[amazon]CELLIST OF THE CENTURY
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチという演奏家をご存じですか?ロストロポーヴィチは20世紀後半を代表するチェリスト・指揮者であり、その卓越した技術と大胆な音楽的解釈は、多くのファンを魅了しました。また、第2次大戦後は言論の自由や国境のない芸術を目指した功績が讃えられ、国連から国際人権連盟賞を受賞しています。
ロシア語で「栄光」を意味するスラヴァの愛称で親しまれたロストロポーヴィチ。
激動の20世紀を生きぬき、生涯をチェロにささげた彼の人生はどのようなものだったのでしょうか。今回はエピソードを交えつつロストロポーヴィチの生涯を解説します。
ロストロポーヴィチの生涯
ロストロポーヴィチは、生涯をかけて自由の大切さや人権擁護を訴え続けました。
チェリスト、平和活動家として活躍したロストロポーヴィチの人生を振り返ってみましょう。
10代で脚光を浴びる
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、1927年に旧ソビエト連邦のアゼルバイジャンに生まれました。父レオポルトも著名なチェリストであり、あのパブロ・カザルスの教え子だったそうです。母も音楽に造詣が深く、才能溢れるピアニストでした。
そんな音楽一家に育ったロストロポーヴィチは、4歳でピアノを、10歳で父からチェロの手ほどきを受けます。
とりわけチェロに非凡な才能を発揮し、16歳でモスクワ音楽院に入学。音楽院ではチェロのほか、ピアノや指揮、作曲を学び、その才能を開花させます。
1942年に人生初のリサイタルを開いたロストロポーヴィチ。その後1945年に行われた「若い音楽家のためのコンクール」では金賞を受賞し、早くからチェリストとして脚光を集めることとなりました。その名声は東欧でも評価され、プラハやブダペストの国際音楽賞でも第1位を獲得しています。
類い稀な才能が大きな評判となったロストロポーヴィチは、ソロ活動を行うかたわら、1956年からモスクワ音楽院のチェロ科教授に招かれました。
またこの頃から、同時代の作曲家や演奏家との交流が始まり、プロコフィエフやリヒテルなどとの共演を果たしています。とりわけロストロポーヴィチの才能を高く評価したのはプロコフィエフであり、彼が作曲した『チェロ・ソナタハ長調』はロストロポーヴィチに献呈されています。
世界的チェリストとして
意外かもしれませんが、ロストロポーヴィチが世界的に活躍し始めたのは、第2次世界大戦後の1960年代のこと。
これはリヒテルの状況と似ていますが、その原因はソビエト当局による監視下にあったためでした。その後1967年、西ドイツでようやくデビューを果たしたロストロポーヴィチは、チェリスト、指揮者として徐々にその名が知られるようになります。
それでもなおソビエト当局の監視は続き、1974年、ロストロポーヴィチはついにソビエトを脱出しアメリカへの移住を決意します。そしてこの行動がソビエト当局の反発を招き、1978年にソビエト市民権を剥奪され、1990年まで2度とソビエトの地を踏むことはありませんでした。
アカデミーの設立、そして晩年
しかし新天地アメリカでの活躍は凄まじく、1977年から1994年のおよそ20年にわたりアメリカ・ナショナル交響楽団の音楽監督・指揮者を務め、アルゲリッチやリヒテル、ホロヴィッツといった世界的演奏家たちと幾度も共演し、彼の名声は揺るぎないものとなりました。
その間、1993年にはクロンベルク・アカデミーの設立にも貢献。後進の音楽家たちの教育にも熱心に取り組んでいます。チェリスト、指揮者、教育者として尽力したロストロポーヴィチですが、2006年に健康状態が悪化。回復のため手術が行われ、治療に専念したものの、2007年4月、80歳でこの世を去りました。死因は腸ガンだったと言われています。
偉大な音楽家の遺体はモスクワ音楽院に安置され、その後キリスト教会に埋葬されました。
ロストロポーヴィチのエピソードは?
