[amazon]パッヘルベルのカノン~カラヤン超定番ベストpremium(初回生産限定盤)(UHQCD)
20世紀のクラシック音楽界において、絶大な人気を獲得した指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。普段クラシック音楽に馴染みのない方でも、一度は名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として、長きに渡り君臨したカラヤンは、クラシック音楽だけでなく、映画や映像作品にも意欲的に取り組んだことでも知られています。また日本では「楽壇の帝王」と称され、現在でもその人気は衰えることを知りません。クラシック音楽の頂点に登りつめたカラヤンはどのような生涯を送ったのでしょうか。今回は多くのエピソードを交えつつ、カラヤンの業績を解説します。
ヘルベルト・フォン・カラヤンの生涯
「楽壇の帝王」や「魔術師カラヤン」「カラヤン美学」といったさまざまな異名を持つカラヤンはどのような生涯を送ったのでしょうか。
名門の家系に生まれる
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、外科医であった父エルンストと母マルタの次男として1908年にオーストリア・ザルツブルクにて生まれました。カラヤンの曽祖父ゲオルグは織物産業で財をなした人物であり、その功績をたたえられ、家名に「フォン」をつけることを許可されたそうです(フォンとはドイツ語で貴族あるいはその子息であることを意味します)。
少年時代はスポーツと音楽の両方に熱心に取り組んだカラヤンは、1916年から1926年にかけて、ザルツブルクにあるモーツァルテウム音楽院でフランツ・レドヴィンカにピアノを、フランツ・バウアーに声楽を師事しました。音楽院を卒業後、ウィーン・アカデミーにてさらなる勉強を重ねたカラヤンは、ピアノや指揮法の学びを経て1929年ザルツブルクで指揮者デビューを果たしています。そしてザルツブルクでの指揮ぶりで好評を得たことをきっかけに、1934年から1941年にかけてドイツのアーヘン市立歌劇場の音楽監督に就任しています。
戦時中のカラヤン
指揮者として輝かしいキャリアを積み重ねたカラヤン。しかし第2次世界大戦の影響は避けられないものでした。とくにカラヤンはナチス・ドイツの寵愛を受け、自身も協力的であったことから、ナチス党員のレッテルが貼られ、旧ソビエト当局から指揮活動の禁止を言い渡されたこともありました。しかしそれでも、1949年にウィーン楽友協会の芸術監督への就任や、ミラノ・スカラ座で指揮するなど、ヨーロッパでは絶大な人気を誇り、戦時中ながらもそのキャリアを着実に高めて行きます。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身首席指揮者へ
そして1956年、カラヤンにとって最大の転機が訪れます。それこそが、フルトヴェングラーの後任として指名された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身首席指揮者の就任です。ベルリン・フィルという世界最高峰の指揮を任されたカラヤン。以降、コンサートだけでなく、録音や映像音楽といった多方面にその手腕を発揮し「楽壇の帝王」と称されるまでになります。また1957年から1964年にかけてはウィーン国立歌劇場の芸術監督も兼任し、カラヤンはクラシック音楽界において頂点に君臨するにいたったのでした。
その後、1967年にザルツブルク復活音楽祭の主催や、次世代に優れた音楽を世に送り出すためのカラヤン・アカデミーの設立など、後進の育成にも意欲的に取り組みました。
そんなカラヤンですが、晩年は心臓病と指揮者特有の背中の痛みに襲われます。そして1989年4月に長年務めたベルリン・フィルの首席指揮者を辞任。そのわずか3ヶ月後の7月16日、自宅にて心臓発作のためこの世を去りました。享年81歳でした。
カラヤンの性格を物語るエピソードは?
