ヤッシャ・ハイフェッツってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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20世紀最高のヴァイオリニストの1人、ヤッシャ・ハイフェッツ。クラシック音楽ファンの方なら、ご存知の方も多いのではないでしょうか。大指揮者トスカニーニに寵愛され、クライスラーからも絶賛された彼の演奏は、20世紀のヴァイオリニストのあり方に大きな影響を及ぼしました。ハイフェッツの名前を初めて聞いた方も、この記事を読んでぜひ彼の演奏に触れてみて下さい。
今回はハイフェッツの生涯について解説します。

ハイフェッツの生涯について

ヤッシャ・ハイフェッツはどのような人生を送ったのでしょうか。
早熟の天才として早くから世間の注目を集め、20世紀のクラシック音楽界に多大な功績を残した彼の人生を振り返ってみましょう。

7歳でデビュー

ヤッシャ・ハイフェッツ(以下ハイフェッツ)は1901年ロシア帝国領(現在はリトアニア領)のヴィナリという街に生まれました。
音楽一家に育ったハイフェッツは、地元のヴァイオリン教師で劇場オーケストラのコンサートマスターを務めた父からヴァイオリンの手ほどきを受けます。

3歳で初めてヴァイオリンに触れたハイフェッツ。父の熱心な教育のかいもあり、早くから神童と称されていたようです。驚異的な才能を示した彼は、5歳で地元音楽院のヴァイオリニストの指導を受け、わずか7歳でコンサートデビューを果たします。

7歳の少年がメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』でデビューするとは、驚異的としか言いようがありませんね。

サンクトペテルブルク音楽院に入学すると、12歳で大指揮者アルトゥール・ニキシュの紹介でベルリンデビューとなりました。またこの当時、ベルリンの民家で開催されたコンサートでフリッツ・クライスラーと出会い、クライスラーを驚愕させたというエピソードが残されています。

1917年、16歳となったハイフェッツはカーネギー・ホールでアメリカデビュー。その後ロシアでの混乱を避けるため、以降アメリカでの生活が始まります。余談ですが、ハイフェッツの演奏があまりにも素晴らしかったため、アメリカでのデビューは一大センセーションを巻き起こしたそうです。

第2次世界大戦中

10代の頃からヨーロッパ中を演奏旅行でまわったハイフェッツ。若くして世界的成功を収めた彼も、戦争の影響は避けられませんでした。
第2次世界大戦中のハイフェッツは演奏家としての活動のほか、編曲家としての才能を示し、多くの作品を編曲しています。

また、戦時中はヨーロッパ各地の連合軍キャンプを訪ね、ジム・ホイルという別名で作曲もしていたようです。音楽家として何ができるかを、ハイフェッツは常に考えていたのですね。

その後、演奏活動に復帰したハイフェッツですが、1950年代半ばから演奏活動を大幅に縮小し、表舞台から徐々に姿を消し始めます。これについては、1958年に右の股関節を骨折したことが大きく関わっているようで、一時は杖をついて舞台に入場したと言います。

指導者としての晩年

さらに1972年に右肩の手術を受けたハイフェッツは、これ以降コンサートとレコード制作すべてを中止せざるを得ない状況にまで追い込まれます。

しかしそんなハイフェッツの心を勇気づけたのが、後進の演奏家への教育でした。
演奏家として活動できなくなったハイフェッツですが、南カリフォルニア大学(UCLA)でマスタークラスを開講し、若き音楽家たちにインスピレーションを与え続けます。

晩年1980年代のハイフェッツは、自宅のプライベート・スタジオでも音楽クラスを開き、後進の指導に意欲的に取り組みました。当時の生徒には、エリック・フリードマンやルドルフ・ケルマン、ポール・ローゼンタールなどがおり、ハイフェッツの良き理解者、そして愛弟子として世界的に活躍しています。

