フェリックス・メンデルスゾーンってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]メンデルスゾーン:無言歌集(全曲)、他

メンデルスゾーンの作品はクラシック経験者でも、他のロマン派の有名な作曲家に比べると演奏経験は少ないかもしれません。また、クラシック音楽を好んでいる人からすれば有名な作曲家ですが、クラシック音楽にあまり関わってこなかったという人からすれば、名前に聞き覚えがない可能性もあります。

そんなメンデルスゾーンですが、実は一般的に知られているかなり有名な曲も遺していました。そのうちの1曲、「結婚行進曲」といえば、結婚式でのBGMとしては定番です。では、そのメンデルスゾーンの生涯や人物像について紹介していきます。

フェリックス・メンデルスゾーンの生涯

ドイツでロマン派の音楽家として活躍したメンデルスゾーンは、作曲家、指揮者、ピアニストなどの活動をしていました。当時の音楽界へたくさんの大きな影響を及ぼした人物ですが、ユダヤ人という理由から、生前は迫害を受けたり、亡くなった後も作品の演奏を取り締まられたりしたようです。

メンデルスゾーンの家族

1809年、メンデルスゾーンは、同じ時代の有名な音楽家たちの中でも特に裕福な家庭に生まれました。祖父は有名な哲学者のモーゼス・メンデルスゾーン、父は銀行家のアブラハム・メンデルスゾーンで、幼いころから多くのことを学べる環境にあったそうです。また、姉はファニー・メンデルスゾーンという、ドイツの作曲家でありピアニストとしても有名な女性の音楽家でした。メンデルスゾーンの名前で出版された作品の中には、彼女の作品が1部含まれているようです。それはメンデルスゾーンの家が、女性が音楽家として活動をすることを良く思わなかったためだと言われています。

幼少期のメンデルスゾーン

6歳の時に母からピアノを教わり、その後教師のもとで学びました。父とパリに行きレッスンを受け、カール・フリードリヒ・ツェルターというドイツの作曲家であり音楽教師だった人物から、作曲を学んでいます。このことが、メンデルスゾーンの作曲に対し重要な影響を与えたと考えられているようです。

幼いころからいわゆる神童とされていたメンデルスゾーンですが、初めての演奏会は9歳で行ったと言われています。また1821年に、ツェルターの紹介によってドイツの文豪だったゲーテのところを訪れて以降、ゲーテの詩に曲を付けていました。

フェリックス・メンデルスゾーンの音楽活動について

演奏者、指揮者、指導者として知られるメンデルスゾーンの、それぞれの活動について紹介します。

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指揮者としてのメンデルスゾーン

まず、1829年にバッハの「マタイ受難曲」を自身の指揮で演奏したことが、バッハの音楽を復活させることに大きく貢献した、というエピソードが残されています。演奏会は大成功し、その際の利益は、生活の苦しい少女たちが通うための裁縫学校を設立するために使われました。そしてこの演奏会には、当時の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世を含む、著名な人たちが来ていたようです。

1833年にはデュッセルドルフで音楽監督、1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で指揮をしました。デュッセルドルフでは、ヘンデルの音楽が再び評価されるきっかけとなったり、ライプツィヒでは若い作曲家たちの曲を演奏したりと様々な貢献をしました。1839年には、既に亡くなっていたシューベルトの「交響曲第8番」の初演も行っています。

また、指揮者というものを確立させたのもメンデルスゾーンだと言われていて、それまでは指揮者がオーケストラに指示をするというような感覚ではなかったようです。

鍵盤楽器奏者としてのメンデルスゾーン

メンデルスゾーンは、ピアノだけでなくオルガンの演奏も得意としていて、鍵盤楽器奏者として知られていました。また即興演奏に関する逸話や、鍵盤楽器の独奏だけではなく、伴奏者としても評価が高かったとされるコメントも残されています。

指導者としてのメンデルスゾーン

1843年にライプツィヒ音楽院を設立し、自身が院長を務めました。その際には当時の音楽家たちを講師として招き、自身も1部の生徒を教えたそうです。

フェリックス・メンデルスゾーンとはどんな人物だったのか

メンデルスゾーンは、音楽だけでなく美術や文学などの様々な分野にも興味を示し、多くの国の言葉を使いこなしていました。また比較的良い人物として語られることが多いようですが、実際はそれだけではなかったようです。

恋愛

1837年に、前年に知り合ったとされているセシル・シャルロット・ソフィ・ジャンルノーという女性と結婚しました。この女性との間にはたくさんの子供が生まれています。

しかし、メンデルスゾーンが別の女性を駆け落ちに誘うような文章が残されているらしく、相手はメンデルスゾーンが亡くなる数年前に出会っていた、スウェーデンのソプラノ歌手だとされています。

宗教関連

メンデルスゾーンには、バルトルディという姓もあるのをご存じでしょうか?これは、メンデルスゾーンというユダヤ系の姓から、改宗した後の姓を名乗ることになった際に付けられたものだと言われています。しかし、メンデルスゾーンはユダヤ人ということも知られていましたし、本人もそのままの姓を名乗っていました。

性格

慈善公演や音楽院の設立などから、良い人物のような印象を受けるメンデルスゾーンですが、実は少しだけ難しい部分もあったそうです。それは、ユダヤ人として受けた差別が影響しているとされています。

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