指揮者ロリン・マゼールってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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ロリン・マゼール(以下マゼール)という指揮者をご存じですか?。マゼールは20世紀初頭に生まれ、ヘルベルト・カラヤンやセルジュ・チェリビダッケなどの伝説的指揮者とともにクラシック音楽界に新風を巻き起こした人物です。純粋に「指揮者」という職業に焦点をあてれば、マゼールはまさに神童と言えるでしょう。また指揮者としての活動以外にも、ヴァイオリニスト、作曲家としても活動し多くのファンを魅了しました。

2014年、マゼールは惜しまれつつこの世を去りましたが、その人気は現在も衰えていません。そこで今回は、天才指揮者ロリン・マゼールの生涯を解説します。

ロリン・マゼールの生涯

天才指揮者マゼールはどのような生涯を送ったのでしょうか。
ここでは彼の人生について簡単に解説します。

神童として

ロリン・マゼールは1930年にフランスのパリで生まれましたが、一家がまもなくしてアメリカに移住したため、アメリカで生活を送ることになります。父のリンカーン・マゼールは歌手やピアノ教師をしており、わずかながら俳優業にも携わった才能溢れる人物でした。また母のマリーも音楽への理解が深く、ピッツバーグ・オーケストラの設立者の1人だったそうです。

そんな恵まれた環境に生まれたマゼールは、5歳からヴァイオリン、7歳から指揮の勉強を始めます。ヴァイオリニストとしても活躍したマゼールですが、とりわけ指揮の才能を発揮し、わずか8歳でニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、指揮者デビューとしました。

これには本当に驚愕しますが、天性の音感を持っていたマゼールは、その後もニューヨーク万博やNBC交響楽団を指揮し周囲を驚かせます。10代にしてすでにプロ指揮者として活動したマゼール。音楽関係の大学に進学するかと思いきや、なんと名門ピッツバーグ大学で数学や言語学、哲学を習得しています。マゼールは音楽の才能だけではなく、学問の才能も備えた人物だったようですね。

1960年、史上最年少の30歳という若さでバイロイト音楽祭にデビューすると、以降、世界的オーケストラとの共演が始まります。また、ヴァイオリンの腕前も一流だったため、彼の「弾き降り」が大きな話題となったのもこの頃からでした。

世界的オーケストラを歴任

バイロイト音楽祭でのデビュー後、ベルリン・ドイツ・オペラ、ペルリン放送交響楽団の音楽監督に就任。1970年代には、空席となっていたクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の座にも付き、30年に及ぶ関係が続くことになります。

クリーヴランド管弦楽団への着任当初は、マゼールのあまりに情熱的な音楽解釈に非難の声が上がったそうです。しかしその評価は徐々に改善し、1973年には5000人以上の観客を集める巨大プロジェクトを成功させ、マゼールの地位は揺るぎのないものとなりました。

その後、ベルリン・フィルハーモニーの音楽監督の座を逃す失意の時期があったものの、バイエルン放送交響楽団やピッツバーグ交響楽団などで音楽監督を務め、ヨーロッパ各国でも絶大な人気を誇りました。

21世紀からの活動と晩年

精力的な音楽活動を続けるかたわら、マゼールは環境問題や国連機関が主催するチャリティー・コンサートに取り組み、慈善活動も積極的に行うようになります。
もしかしたら、こうした活動は次の世代を育て、平和を願うマゼールの気持ちの現れだったのかもしれません。マゼールの慈善活動はフランスやドイツ、イタリアでも高く評価され、各国より最高クラスの勲章を授与されています。

2002年、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団団員からの強い希望により、音楽監督に就任したマゼール。その後6年間にわたり同交響楽団で指揮をし、2012年からミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となります。このときマゼール80歳。当初は3年の契約だったものの、体調悪化により1年で退任となり、2014年の7月31日に肺炎のためヴァージニア州の自宅にてこの世を去りました。享年84歳でした。

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ロリン・マゼールのエピソードは?

ロリン・マゼールのエピソードを紹介します。20世紀は指揮者の黄金時代であり、世界各国で優れた指揮者が登場しました。そのなかでも、マゼールは天才指揮者として多くの名演を残していますが、そんな彼にも大きな挫折があったようです。

8歳で指揮者デビュー

上述のように8歳の若さで指揮者デビューしたマゼール。ピアニストやヴァイオリニストならまだしも、指揮者としてのデビューは異例のことでした(現代でも)。名門ニューヨーク・フィルハーモニックを皮切りに、NBC交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団など、10代でアメリカの主要オーケストラのほぼ全てを指揮しました。

つまりわずか8歳や9歳の少年が、アルトゥーロ・トスカニーニやレオポルド・ストコフスキーなどの大指揮者に認められていたことになります。たしかに前代未聞の快挙ではありますが、指揮される楽団員の気持ちを考えると複雑な気もしますね。

天才の挫折

やがて成長したマゼールは、天才指揮者として世界的名声を獲得します。数々のオーケストラで常任指揮者に就任し、他の指揮者の追随を許さない活躍ぶりでしたが、そんな彼にも大きな挫折を味わったようです。

それは1980年代中頃のこと。それは帝王カラヤンがベルリン・フィルハーモニーの音楽監督を辞任し、主催者側が後任を探している時に起きました。当時のマゼールはすでにベルリン・フィルハーモニーと30年におよぶ関係を築いていたため、次期音楽監督には自分が指名されると考えており、聴衆にもそうした雰囲気が漂っていたそうです。

ところが蓋を開けてみると、音楽監督に選ばれたのはクラウディオ・アバド。これにはマゼールも落胆の色を隠せず、失意の底に沈みます。天才指揮者が生涯で経験したもっとも大きな挫折でした。

日本が大好き

日本でも根強い人気のマゼールですが、初来日は1963年、カール・ベームに同行したことがきっかけでした。演奏会では、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を日本で初めて演奏し、聴衆を大いに湧かせたと言います。

その他、東京交響楽団や日本フィルハーモニーとも共演し、初来日以降およそ30回にわたり来日公演を行っています。マゼールは日本がお気に入りだったようで、演奏会は亡くなる前年の2013年まで続けられました。

30回に及ぶ演奏家の中では、ベートーヴェンの交響曲が名演とされ、その演奏は現在でも伝説として語り継がれています。

ロリン・マゼールの指揮ぶり

8歳で指揮者デビューを果たしたマゼール。デビュー以来、世界のオーケストラの音楽監督を歴任し、歴史あるウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは歴代3位となる11回の指揮を務めました。

また指揮のレパートリーも豊富で、バロック音楽から現代音楽まで幅広いジャンルを指揮しています。こうしたレパートリーの広さは、若かりし頃にイタリアでバロック音楽を研究したことが土台となっているのかもしれません。

そこで今回は数ある名演の中から、2つの演奏を紹介します。
どちらも大迫力の演奏ですので、ぜひチェックしてみてください。

ロリン・マゼールの生涯まとめ

ロリン・マゼールについて解説しました。彼の人生を見てみると、まさに「指揮者になるために」生まれてきたことがわかりますね。クラシック音楽の歴史において、後にも先にも、マゼールほど早くデビューした指揮者はいないのではないでしょうか。

また、指揮者であると同時に高名なヴァイオリニストとしても活躍し、世界中のファンから愛されました。気難しそうな雰囲気ですが、実際の彼はユーモアに溢れ愛情深い人物だったと言います。

これまでマゼールの指揮を聴いたことがない方は、この記事を機会にぜひ彼の天才を味わってみてください。

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