フーゴ・ヴォルフってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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19世紀末のオーストリアに生まれ、音楽の才能と苦悩に満ちた生涯を送ったフーゴ・ヴォルフ。若くして才能を開花させた一方で、生涯に渡り悩み、孤独と闘った彼の姿勢は、その音楽に深い色彩を与えています。作曲ジャンルは限られていたものの、その卓越したロマンティシズムは、ドイツリートにおいて新たな地平を切り開きました。
42歳という若さでこの世を去ったフーゴ・ヴォルフはどのような生涯を送ったのでしょうか。この記事では、エピソードを交えつつその生涯を解説します。

フーゴ・ヴォルフの生涯

神童として人生の早くから才能を発揮したヴォルフ。しかしその人生は苦悩の連続でもありました。

オーストリアに生まれる

フーゴ・ヴォルフ(以下ヴォルフ)は1860年、オーストリアのシュタイアーマルク州に生まれました。皮細工職人だった父は音楽愛好家でもあり、ヴォルフは4歳の頃から父からヴァイオリンの手ほどきを受けます。幼少の頃から神童として知られたヴォルフですが、学問には興味も関心も示さず、良好な学校生活は送れなかったようです。

その後1875年、15歳でウィーンへ向かいウィーン音楽院に進学したものの、校長宛に脅迫文を送りつけ退学処分となっています。これにより音楽の道を断たれたかと思われたヴォルフですが、ウィーン宮廷歌劇場でのリヒャルト・ワーグナーとの出会いをきっかけに、独学で音楽を勉強し始めます。ワーグナーとの出会いはヴォルフの音楽家人生に決定打を与え、生涯にわたりヴォルフがワグネリアン(ワーグナー主義)を自称するきっかけにもなりました。

一方で、青年期時代のヴォルフの生活は極度の貧困状態に悩まされ、心身ともに不安定な状態でもあったようです。

作曲家として

そんなヴォルフですが、20代から世間に才能が認められ、ウィーンでは音楽教師も務めるまでに成長します。気性の激しさから教師には向いていなかったようですが、その音楽的才能やパトロンに恵まれ、一時的ではあったものの、安定した生活を送るまでに回復しました。

しかしそんな楽しみも束の間、ヴォルフの元にワーグナーの死の知らせが届きます。ワーグナーの死はヴォルフに深い悲しみを与えましたが、同時に作曲家としてのヴォルフに衝撃をもたらすものでもありました。ワーグナーの死の直後に作曲した歌曲「Zur Ruh, zur Ruh」(「静粛に」の意味)は、その死を悲しむ哀歌として作曲され、ヴォルフ初期の作品でも最高傑作とされています。

ワーグナーという憧れの人物を失ったヴォルフは、その喪失感により人生に絶望することが多くなり、作曲からも遠ざかることとなりました。

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早すぎる死

ヴォルフは生涯にわたり気分が安定せず、しばしばうつ傾向に悩まされたそうです。
そんなヴォルフですが、1888年から1889年にかけて多くの傑作を世に送りだし、ドイツリートを牽引する作曲家として再び注目を集め始めます。ヴォルフの代表作『メーリケ歌曲集』や『ゲーテ歌曲集』『スペイン歌曲集』などの傑作が生み出されたのもこの時期です。
これらの作品は、のちにフィッシャー・ディースカウなどの優れた歌手にも取り上げられ、現在でもヴォルフを代表する作品として評価されています。

その後1891年頃から身体的・精神的健康の悪化が顕著となったヴォルフは、1896年に『イタリア歌曲集』を、1897年に『ミケランジェロの詩による3つの歌曲』を完成させたのち、1903年に42歳でこの世を去りました。晩年のヴォルフは梅毒の影響により精神障害に悩まされ、湖で自殺未遂まで起こしたと言われています。詳しい死因はわかっていませんが、精神疾患による衰弱死と考えられています。

フーゴ・ヴォルフのエピソードについて

ヴォルフのエピソードを2つ紹介します。どうやら彼は、好き嫌いのはっきりした人物だったようです。

反骨精神のかたまり

気に入らないことは徹底的に拒否したフーゴ・ヴォルフ。そんな彼は、何度も学校を退学したことで知られています。音楽の才能には恵まれたものの、学校の勉強(とくにラテン語の授業)が気に入らず、必修科目を合格できずに退学。また別の学校では、ヴォルフの作品を「最低の音楽」と評した教授と喧嘩して退学。そして極めつきは、せっかく進学したウィーン音楽院で規則違反を起こしてまたも退学したことです。
進歩的な考えを持っていたといえば聞こえは良いですが、良くも悪くも反骨精神のかたまりのような人物だったようです。

辛口音楽評論家

作曲家とは別に、音楽評論家としても活動したヴォルフ。しかしその論評は辛辣(しんらつ)そのものだったそうで、当時の音楽界を片っ端から批判したと言われています。なかでもアントン・ルービンシュタインには手厳しく、その作品を生涯にわたり酷評したと言われています。その一方で、恩人であるリストシューベルトには共感を示し、深い愛情を示しています。そんなヴォルフは、その信念の激しさから「ワイルド・ウルフ」と呼ばれ、同時代の音楽家から恐れられていたそうです。

まとめ

今回はドイツ・ロマン派音楽の代表者の1人、フーゴ・ヴォルフの生涯を解説しました。
非凡な音楽の才能を発揮した彼ですが、晩年は辛く苦しいものでもあったようです。
しかし彼が生み出した歌曲は抒情味豊かで、安らぎに満ちたものでもあります。
これまでヴォルフの作品を聴いたことがない方も、この記事をきっかけに美しいドイツリートの世界を聴いてみてはいかがでしょうか。

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