ジョン・ケージってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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ジョン・ケージは20世紀を代表するアメリカの作曲家、詩人、実験音楽家です。そのあまりにも前衛的な作風は、20世紀のクラシック音楽界に大きな衝撃を与えました。伝統的西洋音楽の根幹を覆し、「沈黙」や「偶然性」までも音楽として解釈したジョン・ケージとはどのような人物なのでしょうか。今回は作曲家兼キノコ研究家としても知られるジョン・ケージの生涯について解説します。

ジョン・ケージの生涯について

ジョン・ケージの生涯はどのようなものだったのでしょうか。調べてみると、良くも悪くも青年時代から自由奔放な人物だったようです。

自由奔放な青年時代

ジョン・ケージは1912年、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。父のジョン・ミルトン・ケージは潜水艦の開発に携わる技術者(発明家)だったそうです。後年、ジョン・ケージは既存の楽器を改良した楽器を「発明」しますが、それは父の影響なのかもしれません。

幼少時代は各地を転々とし、サンタモニカ在住時に初めてピアノを習い始めます。ロサンゼルスの高校に通い、優秀な成績を収めたジョン・ケージは、名門ポモナ・カレッジに入学しましたが、「退屈だ」という理由で入学後間もなく退学します。

退学後、18歳でパリに渡ったジョン・ケージは、セヴィリャやイタリアなどのヨーロッパ各地で芸術文化に触れ、1931年にロサンゼルスに戻り作曲を学び始めました。当初はリチャード・ビューリックの元で作曲を学んだジョン・ケージですが、その後ガーシュウィンの指導経験があるヘンリー・カウエルを紹介され、カウエルに作曲を師事します。

そして1934年、十二音技法の創設者シェーンベルクの訪米の話を聴いたジョン・ケージはすぐさまシェーンベルクの元に向かい、弟子入りを申し出ました。シェーンベルクと出会い音楽に生涯を捧げる決意をしたジョン・ケージは、1934年から1937年にかけてシェーンベルクのクラスで作曲の勉強を続けます。

その後、1937年からUCLAにてダンス振付師となったジョン・ケージは、ダンスを通じて音楽の発想を大きく広げ、音楽の可能性を追求し始めます。

前衛作曲家として

1940年、ジョン・ケージはグランドピアノにナットやネジなどを挟んだ楽器「プリペアド・ピアノ」を発明し、アイディアを楽器にする「発明」も精力的に行っています。さらには、居間にある全てのものを叩いて音楽を作る「居間の音楽や」、ピアノの蓋を閉めたまま声楽の伴奏をする作品など、これまでに無かった作品を発表し、前衛作曲家として注目を集め始めます。また1940年代末、ジョン・ケージは「沈黙」にその美学を見出し、以降は「沈黙の美学」の追求に没頭し始めます。

そして1952年、代表作「4分33秒」を発表。これによりジョン・ケージの名は世界的なものとなり、前衛音楽の第一人者として認知されるようになりました。その後も、中国の『易経』の偶然性にヒントを得た「不確定性音楽」の提唱や、残響で音楽を表現する「エチュード・オーストラルズ」を発表するなど、前衛作曲家の第一人者として次々と問題作を発表し続けます。

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晩年

晩年のジョン・ケージは、作品名が数字のみの「ナンバー・ピース」と呼ばれる作品の発表や映画作品への参加、「ローリーホーリーオーバーサーカス」といった展覧会のキュレーションなど、さまざまな方面でその才能を遺憾無く発揮。また、1989年には「偶然性や非西洋的思想によって音楽の新しい地平を開いた作曲家」として第5回京都賞を受賞し、日本でも大きな話題となりました。しかし京都賞受賞から4年後の1992年、脳溢血のためにニューヨークの自宅にて79歳で帰らぬ人となっています。
構想中の「ローリーホーリーオーバーサーカス」はジョン・ケージの死の翌年1993年に開催され、日本でも1994年から1995年にかけて水戸芸術館で行われました。

ジョン・ケージにまつわるエピソード

ジョン・ケージのエピソードはどれも面白いものばかりですが、今回はその中から3つのエピソードを紹介します。

シェーンベルクの弟子になる

大学を中退し音楽の道を志したジョン・ケージ。当初はヘンリー・カウエルに作曲を師事しましたが、のちにカウエルの紹介でシェーンベルクと出会います。そしてすぐさまシェーンベルクに弟子入りを申し出たジョン・ケージは、シェーンベルクから「一生を音楽に捧げる気があるか」と問われ、二つ返事で「はい」と答え弟子になりました。

またある日、和声の感覚が乏しいことをシェーンベルクに相談した際、「それは君にとって音楽を続けることの障害になるだろう。ちょうど通り抜けることの出来ないつきあたるようなものだ」と言われたジョン・ケージは、「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」と答えたそうです。ジョン・ケージの意志の硬さが伝わるエピソードです。

キノコ研究家でもあった

意外かもしれませんが、ジョン・ケージは菌類学の研究家としても知られています。キノコに興味を持った理由が面白く、辞書の「music」のすぐ上の単語が「mushroom」だったからだとか。あまりにも熱心だったため、道端に生えている毒キノコを食べて食中毒を起こしたこともあったそうです。天才はやはりどこか変わっているのかもしれませんね。ジョン・ケージのコレクションは、現在、カリフォルニア大学サンタクルーズ校に収蔵されています。

京都賞を受賞

科学や技術、思想、芸術の分野で卓越した功績を残した人物に送られる京都賞。1989年にジョン・ケージも京都賞を受賞しています。しかし受賞の際「絶対に正装しない!シャツとジーンズで出る!」と言って関係者を困らせたそうです。そこで主催者側が「では日本の伝統衣装、羽織袴ではどうでしょうか?」と提案したところ、喜んで承諾したと言われています。東洋思想や禅などにも精通していたジョン・ケージならではのエピソードです。

まとめ

いかがでしたか?今回はジョン・ケージの生涯について解説しました。これまで紹介してきた作曲家たちとかなり経歴が異なるので、今まで以上に興味を持っていただけたのではと思います。ジョン・ケージは、誰も聴いたことのない前衛的で思想的な作品を多くの「発明」「発見」した作曲家であり、その作品群はとても面白いものばかりです。この記事を機会に、ジョン・ケージの作品に触れてみてはいかがでしょうか。

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