レイフ・ヴォーン・ウィリアムズってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズという作曲家をご存知でしょうか?ヴォーン・ウィリアムズは19世紀後半に生まれ、20世紀中期まで精力的に活動したイギリスが誇る最大の作曲家です。

同時代の作曲家にはエドワード・エルガーやグスターヴ・ホルストがおり、特にホルストとは学生時代から親交を深め、作曲中の作品を互いに批評しあった仲でもありました。

また、イングランド各地の民謡収集にも尽力したヴォーン・ウィリアムズは、その功績により、後年イギリス王室より名誉ある「メリット勲章」を授与されています。

そんなヴォーン・ウィリアムズはどのような人生を歩んだのでしょうか。今回はヴォーン・ウィリアムズの生涯について解説します。

ヴォーン・ウィリアムズの生涯について

裕福な家庭に育ち若くして才能を発揮したヴォーン・ウィリアムズ。しかし作曲家としてデビューしたのは30歳という遅咲きの人物でした。

裕福な家庭に生まれる

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは、1872年10月、グロスターシャーのダウン・アンプニーに生まれました。父アーサーはイングランド国教会に関わる仕事に携わっていましたが、ヴォーン・ウィリアムズが3歳の頃にこの世を去ります。その後、母マーガレットと共に、イギリス南東部の街サリーへ移住し、母方の実家にて幼少期を過ごしました。

早くに父を亡くし、さぞかし生活が苦しかったろうと思いきや、母マーガレットは王室御用達陶器で有名な「ウェッジ・ウッド家」という名家の令嬢であったため、生活に困ることはありませんでした。

母の実家に移住した後、ヴォーン・ウィリアムズは叔母のソフィから音楽の手ほどきを受け、6歳でピアノと作曲を、7歳でヴァイオリンを習い始めます。やがて成長したヴォーン・ウィリアムズは名門パブリックスクールとして知られるチャーターハウス校へ進学。

卒業後は王立音楽院へ入学し、またケンブリッジ大学では歴史学と音楽を専攻しています。名門校に通っていただけあり、ケンブリッジ大学時代の同世代には哲学者バートランド・ラッセルや分析哲学の巨人ジョージ・ムーアが在籍していました。

王立音楽院では、指揮者レオポルト・ストコフスキーや作曲家グスターヴ・ホルストと出会い、両者とは生涯に渡り親交を深めています。

イングランド各地の民謡収集を開始

作曲家として世に出たのが比較的遅かったヴォーン・ウィリアムズ。30歳にしてようやく歌曲集を出版し、作曲家の仲間入りを果たします。それと並行して、1900年初頭からイングランド各地の民謡を収集し始め、イングランド音楽復興に心血を注ぎます。

民謡収集の際には、ヴォーン・ウィリアムズ自ら現地に赴くことも少なくなく、その土地に伝わる民謡や伝承などを丹念に調べ、最終的にその成果はヴォーン・ウィリアムズ著『国民音楽論』という1冊の本にまとめられています。

民謡収集に尽力しながらも、作曲への情熱は失われることなく、『トマス・タリスの主題による幻想曲』(1910年)、『海の交響曲』(1910年)、『ロンドン交響曲』(1912年)といった傑作を次々に発表し、これらの成功が作曲家としてのヴォーン・ウィリアムズに大きな名声をもたらしました。

一方で、この成功の影には、1907年に3ヶ月間だけ師事したモーリス・ラヴェルによる影響が大きいとされています。ラヴェルとの出会いにより、ヴォーン・ウィリアムズの才能は長足の進歩を遂げたといっても過言でありません。

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その後、第1次・第2次世界大戦の2つの戦争を経験するも、戦争を生き抜いたヴォーン・ウィリアムズは、再び作曲に専念。年齢が増すにつれ、その作風は円熟味を帯びた抒情的なものへと変化します。第2次世界大戦中の1943年には、イギリスにおけるクラシックの最大イベント「プロムス」にて『交響曲第5番』を自らの指揮で演奏し、70歳にしてさらなる進化を遂げます(『交響曲第5番』はヴォーン・ウィリアムズが敬愛した作曲家シベリウスに献呈されました)。

作曲家としての生涯を全うする

70歳を過ぎてなおヴォーン・ウィリアムズの作曲意欲は衰えず、1958年にこの世を去るまでに『交響曲第6番』(1946年)、『南極交響曲』(1948年)、『交響曲第8番』(1955年)、そして最後の交響曲『交響曲第9番』(1957年)を作曲。その生涯の全てを音楽に捧げました。

またこれら以外にも、クラシック音楽唯一の協奏曲『バス・テューバのための協奏曲』やクリスマス・カンタータといった宗教曲、エリザベス女王戴冠式のための「古い詩篇100のふし」を編曲し、その才能を余すことなく世に送り、イギリスにおける20世紀最大の作曲家として不動の地位を獲得するに至ります。

そして1958年、『交響曲第9番』の録音を翌日に控えた1958年8月26日、ヴォーン・ウィリアムズは心臓発作を起こし85歳でこの世を去りました。多くの若手音楽家や演奏家に愛されたヴォーン・ウィリアムズは、ウェストミンスター寺院で静かに眠っています。

性格を物語るエピソードを紹介

ヴォーン・ウィリアムズの性格を物語るエピソードを簡単に紹介します。

「サー(ナイト)」の称号を一度断る

イギリス音楽への多大な貢献により、イギリス王室から「サー(ナイト)」の称号を授与されていてもおかしくないはずですが、これに対しヴォーン・ウィリアムズは「勲章なんていらない」や「ナイトになんてなりたいとも思わない」と述べ授与を断っています。

その理由は、自身がウェッジウッド家という名門に育ったこともあるかもしれませんが、社会主義的政治信条によるものだとも言われています。

最終的に勲章の中で最も名誉ある「メリット勲章」を授与されているものの、ヴォーン・ウィリアムズの気骨ある精神が窺い知れるエピソードです。

まとめ

今回はイギリス近代音楽の礎を築いたレイフ・ヴォーン・ウィリアムズについて紹介しました。日本ではあまり聞き慣れない作曲家かもしれませんが、本国イギリスでは「グラン・オールドマン(偉大な老人)」の愛称で広く尊敬の念を集めています。

これまでヴォーン・ウィリアムズの事を知らなかった方も、この記事をきっかけに少しでも興味を持っていただければ幸いです。特に今年(2022年)はヴォーン・ウィリアムズ生誕150周年に当たります。そのため日本各地で関連コンサートが催される機会も増えるかもしれません。もしプログラムでヴォーン・ウィリアムズの作品を見かけることがあれば、思い切って足を運んでみてはいかがでしょうか。

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