出典:[amazon]Gustav Mahler: Complete Edition
主にウィーンで活躍していたグスタフ・マーラーという音楽家をご存じでしょうか?マーラーは、作曲や指揮によって有名になったユダヤ人の音楽家ですが、本人は自分自身を”故郷がない人間”としていました。そんなマーラーの生涯や、人物像について触れていきます。
グスタフ・マーラーの生涯

マーラーは、なんと14人兄弟の次男として誕生しました。現在で考えると驚くほど兄弟が多いように感じますが、実は兄弟の内何人かは病気で亡くなっています。長男として生まれたマーラーの兄も、病気によって早くに亡くなってしまったため、次男だったマーラーは長男のように育てられたそうです。
幼少期から学生時代
1860年にボヘミアのカリシュトという村で生まれたマーラーは、4歳~5歳くらいの間にピアノやアコーディオンに触っていたようで、地元のキリスト教教会では合唱団に参加もしていたとされています。
そして10歳になるとイーグラウ市立劇場でピアニストとして演奏を行いました。15歳で音楽院に入学すると、ピアノをユリウス・エプシュタインから、和声学をロベルト・フックスから、作曲をフランツ・クレンから勉強し、演奏や作曲のどちらの部門でも賞を受賞したそうです。
また、マーラーの作品で唯一の室内音楽「ピアノ四重奏」の作曲は1876年に行われました。
卒業後は指揮者として活躍
マーラーは音楽院卒業後、様々な劇場で指揮者として活躍しました。カッセルの劇場、ドイツ歌劇場、ライプツィヒ歌劇場、ブダペストの歌劇場、ウィーン宮廷歌劇場など、有名な劇場と次々契約をしていったようです。中には指揮者としてだけでなく、芸術監督しての契約もありました。当時は作曲だけでの生活は難しかったためか、様々な場所で指揮者として活動をしていたマーラーですが、それでも若いころの生活はとても苦しかったようです。
また、マーラーはブダペストでの契約中、劇場での演奏に関して変更をした点がいくつかありました。当時のブダペストでは、様々な所から見た目を重視した歌手を呼んでいたことにより、上演する演目が数か国語になってしまうことが普通だったようです。しかしマーラーは、見た目を重視するのではなく、あくまでも能力を大切にして若い歌手を起用し、上演する際にはハンガリー語にして行うようにしたとされています。
作曲家としての活動
マーラーは指揮者としての活動が忙しかったため、夏の休みの期間に作曲が行われていたようです。しかし、交響曲第4番あたりから交響曲の作曲期間が短くなり、次々と作品が完成していっています。また、並行して歌曲の作曲も行われていました。
グスタフ・マーラーってどんな人?
ある手紙に、マーラーはリヒャルト・シュトラウスと自分のことを書いたことがあったそうです。その手紙には、シュトラウスの時代が終わって自分の時代が来るという内容が綴られていました。シュトラウスとマーラーの時代が入れ替わっていたのかはともかく、実際に当時のマーラーは、音楽家として大活躍していたのです。
交友関係について
マーラーと交流のあった人物として代表的なのは、アントン・ブルックナーとアルノルト・シェーンベルクです。
ブルックナーとは、マーラーが17歳のころに和声学について講義を受けたことがきっかけで交流が始まりました。かなり年上のブルックナーでしたが、当時の若いマーラーに自身の作品「交響曲第3番」の編曲を依頼したそうです。その編曲作品は、「4手のピアノ版」として出版されました。
またシェーンベルクとの関係に関しては、マーラーがシェーンベルクの音楽を評価したことで知られています。マーラーはシェーンベルクの音楽を理解できないとしながらも、彼のコンサートでは最後まで拍手をやめなかったそうです。
ユダヤ人として
マーラーが亡くなった後、ヨーロッパでは反ユダヤの考えが広まっていきました。そのため、ユダヤ人だったマーラーの作品は演奏をされることがなくなっていき、改めて評価をされるのは数十年後になってしまいます。
また、マーラーが生前指揮者として活躍していたころにも、やはりユダヤ人としての苦労がありました。妥協を許さない性格だったマーラーは、指揮をしていた楽団の団員に対して、少々厳しい言葉を発することもあったようです。すると、当時の新聞などで反ユダヤの考えにより攻撃されることのあったマーラーに対し、反感を持つ団員もいたことから、マーラーはヨーロッパを出て行ったとされています。
グスタフ・マーラーの音楽
指揮者として有名になっていったマーラーは、自身が指揮する作品に手を入れることがあったようです。そんなマーラー自身が作曲した作品にはどのようなものがあるのか、代表的なジャンルや特徴を紹介していきます。
代表的なジャンル
マーラーの代表ジャンルは、交響曲と歌曲の2ジャンルです。交響曲は番号付きが第10番まで作曲されましたが、10番は未完成のまま終わっています。また交響曲に関しては、演奏時間が長い作品や、演奏人数が多い作品、当時では珍しい楽器を使用した作品などとしても有名です。
作品の特徴について
交響曲と歌曲のジャンルで有名なマーラーですが、交響曲の中に歌を取り入れることも多く、中には数百人での合唱を伴う作品もあります。また、マーラーの作品には自身の人生が反映されているとされるものも多いようです。
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