ガブリエル・ユルバン・フォーレってどんな人?その生涯や性格は?死因は?

出典:[amazon]Faure: Piano Works / Chamber Muisic / Orchestral & Choral Works / Requiem

ガブリエル・ユルバン・フォーレという作曲家をご存知ですか?フォーレの名前を聞いて作品名を答えられる方は、きっとかなりのクラシック音楽好きだと思います。フォーレはフランス近代音楽を代表する作曲家の1人で、ボレロで有名なモーリス・ラヴェルの作曲の先生でもあった人物です。フォーレが作曲した「シチリアーノ」は誰しも1度は聞いたことのある作品だと思います。そこで今回は、フランス近代音楽の礎を築いたガブリエル・フォーレの生涯に迫ってみたいと思います。

フォーレの生涯

フォーレの写真を見るとわかるように、作曲家というよりはむしろ学者のような風貌をしています。それもそのはずで、フォーレはパリ音楽院の院長を務め、多くの学生たちを指導した教育者でした。ピアニスト、オルガニスト、作曲家、教育者として活躍したフォーレの生涯をご紹介します

幼少期から音楽学校卒業まで

ガブリエル・ユルバン・フォーレは(以下フォーレ)は、1845年フランス南部の山岳地帯、アリエージュという街で生まれました。父親は教師をしており、5男1女の末っ子として不自由のない生活を送りました。フォーレと音楽との出会いは、幼い頃に通っていた教会のオルガンでした。非凡な才能を発揮したフォーレは、9歳で二デルメイエール宗教音楽学校に入学し、宗教音楽、とりわけグレゴリオ聖歌やルネッサンス期の音楽を徹底的に学びました。

この学校の創始者である二デルメイエールの死後、生涯の先生となるカミーユ・サン=サーンスと出会い、作曲とピアノを学びました。この時期に作曲したのが、フォーレ最初の作品である、歌曲「蝶と花」です。フォーレは、20歳になるまで二デルメイエール音楽学校で過ごしました。

教会オルガン奏者として活躍

音楽学校を卒業後は、旅先のレンヌ(ブルターニュ地方の中心都市)でオルガン奏者として働き始めます。1871年には、サン=サーンスやフランクらが設立した「フランス国民音楽協会」に参加し、自身の作品を積極的に発表することで、オルガン奏者としてだけではなく、音楽家としての活動を始めました。やがてパリのマドレーヌ教会でオルガン奏者を務めることとなり、1896年には首席ピアニストを命じられました。余談ですが、「マドレーヌ」とはフランス語で「聖女マグダラのマリア」を意味します。

教育者としてのフォーレ

オルガン奏者、作曲家として活躍したフォーレは、教育者としても大きな貢献を残しています。マドレーヌ教会で活躍していた一方、フランス国立高等音楽院の教授に任命され、教え子にはラヴェルや「ペレアスとメリザンド」の組曲版を編曲したシャルル・ケクランなどがいました。その教育方針は、一方的に自分の考えを押し付けるものではなく、伝統的な手法や新しい手法などを織り交ぜながら、公平中立なものだったそうです。

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数年間にわたって教授職を続けたのち、いわゆる「ローマ事件」を発端に音楽院の院長であったテオドール・デュポアが失脚し、1905年、フォーレはその後任として院長に就任しました。院長に就任したフォーレは、旧態依然とした音楽院の教授たちを退任させ、「まるでロベスピエールのように」組織の変革を行ったと言われています。フォーレは1920年、75歳まで同音楽院院長を務めました。

晩年の活動

1920年にフランス国立音楽院の院長を辞したフォーレは、難聴に悩まされながらも作曲活動を続けました。歌曲集「幻想の水平線」や「弦楽4重奏曲 ホ短調」などは、フォーレが亡くなる数年前に作曲された作品です。その作風は、祈りのような深い静けさと、落ち着いた安堵の感情が感じられます。

フォーレは1924年11月、肺炎によってパリで亡くなりました。享年79歳。フォーレの葬儀は、その偉大なる功績を讃えて国葬が執り行われ、葬儀には自身が作曲した「レクイエム」が演奏されました。死の前年の1923年には、母国フランスよりレジオンドヌール勲章を授与されています。

エピソード

勤勉で真面目、教育者といったイメージのフォーレですが、女性関係では奔放な一面がありました。1883年、フォーレが38歳のときに彫刻家エマニュエル・フルニエの娘であったマリー・ガブリエルと結婚しますが、奔放な一面は改善されなかったようです。

マリーとの結婚後も、ドビュッシーの夫人となるエンマ・バルダックやイギリスの楽譜出版社の夫人アディーラ・マディソンという人物と関係を持っていたそうです。エンマにはエレーヌという女の子がいましたが、実はエレーヌはフォーレとの間にできた子供なのではないかという説もあります。そのエレーヌのために作曲されたのが「ドリー組曲」です。

フォーレはピアノ曲もいくつか残していますが、大部分が女性に献呈されています。
このことからも、意外にもフォーレの自由奔放さがうかがえます。「レクイエム」や「パヴァーヌ」のような美しくも精神性の高い作品を作曲したフォーレからは考えにくいことですが、これも人間フォーレの重要な一面なのかもしれません。

まとめ

今回はフォーレの人生をご紹介しました。フォーレは新しい音楽的技法を生み出したり、大作を量産した作曲家ではありませんでした。しかし、教育の分野において近代音楽に大きな貢献を果たしました。晩年は難聴に悩まされましたが、その作品は内省的で奥深い作品が多いです。なかなか聞く機会のない作曲家かもしれませんが、ぜひ今回の記事をきっかけに、フォーレの作品を聞いてみてはいかがでしょうか。

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