カール・オルフってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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20世紀を代表するドイツの作曲家カール・オルフ。オルフはソナタ形式やフーガといった既存の音楽スタイルに囚われることなく、音楽・言葉・ダンスを融合させた「世界劇」と呼ばれる独自の音楽表現を確立しました。

なかでも代表作『カルミナ・ブラーナ』は、20世紀におけるクラシック音楽のマスターピースとして、今日でも広く演奏される名曲です。またオルフは、音楽教育にも熱心に取り組み、そのメソッドは世界で広く採用されています。

このような偉大な功績を残したカール・オルフは、どのような人生を歩んだのでしょうか。

カール・オルフの生涯について

カール・オルフはどのような人生を歩んだのでしょうか。彼の形式に囚われない想像力は幼い頃から育まれたようです。

1930年代まで

カール・オルフは1898年、ドイツのミュンヘンに生まれました。家は代々軍人の家系でしたが、オルフの音楽的才能を見抜いた家族は、彼の才能を伸ばすことに協力的だったと言います。5歳からピアノを弾き始め、16歳の頃にはすでに自作の歌曲集を作曲するほど音楽に熱中した青年でした。決められた練習やしきたりが苦手だったため、ミュンヘン音楽学校に入学するまで、独学で作曲を勉強したそうです。

ミュンヘン音楽学校に通っていた頃のオルフは、おもにR・シュトラウスやドビュッシー、シェーンベルクといった同時代の作曲家に関心を寄せ、自身も多くの作品を作曲しています。第1次世界大戦の影響により一時音楽活動が中断されたものの、その間、ミュンヘン室内楽団や劇場において指揮や合唱の指導に携わります。こうした指導経験が、のちの教育分野にも活かされているのかもしれません。

やがて1920年代になり、舞踏家ドロテー・ギュンターと出会ったことがオルフの人生に大きな転換点をもたらします。オルフはギュンターと共に1923年、体育・音楽・舞踏の総合的教育を目的とした「ギュンター・シューレ」(シューレはドイツ語で「学校」の意味)を設立し、音楽教育に深く関わるようになります。

『カルミナ・ブラーナ』で世界的音楽家となる

>延べ11年間にわたりギュンター・シューレの教育活動に携わったオルフ。彼は音楽教育の分野においても大きな成果をあげています。それは、スイスの教育者ジャック=ダルクローズが提唱した「リトミック」と、作曲家ヒンデミットが掲げた「実用音楽」を融合させたものでした。この音楽教育法は「オルフ・システム」と呼ばれ、現在でも世界中の音楽教育において取り入れられています。

そして音楽家としても、1937年にドイツ・フランクフルトで初演されたカンタータ『カルミナ・ブラーナ』が大成功を収め、音楽教育者・作曲家としてオルフはドイツ国内において確固たる地位を確立します。

その後、第2次世界大戦の影響によりドイツが孤立したことで、オルフの作品は国内を出る機会に恵まれませんでしたが、終戦後に発表された『カルミナ・ブラーナ』のレコードが空前の世界的ヒットとなり、オルフの名は瞬く間に世界に知れ渡ることとなりました。

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晩年

教育者・作曲家として名声を得たオルフですが、その熱意は晩年になっても衰えることはありませんでした。オルフはラジオ放送局で使用された、自身の子供教育用作品集『オルフ・シュールヴェルク』を全世界で出版し、音楽教育の重要性を訴えました。

その後「オルフ・シュールヴェルク」は広く認められ、現在では多くの国々においてそのメソッドが活用されています。また日本においても、1988年に「日本オルフ音楽教育研究会」が設立され、「オルフ・システム」の普及に大きな役割を果たしています。

長きに渡り音楽の発展に貢献したオルフでしたが、1982年、多くの人々に惜しまれつつ86歳でこの世を去りました。死因は癌でした。

オルフにまつわるエピソードは?

オルフのエピソードにはどのようなものがあるのでしょうか。今回はエピソードを2つに絞って紹介します。

遅咲きの作曲家

バロック時代の古楽の研究や、音楽教育者としても貢献したオルフ。しかし第2次世界大戦終了時まで、彼の名声はドイツ国内に限られたものでした。その後、1954年にリリースされた『カルミナ・ブラーナ』のレコードが世界的成功を収め、オルフの名は世界的な名声を獲得するに至ります。この時、オルフは60歳を目前にしていました。

『カルミナ・ブラーナ』の成功に大きな手応えを感じたオルフは、次のように書き残しています。

「今までの作品をすべて破棄してほしい。というのは、私にとってカルミナ・ブラーナが本当の出発点になるからだ」。

世界的成功を収めながらも、進化することを止めないオルフの音楽への情熱が伝わるエピソードです。

2度のオリンピックに陰ながら参加する

20世紀ドイツではベルリン(1936年)、ミュンヘン(1972年)と2度のオリンピックが開催されています。そしてオルフは、この2度のオリンピックにおいて、開会式で披露される音楽とダンスを統括する音楽監督として参加していることを知る人は少ないでしょう。

オルフがナチスに加担していたのか、あるいは反対の立場だったのかは議論の多いところですが、混迷を極めた時代だけに、何らかの政治的立場を持っていたことも考えられます。

まとめ

今回はカール・オルフの生涯について解説しました。『カルミナ・ブラーナ』に代表されるオルフの「世界劇」は当時のクラシック音楽界を席巻し、その影響は21世紀に入った現在もなお衰えることはありません。あまり聴く機会がない作曲家かもしれませんが、この記事を機会に、オルフの壮大な「世界劇」に触れてみてはいかがでしょうか。

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