リヒャルト・シュトラウスってどんな人?その生涯や性格は?

出典:[amazon]R.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》、交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》

ドイツの後期ロマン派に属した音楽家、リヒャルト・シュトラウスという人物をご存じでしょうか?名前にはあまり馴染みのない方が多いかもしれませんが、当時の音楽界ではとても有名な音楽家でした。

しかし他の作曲家で似たような名前の人物がいることから、国外に出ると人違いをされてしまうこともあったとされています。

また1949年まで存命していたため、ロマン派で思いつく代表的な他の音楽家たちに比べて、少しだけ現代に近い音楽家です。そのシュトラウスについて、生涯や人物像、作品に関しての紹介をしていきます。

リヒャルト・シュトラウスの生涯

まずはその生涯について解説します。シュトラウスは作曲家としてだけでなく、指揮者としても音楽活動をしていました。

幼少期から青年期

1864年、バイエルン王国ミュンヘンに生まれたシュトラウスですが、父親がミュンヘン宮廷歌劇場でホルンの演奏をしていた音楽家だったことで、幼いころから音楽に関する教育を受けていました。また、作曲はそのころから始めていたとされています。

1882年にはミュンヘン大学で学び始め、その後ハンス・フォン・ビューローという当時の著名な指揮者の補助指揮者になりました。そして1885年には、そのビューローの後を引き継ぐことになります。

また、ここまでのシュトラウスの音楽は保守派とされてきましたが、ある人物と出会うことで新しい音楽を目指すようになりました。その人物というのが、当時ヴァイオリン奏者として活躍していた、アレクサンダー・リッターです。

作曲家として

シュトラウスが作曲家として最初に成功した曲が、交響詩「ドン・ファン」です。リッターとの出会いが、シュトラウスの作曲する音楽の変化に影響を及ぼしたことで、新しい音楽がたくさん生み出されました。その結果大きな反響があったのはもちろんでしたが、中にはそれを良く思わない人たちもいたようです。

また、その後に作曲された作品としては「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や「ツァラトゥストラはかく語りき」、「英雄の生涯」などがあります。これらの交響詩を作曲した後、シュトラウスはオペラに興味が移ったようです。

最初のオペラ「グントラム」や「火の危機」では成功できませんでしたが、1905年にドレスデンで初演が行われたオペラ「サロメ」は大成功を収め、そこからオペラのジャンルでも知られるようになります。その後も新しい音楽をオペラで創り続けますが、晩年は歌曲の作曲に打ち込みました。

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指揮者として

作曲家としてだけでなく、指揮者としても当時活躍をしていたシュトラウスは、数多くのステージで演奏を指揮しました。もともとは大きな動きをするような指揮だったそうですが、後にそれが抑制されるようになったとされています。

ナチスとの関係について

実はシュトラウスには、ナチスとの政治的な関わりがあったのではないかということで、様々な意見があります。

実際、第二次世界大戦が終結した後に、シュトラウスはナチスとの関係について裁判にかけられてしまいました。擁護する意見には、シュトラウスにはユダヤ人の血が入っている親族がいたため、ナチスとの関係を悪くするわけにはいかなかったのだというものがあります。

また親ナチスとする意見には、シュトラウスがナチスの求めに応じて音楽関係の活動を行ったとするものがあったようです。

リヒャルト・シュトラウスの人物像

新しい音楽を世に出していったシュトラウスですが、結婚や性格などから、その人物像が少しわかってきます。

結婚

悪妻としても知られているシュトラウスの結婚相手は、当時ソプラノ歌手をしていたパウリーネ・デ・アーナという人物です。この女性には良くないエピソードが残されていますが、実はその妻の影響で作曲された作品が、現在では代表曲として残っています。例として、「インテルメッツォ」や「家庭交響曲」は、家庭の中からヒントを得て作曲された作品とされているようです。

性格

シュトラウス本人の言葉からも感じられることですが、本人だけでなく弟子の残したエピソードからも、シュトラウスは自分に自信のある音楽家だったということがわかります。また作曲した作品に関しても、もとは保守的な音楽だったのに対し、新しい音楽を追求していくようになっていったことから、シュトラウスの性格が窺えるのではないでしょうか。

リヒャルト・シュトラウスの作品について

最後に、シュトラウスの作品に関しての解説をしていきます。

代表的なジャンル

現在、シュトラウスの代表作として知られている作品の多くは、交響詩、オペラ、交響曲、歌曲などのジャンルです。またシュトラウス最後の作品は歌曲「あおい」という曲ですが、公表が1983年、公開初演は1985年と、作曲されてから約40年弱経ってからになりました。

影響を受けた人物

オペラで知られるシュトラウスですが、その作品創りにおいて大切な出会いが、1900年ころにありました。シュトラウスの作品でオペラが作曲される際によく台本で協力をしていたのが、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールです。当初ホーフマンスタールは、バレエ音楽の作曲にシュトラウスを誘っていたとされていますが、実際に作曲される際にはオペラでの協力となりました。

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