指揮者としてだけでなく、私生活においても注目を浴び続けたカラヤン。今回は数あるエピソードの中から、代表的なものを5つ紹介します。
大の車好き
名門の家庭に生まれたカラヤンは、幼少期から優れた音楽的才能を発揮しました。そのため音楽一辺倒な生活を送っていたのかと思いきや、実はスポーツマンでもあったとのこと。10代の頃からスキーや水泳などに熱中したほか、のちにヨットレースの大会では優勝するほどの腕前だったといいます。そんなカラヤンがこよなく愛したのが、車だったそうです。なかでもポルシェの愛好家として知られ、特別仕様のタイプを注文したカラヤンは、ポルシェに自分の名前を入れるほど熱中したと言われています。
映画『2001年宇宙の旅』のサウンドトラックはカラヤン指揮
カラヤンは、スタンリー・キューブリック監督の代表作『2001年宇宙の旅』のサウンドトラックを監督したことでも有名です。映画に登場するされるリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』は、多くの人が聴いたことがあるのではないでしょうか。また、宇宙空間で流れるヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』もカラヤン指揮によるものです。迫力のあるカラヤンの指揮が映画に強いインパクトを与えています。
指揮中は目を閉じる
目を閉じながら指揮するのがカラヤンスタイル。当初この指揮スタイルに対して、ベルリン・フィルハーモニーの楽団員は難色を示したものの「すぐに慣れるよ」と一蹴し、カラヤン独自の指揮スタイルが完成しました。カラヤンが目を閉じて指揮するスタイルは、一説によると楽団員の集中力や音楽への没入感を深めるためと言われています。
日本の禅文化に心酔
1957年に初来日したカラヤン。以降、日本でもカラヤンブームが巻き起こります。そんなカラヤンはヨガや瞑想といった東洋思想にも通じており、日本の禅にも強い興味を示したそうです。日本文化を分析した『弓と禅』を愛読し、自らの指揮スタイルについて禅にたとえて解説したこともあったと言われています。また日本の歌舞伎について「歌舞伎はわたしの理想」と述べ、クラシック音楽と歌舞伎との共通項を示したそうです。
CDの録音時間を決めたのはカラヤン
今でこそストリーミングにより何時間でもダウンロードが可能となりましたが、ひと昔前まではCDでの販売が主流でした。そしてCD一枚の録音時間は74分と決められており、この長さを決定したのがカラヤンです。SONYの創業者の1人である盛田昭夫さんが、カラヤンに「何分録音できたら良い?」と尋ねたときのこと。しばらく考え込んだカラヤンは「ベートーヴェンの交響曲第9番が録音できるように」と答え、そこからCDの録音時間の長さが現在の74分となりました。クラシック音楽界だけでなく、世界的な企業にも影響を与えたカラヤンの偉大さがわかるエピソードです。
カラヤンの演奏風景
カラヤンは録音技術にこだわったばかりでなく「演奏の見せ方」にも革新をもたらした人物でした。オーケストラを映像作品として残す際には、作品を効果的に見せるためのカメラワークや、自身の写り方にも注意を払いその完成度を高めています。
演奏が素晴らしいのはもちろんですが、今回は「映像」にも注目して作品をお楽しみください。
カラヤン晩年の演奏です。パートごとにカメラワークが施されており、見ていただいてお分かりのように、映像作品としても表現されています。
チャイコフスキー作曲の『ピアノ協奏曲第1番』の映像です。ピアノ協奏曲でありながら、ピアノ演奏が主役として描かれていない点が特徴と言えるでしょう。
まとめ
今回は「楽団の帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの生涯について解説しました。カラヤンの魅力は、なんといってもカッコ良さとカリスマ性です。これほどのカリスマ性を備えた指揮者は、今後登場することはないと言っても過言ではないでしょう。クラシック音楽界のみにとどまらず、映像の分野やデバイスにまで影響を与えたカラヤン。好き嫌いが分かれる演奏ではありますが、この記事を機会に、カラヤンの演奏に触れてみてはいかがでしょうか。
👉[amazon]ヘルベルト・フォン・カラヤンのCDはこちら。
コメントを残す