家から晩年まで

コペンハーゲンでの生活を終えたグリーグは、1867年、祖国ノルウェーへ帰国します。帰国後はクリスチャニア(現オスロ)のクリスチャニア交響楽団の指揮者を務めたり、作曲活動に力を注ぎました。

翌年1868年、25歳のときに、グリーグは「ピアノ協奏曲 イ短調」を発表し大成功を収めます。31歳になると、ノルウェーの音楽を広めた功績から、ノルウェー本国より芸術家年金を授与され、生活も安定するようになりました。

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また、33歳で初演された「ペール・ギュント」も好評を博し、グリーグの名声はヨーロッパでも高まり、その後、世界各国から演奏旅行の依頼が舞い込むようになります。

40代になり作曲家としての地位を確立したグリーグは、べルゲンにほど近い「妖精の丘」を意味するトロールハウゲンに移住しました。そして以前から研究していたノルウェーの民族音楽についての知識を深めました。

ピアノ曲の代表作である「抒情(じょじょう)小曲集」の大部分は、トロールハウゲン移住後に作曲された作品であることから、この頃のグリーグは心身ともに充実していたことが想像できます。グリーグは晩年のおよそ20年間をトロールハウゲンで過ごし、作曲や演奏旅行などを精力的に行いました。

死因について

20世紀に入って間もない1901年頃から、グリーグの体調に変化がみられました。60歳を前にして、体調が悪化し始めます。ライプツィヒ音楽院時代から胸膜炎を患っていたため、その影響が年齢とともに出たのかもしれません。

しかしグリーグは、演奏依頼があると喜んで演奏旅行へ出かけたそうです。晩年のグリーグの生活は、春から夏にかけて作曲、夏から秋は山歩き、秋から冬は演奏旅行をするという、落ち着いた豊かなものでした。

そのような生活を送っていましたが、1907年イギリスのリーズ音楽祭へ向かう途中で体調が急変し、ベルゲンの病院へ搬送されます。最善をつくしたものの、回復することはなく、心不全のため63歳でその生涯を終えました。世界中の人々がグリーグの死を悲しみ、電報や手紙が数多く寄せられ、亡くなったベルゲンの街には、4万人もの人が訪れて偉大なる芸術家の死を惜しみました。

エピソード

「ピアノの魔術師」フランツ・リストとのエピソードがあります。あるとき、グリーグはピアノ協奏曲のスコアを持ってリストの元へ訪ねます。第3楽章のスコアを見たリストは、初見で全て完璧に弾きこなしたそうです。そしてグリーグに対して「これこそまさに北欧だ!」といって賞賛しました。そして「このまま進みなさい。何も臆することはないよ」と激励し、グリーグを励ましたという心温まる逸話が残っています。

こんなエピソードもあります。
妻ニーナとともにチャイコフスキーと面会したときのことです。妻のニーナと会ったチャイコフスキーは「非常に優れた、完成された歌手。しかもこんなに教養のある夫人を見たことがない」と大絶賛したそうです。そして「2人とも無邪気で、好ましい夫婦だ」という感想を述べています。

まとめ

いかがでしたか?。今回はグリーグの生涯をエピソードを交えながら解説しました。チャイコフスキーやリストとのエピソードなどを聞くと、クラシックファンには夢のような出来事ですね。

グリーグの音楽には、聴く人の心を捉えて離さない不思議な魅力があります。とくに歌曲やピアノ曲は、グリーグらしい優しい旋律と祖国ノルウェーへの愛が深く込められています。コンサートのプログラムで発見したら、ぜひ足を運んで聴きに行ってみてください。

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