カール・マリア・フォン・ウェーバーってどんな人?その生涯や性格は?結婚は?

出典:[amazon]ウェーバー:クラリネット協奏曲全集

「ドイツオペラ界」の巨匠と呼ばれたカール・マリア・フォン・ウェーバー(以下ウェーバー)。ウェーバーという名前はあまり聞きなじみないかもしれませんが曲を聴くと「あ、この曲知っている」と思う方もいると思います。実際ウェーバーの代表作はオペラが多いためオペラ好きな人以外は普段の生活で耳にする機会は少ないのが現状です。今回はそんなウェーバーの生涯や性格などについてまとめさせていただきたいと思います。

カール・マリア・フォン・ウェーバーの生涯

ウェーバーは1786年にドイツ・リューベック近郊のオイティーンに生まれました。実は、片足が不自由であり、今でいう小児麻痺であったのではないかと言われています。ウェーバーが生まれた翌年に父親が劇団を結成し団長になりました。そのためウェーバーは幼いながらドイツやオーストラリアなどを回っていました。

当時のウェーバーはこれと言って幼少期に音楽の才能は見られなかったと言います。しかし、幼少期を劇団と共に過ごしていたため「オペラ」に対する感性が磨かれていたと言います。そして9歳の時にヒルトブルクハウゼンでヨハン・ホイシュケルから本格的に音楽の教育を受けてウェーバーは音楽の才能を見せました。その後もウェーバーのヨーロッパ巡りは続いていたため旅先で様々な師匠から音楽について学びました。

例えば、ザルツブルクではハイドンの弟であるミヒャエル・ハイドンやウィーンではゲオルク・フォーグラーにも師事しています。1799年にはウェーバーによる初の作曲したオペラ「愛と酒の力」。この作曲を機にウェーバーはその後も着々と才能を開花させながらドイツ各地で作曲活動を行っていました。しかし、ここで大事件が起こってしまいます。

ウェーバーは作曲の能力は勿論、ピアノ演奏も優れていて、幼少期からの「美声」も1つの武器でしたが硫酸とワインを間違えて飲んでしまい、ウェーバーは声が出なくなってしまい武器であった「美声」を失ってしまいました。この大事件により、ウェーバーは作曲家・ピアニストとしての道を歩むことを決意しました。

20歳半ばを過ぎたあたりからウェーバーのキャリアは急加速を迎えます。1813年にはプラハ歌劇場の芸術監督に就任、1817年にはザクセンの宮廷楽長に任命されるなど音楽家としての高い地位を若いながら獲得することが出来ました。この時期からウェーバーはピアノ曲や協奏曲などのジャンルを作曲はしていましたがやはり軸にあったのはドイツオペラでした。

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しかし、ウェーバーの思いもむなしくこの時期はイタリアオペラの方が人気高くドイツオペラはなかなか世に回らず評価されがたい時代が続きましたが、ドイツオペラを諦めきれなかったウェーバーは懲りずにドイツオペラの作曲を続けました。そのかいあって、ドイツオペラやウェーバーの知名度も上がっていきました。そして、ウェーバーの代表作である「魔弾の射手」を作曲し1821年にベルリンで公演されるとたちまち人気になり、ドイツオペラの傑作として音楽界から絶大な支持を受けることが出来ました。これにより、今まで以上にドイツオペラを世の中に認知させることが出来ました。

ウェーバーはそのわずか数年後の1826年に結核により39歳と若くしてこの世を去ってしまいましたが、ドイツオペラをここまで世の中に発信したウェーバーのおかげでこの後の作曲家にも大きな影響を与えました。

性格

ウェーバーの性格に関する情報はあまり残っておらず、生涯から読み取ってみると熱心な性格だったことが分かります。生まれつき病弱で片足は不自由、ワインと硫酸を間違えて飲んでしまい声も失ってしまいますが、くじけずに音楽家としての道を歩み成功させています。

また、ドイツオペラはまだ世の中に浸透しておらず他の作曲家もイタリアオペラを作曲している中ウェーバーはドイツオペラの作曲を続け大成功を成し遂げドイツオペラを世の中に広めました。このウェーバーのドイツオペラに対する情熱は誰にも負けず、「成功させてやる」という強い思いが伝わってきます。なので、ウェーバーはとても熱心な性格だったことが読み取ることが出来ます。

結婚は?

ウェーバーは、歌手であるキャロライン・ブラントと結婚していますがなんせ39年という短い人生だったためあまり結婚に関しての情報を見つけることが出来ませんでした。しかし、ウェーバーの父親であるフランツ・ウェーバーのお兄ちゃんであるフリードリンの娘はコンスタンツェであり、この名前を聞いて「ピン!」と来た方もいるかもしれませんが、そうコンスタンツェはモーツァルトと結婚していたのです。簡単にまとめると、モーツァルトの妻コンスタンツェは父方の従姉になります。

まとめ

今回は、ウェーバーの生涯や性格、結婚についてまとめさせていただきました。生まれつき足に麻痺があったり、間違えて硫酸を飲んでしまい声を失うなど様々なことがありました。また、39年という短い生涯だったため作品数は他の作曲家に比べて少なく、また音楽の才能を開花させても目につけられていないドイツオペラの作曲をしていたため注目されるようになったのは亡くなる数年前の話でした。

しかし、どうしてもドイツオペラで成功させたかったウェーバーからしたら、亡くなる前に大成功を成し遂げ日の光を浴びることが出来たため39年という短い人生にもかかわらず満足のいく人生を歩むことが出来たのかもしれませんね。

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