シャルル=ヴァランタン・アルカンってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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シャルル=ヴァランタン・アルカン(以下アルカン)は19世紀を代表するフランスの作曲家、ピアニストです。おもにピアニストとして活躍したアルカンは、同時代のフランツ・リストと並び称されるほどの超絶技巧の持ち主として知られ、現在でも多くの演奏会プログラムに取り入れられています。幼少期から神童として頭角を表したアルカンですが、その人生は必ずしも平坦なものではなかったようです。そこで今回は、フランスが産んだ稀代の作曲家アルカンの生涯についてエピソードを交えながら解説します。

シャルル=ヴァランタン・アルカンの生涯

ピアノの魔術師フランツ・リストをして「自分が知る中で、誰よりも優れたピアノ技巧を持っている」と言わしめたアルカン。そんな天才アルカンはどのような人生を歩んだのでしょうか。

神童誕生

シャルル=ヴァランタン・アルカンは、1813年フランスのパリにて6人姉弟の2番目の子として生まれました。父はパリで音楽学校を経営しており、その影響により姉弟全員が音楽の道に進んでいます。まさに音楽一家に育ったアルカンは、姉弟の中でもずば抜けた才能を示し、早くから神童として周囲からの注目を集めました。そんなアルカンがパリ音楽院に入学したのは、なんと6歳の頃。試験でアルカンのピアノ演奏を目の当たりにした試験管も「この子は驚くべき能力を持っている」と驚嘆のコメントを残したそうです。

パリ音楽院入学後、アルカンはさらにその才能を開花させ、7歳にしてソルフェージュ部門1位。その後もピアノ、声楽、オルガンでも優秀な成績を収めています。14歳という若さで父が経営する音楽学校で教壇に立ち、パリのサロンではソリストとして出演する機会も増え始めます。

多くの文化人と交流

1837年、20代半ばになったアルカンはパリのオルレアン広場に住み始め、小説『三銃士』で知られるアレクサンドル・デュマやジョルジュ・サンド、そしてショパンなどと知り合い、ショパンとは音楽理論の話題で盛り上がるなど、文化的交流を深めていきます。また、社交界においてもアルカンの注目は高まり、その並外れたピアノの技巧からフランツ・リストやタールベルクのライバルとして人気を獲得しました。

しかし生来の孤独癖が災いしたのか、1839年から1843年にかけて忽然と表舞台から姿を消し、作品の発表も途絶えてしまいます。そんなアルカンが再び表舞台に登場したのは、1850年代になってからのこと。1851年から教会のオルガニストに就任し、作曲家としての活動を再開したのでした。

孤独な死

晩年のアルカンは「6つのクラシック音楽の小音楽会」の創設や、小さなコンサートを開くなど、細々とした音楽活動にとどまっています。長年友人として付き添ったフェルディナント・ヒラーとの親交も1882年以降に途絶え、1888年、完全に世間から忘れ去られた存在として、74歳でこの世を去りました。

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アルカンの死因については、倒れてきた本棚の下敷きになって死亡したと長年考えられてきました。しかし近年見つかった書簡によると、傘立てラックの下敷きとなり、その日のうちに亡くなったことが明らかとなっています。

アルカンの性格を物語るエピソードは?

アルカンのエピソードについて紹介します。卓越した音楽の才能により友人に恵まれたものの、内向的な性格が災いしたため、人を避ける傾向にあったようです。

後継者争いに敗れ、引きこもる

内向的なアルカンにとって大きな転機となったのは、パリ音楽院ピアノ科長の後継者争いに敗れたことでした。ピアノ科長の指名を目指したアルカンは、積極的にロビー活動も行い、次期科長任命に期待を寄せます。

しかし当時の音楽院学長だったオベールは、マルモンテルをピアノ科長に指名。マルモンテルはアルカンのかつての弟子だったため、ひどく落胆し、その後聴衆の前に現れることはほとんどなくなったそうです。1853年に2回の演奏会を開いたものの、落選以降25年間にわたり引きこもり生活を送ったと伝えられています。

人間嫌い

人生を重ねるのに比例するかのように、人間嫌いに陥ったアルカン。彼は友人に宛てた手紙の中で次のように書いています。

「私は日ごとに人間嫌い、女性嫌いになってきています・・・行動に移す価値のあること、良いこと、役に立つことなどなにもありません・・・私自身を捧げるに足る人物などいないのです」

なんとも悲観的な内容ですが、アルカンの厭世観がわかる文章ではないでしょうか。しかし一方では、ウィットに溢れ、快活で温かみのある人物であったとも伝えられています。
もしかしたら、本当はただ寂しかっただけなのかもしれません。

聖書の研究に没頭する

アルカンの風貌を見てみると、音楽家というよりは宗教者のような印象を受けます。実際、アルカンは聖書や旧約聖書の研究に没頭した時期があったようで、原文からフランス語への翻訳を完成させるほどの語学力と教養の持ち主でした。残念ながら彼が翻訳した新・旧約聖書は失われましたが、1つのことに猛烈に集中する性格の持ち主だったことがうかがえます。

まとめ

今回は作曲家、天才ピアニストのアルカンについて紹介しました。神童として早くから注目されたアルカンですが、孤独を好み思索的だったことから、フランツ・リストとは真逆の生涯を歩んだように思われます。彼の作品を聴く機会は少ないかもしれませんが、近年再び注目を集めており、新たな録音も登場し始めているようです。Youtube動画などで検索すると、さまざまな作品を目にできますので、アルカンの超絶的な作品に触れてみてはいかがでしょうか。

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