ルイジ・ケルビーニってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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ルイジ・ケルビーニという作曲家をご存じですか?もしご存じであれば、かなりのクラシック音楽通かもしれません。ルイジ・ケルビーニは18世紀中期から19世紀前半にかけて活躍したイタリア出身の作曲家です。幼少の頃から神童として類い稀な音楽の才能を発揮し、主にオペラ作品で人気を博しました。その才能は楽聖ベートーヴェンも一目を置き、自身の作品に取り入れたことでも知られています。

そこで今回は、同時代の作曲家に多大な影響を及ぼしたルイジ・ケルビーニの生涯について、エピソードを交えつつ紹介します。

ルイジ・ケルビーニの生涯

イタリアに生まれ、フランスで活躍したルイジ・ケルビーニはどのような生涯を送ったのでしょうか。ベートヴェンが絶賛した才能は、幼少期の頃から開花したようです。

父から音楽の手ほどきを受ける

ルイジ・ケルビーニ(以下ケルビーニ)は、1760年、イタリアのフィレンツェに生まれました。一般にルイジ・ケルビーニの名で知られていますが、本名はマリア・ルイジ・カルロ・ゼノビオ・サルヴァトーレ・ケルビーニとのことです。
ケルビーニに最初に音楽の手ほどきをしたのは、当時チェンバロの巨匠として知られていた父バルトロメオでした。ケルビーニは、幼い頃から父も驚愕するほどの才能を発揮し、6歳にして「神童」として周囲を驚かせます。父のもとで対位法やオペラ様式を学んだケルビーニは、13歳の頃にはすでに宗教音楽を作曲するまでに成長したといいます。

その後、トスカーナ大公から奨学金を得たことをきっかけに、1778年から1780年にかけてボローニャとミラノで作曲を学んだケルビーニは、1783年、オペラ作曲家としてデビューを果たします。20代はオペラの作曲に没頭したケルビーニ。1785年にはイギリス・ロンドンにて2曲のオペラを作曲したほか、フランス・パリでは社交界に招待されるなど、着実にその名声を高めていきます。

そして1788年、パリへの移住を決意したケルビーニは、以降同地にて音楽活動を開始することとなりました。

ヨーロッパ各地で活躍

フランスへ移住した翌年の1789年。早くもテュイルリー宮殿の劇場監督に任命されたケルビーニ。ケルビーニは同劇場の音楽監督として、自身が望む自由な創作活動を模索します。この時期のケルビーニは無数のリブレット(台本)を読み込み、独創性と大胆さをオペラ作品に盛り込むようになりました。とくに1791年に発表したオペラ『ロドイスカ』は、その写実的作風により初演から大成功を収め、これをきっかけにオペラ作曲家としての地位を確立していきます。

さらにスイス・アルプスを舞台としたオペラ『エリサ』や、代表作『メデ(メデア)』など、優れた作品を次々と発表したケルビーニは、オペラ作曲家の巨匠としてヨーロッパ中にその名が知られるようになりました。
オペラの成功により不安定だった経済状態も安定し始め、1794年にアンヌ・セシル・トゥレットと結婚。3人の子供を授かっています。

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また1805年、ウィーンへ招聘(しょうへい)されたケルビーニは、現地でオペラ『ファニスカ』を作曲し、ベートーヴェンやハイドンがこれを絶賛したと伝えられています。
これ以降、ベートーヴェンはケルビーニに関心を寄せ、自身の作品のモチーフとしてケルビーニを手本にするほど熱心に作品を聴いたそうです。

宗教音楽への関心、そして晩年

オペラ作曲家として成功を収めたケルビーニですが、時代の流れもあり、次第にその人気は衰え始めます。そして自身の作品が評価されないことに失望したケルビーニは、やがてその関心をオペラから教会音楽へと移していったのでした。
60歳を過ぎた頃のケルビーニの作品には、7曲のミサ曲、2曲のレクイエムなどがありますが、とくにフランス国王ルイ16世の処刑を悼んで作曲した『レクイエム』は大きな反響を呼び、現在でもケルビーニの代表作として広く親しまれています。

また、1836年には自身の葬儀で演奏するために2曲目の『レクイエム』を作曲し、81歳でパリで亡くなった際には本作が演奏されました。オペラ作曲家としての地位は失ったものの、フランス政府から高く評価されたケルビーニは、レジオンドヌール勲章シュヴァリエの受賞やアカデミー・デ・ボザール会員に選出されるなど、名誉ある晩年をおくっています。
死因については、残念ながら詳しくはわかりませんでした。

ルイジ・ケルビーニの性格を物語るエピソード

成功と挫折を味わったケルビーニ。しかしそんな彼の周りにはいつも仲間たちが集まり、芸術に囲まれた日々を送っていました。

多くの芸術家に囲まれる

フランスの作曲家アドルフ・アダンが記すところによれば、ケルビーニの性格は「非常に穏やかな人物だった」とのこと。ケルビーニの周りにはいつも芸術家たちが集まり、とくにロッシーニショパン、そして画家アングルと親しかったと言われています。ケルビーニ本人もアマチュア画家として絵画をたしなむ人物だったようで、晩年のケルビーニは毎日のように彼らと芸術談義に花を咲かせていたそうです。
このことから、作曲家としてだけでなく、人格者としてのケルビーニの性格がうかがえます。

まとめ

今回はルイジ・ケルビーニの生涯について解説しました。日本ではあまり馴染みのない作曲家かもしれませんが、ベートーヴェンが賞賛し、参考にしたという点において、クラシック音楽史においてケルビーニは重要な位置を占めているといえるでしょう。
なかでも、彼が作曲した『レクイエム』はベートーヴェンのみならず、シューマンブラームスからも賞賛され、後世の音楽家たちに大きな影響を与えました。
これまでケルビーニについて知らなかった方も、この記事をきっかけに、ぜひ彼の作品に触れてみてはいかがでしょうか。

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