マリア・カラスってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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感動と情熱のオペラのような生涯を生きたマリア・カラス。ギリシャ出身の彼女は、逆境を乗り越えオペラ界に革命をもたらしました。その類い稀な声質は、オペラの登場人物に新たな命を吹き込んだだけでなく、ベルカントオペラというジャンルに大きな変革をもたらしています。またカラスの登場によって、オペラにおける「狂乱の場」も物語に欠かせない一部となり、オペラの表現方法にまでその影響を及ぼしました。

そこで本記事では、彼女がどのようにしてオペラ史に不滅の足跡を刻んだかのかを、エピソードを交えつつ紹介します。

マリア・カラスの生涯について

波乱の人生を送ったマリア・カラス。天性の歌声を与えられた彼女は、オペラの歴史に新しい旋風を巻き起こしました。

ニューヨークに生まれる

マリア・カラスは1923年、アメリカのニューヨークにてギリシャ系移民の子として生まれました。父は薬局を開いていた商売人でしたが、決して裕福とはいえず、両親が別居後は母と妹とともにアテネに移住します。13歳から音楽教育を受けたマリア・カラスは、早くから類い稀な才能が認められ、その後はイタリアでキャリアを築きました。しかし時代は第2次世界大戦という戦時下であったため、貧しい生活を強いられていたと言います。

そんなマリア・カラスが初舞台を踏んだのは1938年の頃。アテネにてオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』が公演されたときでした。その後アテネ国立歌劇場で『トスカ』の主演を務めると、たちまち彼女の評判は広がり、世間から大きな注目を集め始めます。

センセーショナルなデビュー

1949年、バッティスタ・メネギーニと婚約したマリア・カラスはイタリア国籍を取得すると、世界的歌姫としてオペラの世界に新風を巻き起こします。1950年にはミラノ・スカラ座でヴェルディ作『アイーダ』を、1956年にはメトロポリタン歌劇場で『ノルマ』を演じると、どちらも大成功を収め、彼女の名声は一気に世界的なものへと高まったのでした。

マリア・カラスは数多くの役を演じたことでも知られていますが、その数なんと全43役。それに加えて34のアリアをレパートリーとしており、3オクターブという広い音域と柔らかい歌声により、彼女の歌声は世界中の人々を魅了しました。
なかでもヴェルディのオペラ『椿姫』におけるヴィオレッタは彼女のハマり役とされ、その後のオペラ界に大きな影響をもたらしています。

早すぎる死

世界一のソプラノ歌手として活躍した一方で、多くの男性と恋仲になり、スキャンダルの絶えなかったマリア・カラス。30代後半から歌唱力に衰えが見え始めると、オペラの舞台から一線を引き、リサイタルに力を注ぎます。1973年と1974年には来日も果たし、日本国内5箇所でリサイタルを行いました。そして日本でのリサイタルが生涯で最後の公演となり、3年後の1977年9月16日、フランスのパリの自宅にて53歳でこの世を去りました。死因は心臓発作と言われています。死後遺体は荼毘にふされ、遺灰は彼女の故郷ギリシャのスコルピオス島沖に散骨されています。

マリア・カラスの性格を物語るエピソードは?

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数あるエピソードの中から、今回は3つを紹介します。

絶頂期はわずか10年

稀代の歌姫として活躍したマリア・カラスですが、その絶頂はわずか10年程だったと言われています。その原因としては、ストレスや不摂生な生活スタイルなどが挙げられますが、一番の要因は、難しい役を歌い続け、声を酷使した点にあったようです。1960年代頃から徐々に高音域がうまく出せなくなったカラスは、舞台をオペラからリサイタルへ移行し、その後のキャリアを続けます。それは、どのような状態になっても美しい歌声を送り続けたいという、彼女の歌手としてのプライドだったのかもしれません。

減量のためにサナダムシを飲み込んだ?

心労とプレッシャーによるストレスが原因で肥満体型となったマリア・カラス。そんななか彼女は周囲の勧めもありダイエットに取り組みます。そして1935年から1954年にかけてダイエットした結果、約36キロものダイエットに成功し「舞台でもっとも美しい女性」と賞賛を集めます。

しかしあまりにも急速に痩せたため、ダイエット方法についてさまざまな憶測が飛び交ったそうです。なかには「サナダムシを飲み込んだ」という悪質な噂まで流れ、それについてカラスが訴訟する事態にまで発展しました。実際には野菜や鶏肉などの低カロリーな食事でダイエットしたそうですが、彼女がどれほど嫉妬に悩まされていたかがわかるエピソードですね。

謎の死

1977年9月16日、53歳という若さでこの世を去ったマリア・カラス。その死因は一般的に心臓発作とされています。しかしこれに異を唱えたのが、演出家で映画監督のフランコ・ゼフィレッリです。ゼフィレッリは彼女の遺産を横領したピアニストのヴァッソ・デヴェッツィによる毒殺説を唱えており、事実彼女の死には不可解な部分も多いようです。真実は分かりませんが、亡くなった年齢を考えると謎が残ることは間違いありません。

マリア・カラスの歌声

栄光の裏側にある言われなき嫉妬、そして捏造スキャンダルなど多くの心労を抱えていたマリア・カラス。残念ながらその歌声の絶頂はわずかな期間ではあったものの、彼女の存在そのものがオペラのあり方を変えたといっても過言ではないでしょう。
数ある名演の中から、今回はビゼー作『カルメン』の「ハバネラ」と、プッチーニ作『蝶々夫人』から「蝶々さんの死」をお聴きください。

まとめ

激動の時代に登場した歌姫マリア・カラス。53年という短い生涯ではあったものの、彼女の人生は、まさにオペラさながらの人生劇だったといえるかもしれません。それを示すかのように、21世紀に入ってからも『永遠のマリア・カラス』(2002年)、『マリア・カラス 最後の恋』(2007年)、『マリア・カラスの真実』(2007年)など、彼女の人生を題材とした映画が数多く制作され、その人気は現在も衰えることがありません。
普段あまり声楽作品を聴かない方も、この記事を機会に伝説の歌姫マリア・カラスの歌声に酔いしれてみてはいかがでしょうか。

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