オリヴィエ・メシアンってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]Olivier Messiaen Complete Edition

オリヴィエ・メシアン(以下メシアン)は、20世紀を代表するフランスの作曲家です。クラシックファンでない方にとってはあまり馴染みのない作曲家かもしれませんが、メシアンは「トゥランガリラ交響曲」や「鳥のカタログ」などの名作を作曲し、クラシック音楽の新たな可能性を開拓しました。また、教育者としても重要な役割を担ったメシアンは、ピエール・ブーレーズやヤニス・クセナキス、カールハインツ・シュトックハウゼンなどを指導し、その音楽的思想を伝えました。そんなメシアンとはどのような人物なのでしょうか。今回はメシアンの生涯について解説します。

オリヴィエ・メシアンの生涯について


メシアンはどのような生涯を送ったのでしょうか。時代ごとにまとめました。

神童として才能を発揮

メシアンは1908年、フランス南部アヴィニヨンに生まれました。父親は英語教師、母は詩人として名高いセシル・ソヴァージュです。生後間もなくアンベールへ移住し、1914年にはグルノーブルに滞在しています。8歳の時にすでに独学で作曲を学んだメシアンは、11歳という若さでパリ国立高等音楽院の入学が許可されます。

1930年までの11年間をパリ音楽院で過ごしたメシアンは、そのころから天才的才能を発揮。和声科・フーガ対位法科・伴奏科などの科目でほぼトップの成績を収め、ポール・デュカスの元で作曲を学んでいます。

オルガン奏者として活躍

1931年からはパリのサントトリニテ教会のオルガニストに就任し、その後60年以上の長きにわたり同教会のオルガニストを務めています。とりわけオルガンの即興演奏が好評を博していたそうです。

1930年代のメシアンは「永遠の教会の出現」「キリストの昇天」「主の降誕」などの重要な作品を作曲したほか、国民音楽教会の委員に選出されるなどで多忙を極めます。1937年に開催されたパリ万国博覧会では、新しい楽器オンド・マルトノを用いた「美しき水の祭典」を披露し、大成功を収めています。

捕虜になりながらも作曲活動

第2次世界大戦を迎えると、メシアンも徴兵され戦地へ赴きます。1940年、ドイツ軍の侵攻により一時的に捕虜となり収容所に収容されたメシアンですが、収容所では図書館やオーケストラ、劇場などがあり、比較的自由な生活を送っていたそうです。さらに収容所内では自由な作曲活動も許可されており、メシアンの代表作「世の終わりのための四重奏曲」は、収容所内で作曲されました。翌1941年に収容所から解放され、メシアンはパリ音楽院の教師に就任します。

終戦後はそれまで熱心に取り組んでいた宗教音楽から離れ、「トリスタン三部作」などの実験的な作品に取り組みます。そして1950年代に入ると「鳥の鳴き声」の採集を開始。メシアンは自然音を音楽で表現するという新しい作風で一世を風靡します。

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穏やかな晩年

1960年代には日本を訪れ、大歓迎をもって迎えられます。そして来日した際、日本の鳥の歌や自然、文化に感銘を受けて作曲されたのが「7つの俳諧」です。またこの頃から「天の都市の色彩」や「われ死者の復活を待ち望む」などの宗教音楽に立ち戻り、大作に取り組むようになります。1970年代には唯一のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」やアメリカ・ユタ州の自然をモチーフにした「峡谷からの星たちへ」など、晩年にいたっても精力的に作曲を続けたメシアン。晩年は小曲の作曲が増えたものの、オルガン曲集「聖体秘蹟の書」に取り組み、1985年には京都賞を受賞するなど、その生涯を音楽に捧げました。しかし京都賞受賞からおよそ7年後の1992年4月、メシアンは83歳でこの世を去りました。死因はガンでした。死後、遺体はメシアンの別荘にほど近い、サン・テオフレに埋葬されています。

性格を物語るエピソードは?

メシアンにはどのようなエピソードがあるのでしょうか。神学者でもあったメシアンは愛に溢れる人物だったようです。また、親日家でもあったメシアンは「俳句」をモチーフにした作品を残しています。

落ち込むブーレーズを励ます

どれほど才能がある人物でも、スランプは訪れるものです。20世紀後半を代表する作曲家、ピエール・ブーレーズもその例外ではありませんでした。ある日、自分の将来を悲観したブーレーズは「この先、誰が現代音楽を牽引すべきでしょうか?」とメシアンに尋ねます。

それに対してメシアンは「何を言ってるんだ、ブーレーズ君。それは君だよ!」と答え励ましたそうです。また、ブーレーズが作曲家になることに反対した父を説得するために、わざわざブーレーズの家まで訪ねて行ったというエピソードも残っています。メシアンの懐の深さが知れる話ですね。

メシアンの活躍は予言されていた?

メシアンの母親・セシル・ソヴァージュは詩人として知られていますが、メシアンが生まれた際に発表した詩集『芽生える魂』の中で次のような一節を残しています。

「私は、私の知らないはるかな音楽のために痛む」

そして母の予言めいた言葉の通り、成長したメシアンはクラシック音楽界に新風を巻き起こし、後世に多大な貢献を残すことになります。メシアン自身のエピソードではありませんが、とても興味深いエピソードです。

親日家としても知られる

親日家として知られるメシアン。メシアンは日本の文化・風景・日本食をとても気に入り、
1962年には「7つの俳諧」という日本旅行の印象を表現した管弦楽曲を作曲しています。作品には笙や篳篥(ひちりき)などの日本古来の楽器が用いられ、メシアンらしい緻密な音楽が楽しめます。また、メシアンは武満徹や湯浅譲二などの日本を代表する作曲家に多大な影響を与えたことでも知られています。

まとめ

今回はメシアンの生涯について紹介しました。作曲家・オルガン奏者・教育者・ピアニスト・神学者・鳥類学者など多岐にわたる分野で才能を発揮したメシアン。その功績は多くの弟子に継承され、現在に至ります。現代音楽と聞くと、身構える方も多いと思いますが、鳥の鳴き声を音楽で表現するなど、メシアンの作品にはユニークなものばかりです。まだ一度もメシアンの作品を聴いたことがない方は、この記事をきっかけにメシアンの作品に触れてみてください。

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