エドワード・エルガーってどんな人?その生涯・生い立ちは?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]グレート・コンダクター・シリーズ/エルガー エルガー・コンダクツ・エルガー:交響曲第2番

エドワード・エルガー(以下エルガー)は19世紀中頃に生まれたイギリスを代表する作曲家の一人です。「威風堂々」や「愛の挨拶」などの作曲者として知られ、運動会の表彰式でその作品を耳にしたことがある人も多いと思います。作曲家として成功したのは40代になってからという遅咲きの人物ですが、エルガーが作曲した作品は今でも世界中の人々によって愛されています。そこで今回は、「イギリス第2の国歌」を生み出したエルガーの生涯についてご紹介します。

エドワード・エルガーの生涯について


エルガーは、1857年ウェスター近郊のロウアー・ブロードヒースに7人兄弟姉妹の4番目として生まれました。父はピアノの調律師や楽器商を営み、自身も優秀なヴァイオリン奏者だったそうです。エルガーは8歳になると父から音楽を教わり、10歳で作曲を始めるなど早くから音楽的才能を示しました。

しかし家庭の経済的状況により本格的に音楽を学ぶことはできず、15歳まで一般教育を受けて育ちます(このころのエルガーの夢は、ライプツィヒ音楽院に留学することだったそうです)。やがて地元弁護士の元で事務員として働き始めますが、仕事に馴染むことができず、数ヶ月で事務所を辞めてしまいます。事務員を辞めたエルガーは父の仕事を手伝いながら音楽の勉強を続け、エルガー自身も音楽教室を開きヴァイオリンやピアノを教えて生計をたてていました。

20代の頃はヴァイオリン奏者としても活動しており、ドヴォルザーク自身が指揮をした「交響曲6番」や「スターバト・マーテル」の演奏に加わりました。1880年にパリを訪れた際には、マドレーヌ寺院でオルガンを演奏するサン=サーンスの演奏を聴き、大きな感銘を受けたそうです。

1889年、エルガーが32歳のときに、8歳年上のキャロライン・アリスと結婚し生涯をともにすることになります。妻アリスは、なかなか音楽界で芽が出なかったエルガーを陰ながら懸命に支えました。それが功を奏したのか、1899年エルガーに転機が訪れます。この年に発表した「エニグマ変奏曲」(正式名称「独創主題による変奏曲」)が大成功を収め、一気にエルガーの名前が世に知れ渡ります。さらに翌年の1900年にはオラトリオ「ゲロンティアスの夢」がリヒャルト・シュトラウスから絶賛され、エルガーはヨーロッパ中で注目されるようになります。

そして1901年、エルガーをもっとも代表する作品「威風堂々第1番」が作曲され、以降イギリス国民にとって「第2の国歌」として定着します。この作品を聞いたイギリス国王エドワード7世はエルガーに対して、「君はいずれ世界中にくまなく広がる曲を作曲したね」と褒め称えました。また、この曲に歌詞をつけるように助言したのもエドワード7世でした。
「威風堂々第1番」について、エルガー自身も手応えを感じていたようで、友人に「皆の(心を)打つ、打ちのめす旋律を思いついたんだ」と興奮気味に語ったそうです。

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「威風堂々」で大きな名声を得たエルガーは、1904年にナイトの称号を授与されています。またこの年、ロイヤル・オペラハウスにて3日間にわたりエルガー作品を扱う音楽祭が行われるなど、エルガーの人気はさらに高まります。20世紀初頭のエルガーはまさに作曲家としての全盛期で、1906年にはオラトリオ「神の国」、1908年「交響曲第1番」、1909年「使徒たち」、1910年「ヴァイオリン協奏曲」など多くの名作を世に送り代ます。
しかし1920年、最愛の妻アリスが癌のため亡くなるとエルガーは失意の底に落ち、作曲の意欲を無くしてしまいます。その後1923年頃から再び少しずつ音楽活動を再開したエルガーは、「セヴァーン川組曲」(1930年)や組曲「子供部屋」(1931年)などの作品を作曲しています。最晩年も「交響曲第3番」や「ピアノ協奏曲」などの大作に着手しましたが、これらの作品は未完成のまま1934年、76歳でこの世を去りました。

性格を物語るエピソードは?

生涯にわたり愛妻家だったエルガー。妻アリスとの結婚は身分や宗教上の違いにより周囲から反対を受けました。しかしエルガーは、周囲の反対をよそにアリスとの愛を誓い生涯愛し続けました。「愛の挨拶」という名曲にもある通り、エルガーは妻アリスを心から愛し続けた思いやりのある人物であることが伺えます。

また、ほぼ独学で音楽を勉強したエルガーは、当時流行していた音楽を学ぶために「水晶宮」(※1)で行われる演奏会に毎日のように通い音楽的才能を磨いたそうです。このことからエルガーは、地道な研究を怠らない地道な人物だったことが分かります。

エルガーは大の競馬好きだったそうで、リハーサル中だったヴァイオリニストのメニュインの演奏具合を確認すると「上出来」として、すぐに競馬場に向かったというエピソードが残されています。

※1、水晶宮(クリスタルパレス)とは第1回万国博覧会(万博)のためにロンドンに建てられた鉄骨とガラスでできた建造物です。

死因について

妻アリスに先立たれ作曲意欲をなくしたエルガーでしたが、晩年はレコーディング録音に関心を持ち、積極的に自身の作品をレコーディングしました。また、1932年にはイギリスBBCがエルガーのために音楽祭を開くなど晩年も旺盛な音楽活動を続けています。しかし1933年、BBCより「交響曲第3番」の作曲を委嘱されたものの体調の悪化により完成させることができず、1934年、76歳でこの世を去りました。亡くなる直前までこの作品が未完になることを気にしていたと言われています。死因は大腸癌だったそうです。

まとめ

今回はエルガーの生涯についてご紹介しました。作曲家としての成功は遅かったものの、その作品が認められてからは一気に世界的名声を獲得したエルガーは、有名作品だけではなく宗教音楽や交響曲など多くの名作を残しています。これを機会に、優美で優しいエルガーの作品に触れてみてはいかがでしょうか。

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