ベンジャミン・ブリテンってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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ベンジャミン・ブリテンは20世紀を代表するイギリスの作曲家です。幼少期より天才的な才能を発揮し、オペラ『ピーター・グライムズ』や『戦争レクイエム』といった数々の優れた作品を世に送り出しました。

日本ではあまり知られていない作曲家ですが、本国イギリスでは「イギリス王妃から直接オペラを委嘱された」作曲家として、その功績が讃えられています。そんな偉大な作曲家ベンジャミン・ブリテンとはどのような人物だったのでしょうか。今回は彼の生涯についてエピソードを交えながら解説します。

ベンジャミン・ブリテンの生涯について


ベンジャミン・ブリテンの生涯について解説します。どうやら幼少期の頃から類い稀な才能を発揮したようです。

天才少年現る

ベンジャミン・ブリテンは、1913年イングランド・サフォーク州の港町ロウストフトに生まれました。父ビクターは歯科医を営み、母のイーディスもアマチュアソプラノ歌手として活躍していたため、家庭は比較的裕福だったと言います。

2歳で早くも音楽に興味を示したブリテンは、5歳で歌曲を作曲。7歳でヴィオラも習い始めるなど、幼少期よりその楽才を発揮します。息子の才能を重要視した父ビクターは、ブリテンの才能を阻害しないよう環境を整えることに尽力したそうです。

そんな天才少年ブリテンにとって人生最初の転機となったのは、10歳の時に音楽祭で聴いた、フランク・フリッジ作の交響組曲『海』との出会いでした。あまりに感動したブリテンは、音楽祭終了後にフランク・フリッジ本人と対面し、これがきっかけとなり後にフリッジと師弟関係へと発展します。

学生時代から大学卒業まで

1930年、17歳となったブリテンは奨学金を得てロンドン王立音楽大学に進学。しかし音楽大学の勉強では飽きたらなかったブリテンは、ウィーンに在住していたアルバン・ベルクの下で学びたいと懇願するものの、大学側からこれを拒否され、その願いは断念せざるを得ませんでした。もしこの時に大学から留学許可が降りていたら、現在のブリテンの作風は大きく異なるものになっていたかもしれません。

大学時代のブリテンは、モーツァルトなどのドイツ音楽や、マーラーやショスタコーヴィチといったロマン派やロシア音楽などの作品に影響を受けていたそうです。
また、在学中に多くの習作も発表しており、なかでも『シンプル・シンフォニー』はブリテン初期を代表する作品として今日も親しまれています。

1934年に大学を後にしたブリテン。そのまま音楽の道に進むかと思いきや、イギリス郵政局映画部へ入社し、2年間にわたりドキュメンタリー映画や記録映画の制作に携わります。一見すると寄り道のように思える進路ですが、この仕事を通じてウィスタン・ヒュー・オーデンと知り合い、芸術面や思想面においてブリテンはオーデンから強い影響を受けることになります(ちなみにオーデンは20世紀最高の詩人と称される人物の一人です)。

世界的音楽家として

映画部を退職したブリテンは、1937年に作曲の師であるフランク・フリッジをテーマとした『フランク・フリッジの主題による変奏曲』を作曲。ザルツブルグ音楽祭での初演が大成功となり、ブリテンの国際的名声を得る出世作となりました。

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その後、徐々に戦争の足音がイギリスにも届くようになり、ブリテンは戦禍を逃れるためアメリカ・ニューヨークへの移住を決意します。およそ2年余りの短い滞在期間でしたが、アメリカ滞在中も創作活動は衰えず、『ヴァイオリン協奏曲』などの大曲を完成させています。また、日本政府から皇紀2600年奉祝曲として『シンフォニア・ダ・レクイエム』の作曲も委嘱されたのもこの時期です。

イギリスに帰国したブリテンはサフォーク州オールドバラに居を構え、オペラ『ピーター・グライムズ』(1945年)や『青少年のための管弦楽入門』(1946年)、『春の交響曲』(1949年)といった多くの傑作を生み出し、世界的名声を獲得します。

1940年代後半には「イギリス・オペラ・グループ」や現在も続いている「オールドバラ音楽祭」を設立するなど、ブリテンはイングランド音楽界の発展に大きく寄与しました。

また1956年には日本を訪れ、能楽『隅田川』に強い感銘を受けたブリテンは、能楽の手法を活かした意欲的作品『カーリュー・リヴァー』を発表し、自身の作曲家としてのあり方に新たな地平を切り開きます。

意欲的な晩年

晩年も創作意欲が衰えなかったブリテン。1962年には、戦争による「全ての国の犠牲者への追悼」として作曲された『戦争レクイエム』が世界的注目を集め、今日でも追悼の意を表す際の定番曲としてたびたび演奏されています。

1970年代に入りブリテンの健康状態が悪化し始めますが、それでもオペラ『ヴェニスに死す』に取り掛かり、1973年、ブリテン最後のオペラとしてこれを完成させました。最晩年のブリテンは心臓手術により車椅子生活を余儀なくされ、1976年に病状が悪化します。同年12月にうっ血性心不全を起こし、オールドバラの自宅にてこの世を去りました。享年63歳でした。

性格を物語るエピソードについて


ブリテンのエピソードについて紹介します。自分に厳しい人物だったようですが、その一方で、ユーモアの才能も兼ね備えていました。また、ブリテンはイギリスの作曲家として初めて「ロード」の称号を授与されています。

イギリス王妃からオペラを委嘱される

日本ではそれほど有名とは言えませんが、イギリス本国におけるブリテンは「イギリス音楽を引き上げた立役者」として多くの国民に愛されています。ブリテンにまつわる特に有名な話として「イギリス王妃から直々にオペラを委嘱された」というエピソードがあります。
イギリス王室から作曲家に直接作曲を依頼するというのは極めて異例なことで、これを耳にした作曲家ヴォーン・ウィアムスは「イギリス君主が自国の作曲家にオペラを委嘱するのは歴史上始まって以来の出来事」と述べ、驚きを露わにしました。

そして、王妃により依頼されたオペラ『グロリアーナ』を見事完成させたブリテンは、音楽家として初の「ロード」の称号を授与されています。

まとめ

いかがでしたか?今回はイギリスを代表する作曲家ベンジャミン・ブリテンの生涯について解説しました。彼の人生を辿ってみると、その人生はまさに「音楽のために」捧げられたものだったことがわかります。日本ではあまり馴染みのない作曲家かもしれませんが、ブリテンはオペラや室内楽、管弦楽といった多岐にわたるジャンルの作品を残しています。この記事を読んでブリテンの作品に興味を持った方は、ぜひその才能に触れてみてはいかがでしょうか。

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