イサーク・アルベニスってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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19世紀のスペインを代表する作曲家イサーク・アルベニスをご存じですか?ピアニスト、指揮者、作曲家として活躍したアルベニスは、祖国スペインはもとより、フランス、ベルギー、ドイツなどヨーロッパ各国で絶大な人気を獲得し、同時代の作曲家や後進の音楽家たちに大きな影響を及ぼしました。スペインの民俗音楽を取り入れたアルベニスの作品を一言で表すならばまさに「情熱のかたまり」です。そして彼が表現した音楽への情熱は、ファリャやロドリーゴといった同郷の作曲家たちに引き継がれます。

そこで今回は、スペインをもっとも代表する作曲家の1人、イサーク・アルベニスの生涯について、エピソードを交えつつ紹介します。

イサーク・アルベニスの生涯について

イサーク・アルベニスはどの様な人生を歩んだのでしょうか。48年という短い生涯だったものの、その人生はエンターテイメントに溢れていました。

類い稀なる神童

イサーク・アルベニス(以下アルベニス)は、1860年、スペインのカタルーニャ地方にあるカンプロドンで生まれました。音楽一家ではなかったものの、アルベニスは類い稀なピアノの才能を発揮し、なんと4歳で初舞台を踏む「神童」として早くから注目を集めます。
7歳からアントワーヌ・フランソワ・マルモンテルから本格的なレッスンを受け、10歳を待たずにパリ高等音楽院ピアノ科に合格します。しかし「年齢が若すぎる」という理由から入学を拒否され、結局パリ高等音楽院への入学は叶いませんでした。
アルベニスがコンサート活動を開始したのは9歳の頃。父親とともにスペイン北部を中心に演奏活動してまわり、早くから世間でも注目を集めます。

その後1876年、ライプツィヒ音楽院に短期留学したのち、アルフォンソ国王の秘書ギジェル・モルフィ伯爵の許可を得て、ベルギーのブリュッセル王立音楽院に入学を許されました。異国の地でもその才能を存分に発揮したアルベニス。1979年の卒業コンテストでは、満場一致の一等となり音楽院をあとにします。

ヨーロッパ中で大人気

スペインに帰国したアルベニスは、ピアノの超絶技巧によりすぐさま人気を獲得し、サルスエラ劇団の音楽監督に就任。またこの頃から作曲や指揮も始め、徐々に音楽家としての認知が高まります。

1885年からマドリードに移り住んだアルベニス。その後、彼の擁護者であったモルフィ伯爵の庇護(ひご)のもと、教育センターやフィルハーモニー研究所の教授を務めるなど、多方面でその才能を発揮します。また、1888年に開催されたバルセロナ万国博覧会では、ピアノ・メーカーの「エラール」がスポンサーとなり、アルベニスの音楽を取り上げた20ものコンサート・シリーズが開催されるほどの人気となりました。

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そして万博でのコンサート・シリーズ開催により、アルベニスの名声はヨーロッパ各国へと伝わり、1889年から1892年にかけてヨーロッパ各地を回る演奏旅行に発展したのでした。
これをきっかけに、1890年代のアルベニスはイギリス・ロンドンに拠点を移し、音楽喜劇やオペラ、さらにはミュージカル音楽も担当する人気作曲家としての地位を確立します。
彼の代表作『マーリン』を制作したのもこの頃です(アルベニスの存命中には上演されず)。その後およそ10年間、才能とエネルギーのすべてを舞台音楽の創作と制作に捧げたアルベニスは、次の活躍の場としてパリに移り住みます。

早すぎる死

新天地でさらなる活躍を望まれたアルベニス。しかしそんな彼の体に異変が起き始めます。1900年に腎臓病(当時の病名「ブライト病」)を患い始め、これまでのようなエネルギッシュな活動ができず、ピアノ曲の作曲など身体に負担の少ない活動に制限されてしまいます。
そんな病身のなか、1905年から1908年にかけて作曲されたのが、晩年の代表作である組曲『イベリア』です。体調回復が望まれたものの、病状は悪化の一途をたどり、翌年の1909年5月18日、腎臓病のため滞在地フランスにてこの世を去りました。享年48歳という若さでした。

アルベニスの遺体は祖国スペインに運ばれ、現在はバルセロナのモンジュイック墓地で静かに眠っています。

イサーク・アルベニスのエピソードについて

音楽界に彗星の如く現れ、あまりにも短い生涯を送ったアルベニス。そんな彼は、自己プロデュースの才能も持っていたようです。

自分をプロデュース

アルベニスは、自分が賞賛されるような「作り話」を生み出す天才でもありました。アルベニスは幼少期から家出癖があったことが伝えられていますが、これはすべてアルベニスによる「作り話」でした。たとえば、

・アメリカ行きの密航した
・放浪のボヘミアンとしてヨーロッパを旅した
フランツ・リストに会った

といった話は全部ウソだったようです。
ではなぜ、こんな作り話をしなければならなかったのでしょうか。それはおそらく「自己プロデュース」のためと「話題作り」にあると考えられています。
舞台のプロデューサーとしても活躍していたアルベニスは、聴衆の心理を動かす天才だったのかもしれません。

まとめ

今回はイサーク・アルベニスの生涯を解説しました。ピアノのヴィルトゥオーゾであり、エンターテイナーとしても人気を獲得したアルベニスの作品は、現在も広く聴衆から愛されています。48歳という短い生涯を送ったアルベニスですが、彼のスペイン人としての情熱は後進の作曲家に受け継がれ、新しい時代を切り開くきっかけとなりました。まだアルベニスの作品を聴いたことがない方は、一度彼の情熱的な作品を味わってみてはいかがでしょうか。

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