演奏家、編曲家、教育者としてクラシック音楽界に多大な貢献を残したハイフェッツは、1987年にロサンゼルスにてこの世を去りました。86歳という人生でした。

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ハイフェッツの性格を物語るエピソードについて

ハイフェッツのエピソードを4つ紹介します。
同時代に生きたヴァイオリニストたちは、彼の存在に大変な苦労をしたようです。

クライスラーが絶賛

『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などの作品で知られる、フリッツ・クライスラー。現在でもその作品の数々は、多くのファンから愛されています。

そんな天才クライスラーでさえ、ハイフェッツの才能には舌を巻いたそうです。
13歳のハイフェッツの演奏を目の当たりにしたクライスラーは、次のような感想を述べています。

「私も君も、ヴァイオリンを叩き割ってしまった方がよさそうだ」
「私の究極の到達点をスタートラインにして、無限に記録を伸ばした天才」

この発言から、ハイフェッツのとてつもない才能がうかがい知れますね。

他のヴァイオリニストを絶望させる

ハイフェッツのあまりの天才ぶりに、同時代の多くのヴァイオリニストが絶望したと言われています。それほど彼の才能は凄まじく、ハイフェッツへの劣等感から「ハイフェッツ病」が流行したそうです。本人に罪はまったくありませんが、同時代に生きたヴァイオリニストの心情を想像すると気の毒な気がしますね。

しかしハイフェッツの存在は、20世紀以降のヴァイオリン解釈にとって絶大な影響をもたらしたことは言うまでもありません。

ハイフェッツでも弾けない曲?

ハイフェッツは同時代の作曲家たちとも交流を深めています。
なかでも親しかったのが、十二音技法の創始者であり新ウィーン楽派を代表するアルノルト・シャーンベルクです。アメリカ時代には家も近く、シェーンベルクはたびたびハイフェッツに作品の初演を依頼していました。
そんなある日、シェーンベルクは自身の『ヴァイオリン協奏曲』の初演を彼に依頼します。
現在でこそ、シェーンベルクの『ヴァイオリン協奏曲』は20世紀初頭を代表する作品ですが、当時の時代ではあまりにも斬新でした。

楽譜をみたハイフェッツは、「この作品を演奏するには指が6本必要」と初演を断ります。
結局、別の演奏家によって初演が行われましたが、後年、断ったことを後悔したとのこと。

ハイフェッツが愛したヴァイオリン

ハイフェッツは、1714年製のドルフィン・ストラディヴァリウス、1731年製のピエル・ストラディヴァリウス、1736年製のカルロ・トノーニ、1742年製の元ダヴィデ・グァルネリ・デル・ジェスを所有していました。とくに最後の1本は彼が好み、亡くなるまで保管していたと言います。

また、ハイフェッツの遺言により、愛用のグァルネリはサンフランシスコ名誉騎士団博物館に保管され、「特別な機会」に「ふさわしい演奏者」のみに貸与されるとのこと。
まさに伝説のヴァイオリンという感じがしますね。

ハイフェッツの華麗なる演奏動画

数々の名演の中から、今回はバッハの『シャコンヌ』とパガニーニの『24のカプリース』を紹介します。「ハイフェッツの後にハイフェッツなし」と言われた演奏をご覧ください。

ハイフェッツによる『シャコンヌ』は、その後のバッハ解釈を決定づけた名演として、後世の演奏家に多大な影響を与えました。力強くも繊細、そして大胆なバッハ解釈が魅力です。

一方パガニーニの『24のカプリース』では、ハイフェッツの超絶技巧が冴えわたる名演です。こちらも併せてお楽しみください。

今回のまとめ

偉大なるヴァイオリニスト・ハイフェッツの生涯とエピソードについて解説しました。
天才と称されたクライスラーでさえ、ハイフェッツの才能には及ばなかったと言われています。演奏家として活躍したのはもちろんのこと、編曲家・作曲家としても大きな功績を残しているのは驚きですね。
これまでハイフェッツの演奏を聴いたことがなかった方も、この記事を参考にぜひ彼の演奏を聴いてみてください。
人類最高のヴァイオリニストの演奏は必聴の価値ありです!

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