ロストロポーヴィチのエピソードにはどのようなものがあるのでしょうか。
ここでは、彼にまつわる話を4つ簡単に紹介します。
かずかずの初演をこなす
ロストロポーヴィチが活躍した時代は、現代音楽や新古典主義音楽などが盛んな時代でした。そのため、彼は多くの作曲家と長きにわたり交流を深め、100曲以上の初演を披露しています。
たとえば、ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、メシアン、バーンスタイン、ハチャトゥリアン、ブリテンなどがその代表であり、彼らとはとくに強い芸術的パートナーシップを築きました。なかでもプロコフィエフの『交響協奏曲』はロストロポーヴィチに献呈され、1952年に初演を行っています。
このことから、ロストロポーヴィチが作曲家から強い信頼を得ていたことがわかりますね。
盟友への涙
彼の交流範囲は作曲家だけにとどまりませんでした。
とりわけ、映画監督のアンドレイ・タルコフスキーとは思想面や芸術面において深い親交を重ねています。そして、1986年にタルコフスキーが亡くなった際の葬儀では、バッハの『無伴奏チェロ組曲』を涙ながらに演奏し、その死を悼みました。
盟友に対するロストロポーヴィチの思いが伝わるエピソードですね。
平和活動家として
ロストロポーヴィチは平和を訴える活動家としても知られています。
そのため、ソビエト政権から嫌がらせを受けたことも少なくなかったそうです。
ソビエトの旧体制に対して、若い頃から反発を覚えたロストロポーヴィチは、政権に抗議する形で21歳のときにモスクワ音楽院の教授を辞職します。
その後もロストロポーヴィチはソビエト体制に反発し続けており、ついに1990年までソビエトの地を踏むことはありませんでした。
一方、彼の表現の自由や平和を求める活動は世界的に評価され、国連から国際人権連盟賞を授与されています。
当時のソビエトにおいて、政権に対する反発は命の危険さえ招きかねないものでしたが、このエピソードから、ロストロポーヴィチの自由への信念が感じられます。
日本が大好きだった
ロストロポーヴィチは大の親日家としても知られています。
最初の来日は、1958年に開催された大阪国際フェスティバルがきっかけでした。
以降、日本を気に入ったロストロポーヴィチはたびたび来日し、相撲や和室などの日本文化に強い関心を示したそうです。あまりの日本好きが高じて、自宅に和室まで作ったそうですよ。
また、お寿司やうなぎといった和食が好物だったらしく、とくにマグロを好んで食べたのだとか。世界的な演奏家から和食が評価されるのは、なんだか嬉しくなりますね。
ロストロポーヴィチの演奏風景
ロストロポーヴィチの演奏風景を紹介します。
卓越した技巧はもちろんのこと、優しく心に響き渡るチェロの音色は、きっと癒しになるはずです。
今回はロストロポーヴィチのかずかずの名演の中から、バッハの『無伴奏チェロ組曲』とドヴォルザークの『チェロ協奏曲』を紹介します。『無伴奏チェロ組曲』は、以前紹介したパブロ・カザルスの演奏と聴き比べるのも面白いかもしれません。
『無伴奏チェロ組曲』
『チェロ協奏曲』
メロディーメーカーとして知られるドヴォルザークの傑作を、完璧な技巧と情熱で演奏する名演です。
まとめ
ロストロポーヴィチの生涯について解説しました。
チェリストとして超一流であるばかりでなく、平和を愛し、自由を重んじた彼の行動は、多くの人々に生きる勇気を与えたことでしょう。
また、ロストロポーヴィチが大の日本好きだったことを知ると、なんだか親近感がわいてしまうのは筆者だけではないはずです。ロストロポーヴィチの演奏に興味を持たれた方は、この記事を参考に、ぜひ他の演奏にも触れてみてください。
きっとチェロの魅力に引き込まれると思いますよ!
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