ジャン・シベリウスってどんな人?その生涯や性格は?死因は?

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ジャン・シベリウス(以下シベリウス)は19世紀半ばから20世紀前半にかけて活躍した、フィンランドの国民的英雄と言われる作曲家です。若い頃はヴァイオリニストに憧れその道を志したシベリウスでしたが、才能の違いに落胆し作曲家の道を歩みました。しかしそれが功を奏し、後に祖国フィンランド国民を勇気づけた偉大な作曲家となり、ユーロが導入される前の紙幣にはシベリウスの肖像が使われました。そこで今回は、フィンランドの作曲家シベリウスについて解説します。

シベリウスの生涯

シベリウスは1865年、首都ヘルシンキからおよそ北に100キロ離れた街、ハメーンリンナに生まれました。医者であった父は、シベリウスがわずか2歳の頃に他界してしまい、一家は母方の祖母を頼り生活するようになります。幼い頃から音楽に関心があったシベリウスは、叔父から譲り受けたヴァイオリンをとても気に入り、ヴァイオリニストを志すようになりました。

熱心にヴァイオリンの鍛錬を続けたシベリウスは、若くしてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きこなすまでに成長しましたが、自身の才能に限界を感じたのかヴァイオリニストへの道は進みませんでした。高校を卒業し、一度は法律を学ぶために進学したシベリウスでしたが、音楽への思いが消えずに、ヘルシンキ音楽院へ進学します(現シベリウス音楽院)。

ヘルシンキ音楽院で本格的に作曲を学んだシベリウスは、優秀な成績により奨学金を得てベルリンに短期留学をしました。この時期に、R・シュトラウスの「ドン・ファン」や、リストの弟子でピアニストのハンス・フォン・ビューローなどを実際に見聞きし刺激を受けたそうです。

帰国後は「クレルヴォ交響曲」を作曲し大成功を収め、音楽院の教師として教壇に立つなど、シベリウスの名声は少しずつ高まるようになりました。またこの時期に、以前から交際していたアイノと結婚しています。1898年には、国から生涯助成金が支給されることが決定し、これを機会にシベリウスは作曲に専念します。

1899年、ロシア帝国の言論統制や圧政が高まるなか、シベリウスは歴史的な作品を発表しました。それが祖国フィンランドの民族意識を高らかに歌う「フィンランドは目覚める」です。これは後に、交響詩「フィンランディア」に編曲され、現在でもとても演奏機会の多いシベリウスの代表作の1つです。「フィンランドは目覚める」の作曲者としてシベリウスの名は国内中に知れ渡り、一躍フィンランドを代表する作曲としてヨーロッパでも知られるようになりました。のちのロシア革命後(1917年)、いくつかの争いがあったものの、フィンランドは独立を宣言し自由を獲得するに至ります。

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1903年、シベリウス34歳のころ、妻アイノとともにトゥースラ湖近くに建てた「アイノラ荘」に移住をします。「アイノラ荘」は妻アイノによって設計されました。そしてシベリウス夫妻は、その生涯をこのアイノラ荘で過ごすことになります。

アイノラに移住後も、シベリウスの活躍は続きます。一時期、シベリウスの素行の乱れが原因でアイノが療養施設に入るという時期があったものの、生活を見直し、精力的に作曲に専念するようになりました。

アイノラに移り住み円熟期を迎えたシベリウスは、1905年に「ヴァイオリン協奏曲」、1907年には「交響曲第3番」など次々と傑作を生み出します。その間、喉の腫瘍の手術などで生死をさまよう出来事もありましたが、1915年には「交響曲第5番」、1920年代に入ると「交響曲第6番」「交響曲第7番」を完成させ、名実ともにフィンランドを代表する世界的作曲家となりました。

晩年

シベリウスは91歳という長寿でしたが、晩年のおよそ30年間のほとんどをアイノラで過ごし、孫やひ孫たちと過ごす日々を送りました。その理由は精神的不調という説や、シベリウス自身の内省的な側面が原因だったのではないかと言われています。いわゆる「ヤルヴェンパーの沈黙」として音楽史で語られていますが、最近の研究によると、実際はこの時期もシベリウスは作曲の構想を練ったり、新しい作品に取り掛かっていたとされています。

性格は?

愛国精神旺盛で、フィンランド国民を勇気づけたシベリウスの性格を表す有名なエピソードがあります。作曲した作品に対して賛否両論あるのは当然ですが、評論家から厳しい批判を受けることもあったようです。しかしそんな批判に対してシベリウスは、「評論家の彫像が建てられたことなどない」と言って全く意に介さなかったようです。

死因は?

1955年にシベリウスの90歳を祝う特別演奏会が盛大に行われその業績が讃えられましたが、そのおよそ2年後の1957年9月20日、91歳でこの世を去りました。死因は脳内出血でした。シベリウスという世界的作曲家の訃報(ふほう)は瞬く間に世界に伝わり、当時開かれていた国連総会では、黙祷が捧げられました。祖国フィンランドでは国葬が執り行われ、シベリウスは長きに渡って暮らしたアイノラの庭に埋葬されました。12年後に亡くなった妻のアイノもシベリウスと並んで静かに眠っています。

まとめ

今回はシベリウスの生涯についてご紹介しました。シベリウスは91歳まで生きたので、歴史的には最近の人物です。その長い人生の中で多くの苦難を乗り越え、数々の名曲を世に送り出しました。誰でもが聞いたことのある名曲という作品は少ないかもしれませんが、今回ご紹介した人生を踏まえた上で、ぜひシベリウスの作品を聴いてみてください。

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