スティーブン・フォスターってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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19世紀初頭から半ばにかけて、アメリカで絶大な人気を獲得した作曲家スティーブン・フォスター(以下フォスター)。彼が生み出した『おおスザンナ』や『草競馬』といった作品は、現在でも世界中の人々に愛されています。
37歳という若さでこの世を去ったフォスターですが、およそ20年に及ぶ作曲家活動の中で200曲もの作品を残し、アメリカのポップミュージックに大きな功績を残しています。
そこで本記事では、アメリカ音楽の原点を生み出したフォスターの生涯について、エピソードを交えつつ解説します。

スティーブン・フォスターの生涯について


日本でも人気の高いフォスター。その肖像は音楽室にも飾られていることが多いため、1度は見たことがある方も多いのではないでしょうか。
しかし、彼の生涯については意外に知らない方も多いはずです。
以下ではフォスターの生涯について解説します。

裕福な家庭に生まれる

スティーブン・フォスターは1826年、ペンシルバニア州ピッツバーグ近郊の街、ローレンスヴィルに生まれました。スコットランド系の祖父にルーツを持ち、幼少の頃は裕福な家庭に育ちます。また父はヴァイオリンを嗜み、母も教養ある人物だったため、フォスターは幼い頃から音楽に関心を示しました。

実際、フォスターは幼少期から優れた音楽的才能を発揮し、7歳で横笛を、9歳からギターを独学で学び始めます。これには周囲も驚きをみせましたが、フォスターはさらにクラリネットやフルートまでも習得。15歳の頃には、自作の作品を学校の卒業式で披露するまでに成長しました。

さまざまな楽器の才能を発揮したフォスターですが、勉学も優秀だったようで、ラテン語やギリシャ語、古典文学や数学でも優秀な成績を収めます。

またこの頃から歌曲の作曲にも取り組んでおり、1844年には最初の歌曲『窓を開け、恋人よ』が出版されています。

その後、20歳の頃から本格的な作曲の勉強を開始したフォスターは、モーツァルトやベートヴェンといった古典派の音楽を夢中になって研究したそうです。

流行作曲家として

1845年にピッツバーグで発生した大火災をきっかけに、翌年からオハイオ州に移住したフォスター。兄が経営する海運会社で会計係を務めるかたわら、代表曲を次々と発表します。そんな彼に大きな影響を与えたのが、就業中に聴いた黒人音楽などの労働歌でした。代表曲『おおスザンナ』が作曲されたのもこの頃で、黒人霊歌のエッセンスが含まれた本作は大ヒットを記録します。

『おおスザンナ』のヒットにより、流行作曲家となったフォスター。その後も『ケンタッキーの我が家』、『主人は冷たい土の中に』、『草競馬』などの作品で人気を博し、私生活ではジェーン・マクダウェルと結婚するなど、順風満帆な生活を送ります。

さらなる成功を求めてニューヨークへ

1853年、さらなる成功を求めたフォスターは、ニューヨークへの進出を試みます。
そしてファース・ポンド社と専属契約を結んだのち、『金髪のジェニー』で一定の人気を獲得。妻と子供もニューヨークに移り住み、成功の道を歩み始めるかに思われましたが、翌年フォスターは妻子を残し、1人ピッツバーグに戻ってしまいます。

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妻子もフォスターの後を追いピッツバーグに戻ったものの、1856年、兄の死をきっかけにフォスターは金銭的窮地に立たされます。

起死回生の逆転劇を夢見たフォスター。再びニューヨークにて再起を賭けますが、作品は破格の安さで買い叩かれ、版権まで失うという事態に陥ります。ついには妻子にも愛想を尽かされ、孤独のうちに1864年、マンハッタンのホテルにてこの世を去りました。
享年37歳というあまりにも早すぎる死でした。

スティーブン・フォスターのエピソードは?

波乱万丈の人生を送ったフォスター。しかし彼の作品が、アメリカの一時代を築いたことは疑いの余地がありません。そんなフォスターのエピソードについて簡単に解説します。

ほとんど独学で習得

幼少の頃から類い稀な才能を発揮したフォスターは、ギターやクラリネット、フルートといった、さまざまな楽器の名手だったことでも知られています。
後年、多くのヒット曲を生み出したのは、幼少期から培われた楽器への感性によることは言うまでもありません。しかもフォスターは、これらの楽器をほぼ独学で習得しています。
もし彼がもう少し安定した時代に生きていれば、さらに多くの名作を残してくれたに違いありません。

作品は成功したものの・・・

『おおスザンナ』の成功をきっかけに、多くの名曲を残したフォスターですが、経済的困窮から抜け出せなかったことは彼の不幸だったかもしれません。また、上述のように頼りの兄がこの世を去ったことも、フォスターにとって痛手となりました。最終的には妻子とも疎遠になり、苦しい晩年を過ごしています。
明るく陽気な作品を残したフォスターですが、それは辛い心情の裏返しだったのかもしれません。

スティーブン・フォスターの死因について

フォスターの死因は洗面所で転倒した際に破損した、洗面台の破片による事故死と考えられています。しかしフォスターの死についてはさまざまな説が考えられており、一説には困窮を苦に自死したという説もあるようです。

まとめ

今回はスティーブン・フォスターの生涯について解説しました。彼が生み出した数々の名曲は、現代のアメリカ人にとっても心の故郷のような作品とも言えるでしょう。
フォスターが37歳という若さでこの世を去ったのは残念ではありますが、その親しみやすいメロディーは現代にもイキイキと受け継がれています。
あまり作品を聴いたことがない方も多いと思いますが、とても身近な作品を作曲していますので、この記事を機会にぜひフォスターの作品を聴いてみてください。「この曲も?」という発見があるかもしれませんよ。

>>スティーブン・フォスターの作品の特徴及び評価。おすすめ代表作6選

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