セルジュ・チェリビダッケってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、ベルリン・フィルやシチリア交響楽団などの世界的オーケストラで活躍した指揮者セルジュ・チェリビダッケ。その精緻で深い洞察に支えられた指揮ぶりは、20世紀のクラシック音楽家に大きな影響を与えました。ベルリン・フィル首席指揮者をめぐりカラヤンとの対決に敗れて以来、メディアへの出演は極端に少なくなったチェリビダッケですが、それこそが彼を「幻の指揮者」としての名声を高めるきっかけになりました。
そこで今回は、指揮者、教育者として音楽に生涯を捧げたセルジュ・チェリビダッケの生涯について紹介します。

セルジュ・チェリビダッケの生涯について

ルーマニアに生まれたチェリビダッケは、やがて世界的指揮者へと成長します。

伝統的な教育を受ける

セルジュ・チェリビダッケは1912年、ルーマニア将校でのちに県知事となった父デモステーネと母マリアとの間に生まれました。幼少の頃から音楽の才能を発揮したチェリビダッケですが、音楽以外にも数学や哲学を徹底的に学び、青年期をフランスのパリで過ごしています。
父デモステーネはチェリビダッケに対し、ルーマニアでの政治家としての道を望みましたが、父の意向は叶わず、1936年ベルリン音楽大学に進学。本格的に音楽の勉強を始めます。
しかしこの時期のチェリビダッケは将来像を決めかねており、27歳になるまでさまざまな道を模索していたそうです。

その証拠にベルリン音楽大学の他、フリードリヒ・ヴィルヘルム大学に進学したチェリビダッケは、同校の博士課程に進学。哲学や音楽学の勉強に没頭し、ジョスカン・デ・プレについての論文で博士号を取得しています。

指揮者として

1945年から1952年にかけてベルリン・フィルの首席指揮者を任されたチェリビダッケ。しかし当時の彼は、わずかに学生オーケストラで指揮したのみで、本格的な指揮の経験はほとんどありませんでした。しかしだからこそ彼は幅広いレパートリーを次々と開拓し、ベルリン・フィルに新風を巻き起こしていきます。その後フルトヴェングラーが亡くなり、次の首席指揮者に指名されると思いきや、指名されたのはカラヤン。これによりチェリビダッケはベルリン・フィルと決別し、ストックホルムやパリ、シュトゥットガルトといったヨーロッパ各地のオーケストラと共演し、世界的名声が高まります。

栄誉ある晩年

カラヤンとの対決には敗れたものの、チェリビダッケの音楽家人生は充実したものでした。
1970年にはデンマークのソニング賞を受賞。さらに1979年から1996年に亡くなるまでミュンヘン・フィルで音楽監督を務めた他、ドイツのマインツ大学やアメリカの名門音楽院であるカーティス音楽院で教鞭をとるなど、音楽教師としても活躍し、後進の育成にも大きな役割を果たしました。
また1977年の初来日以降、読売交響楽団との共演やロンドン交響楽団との来日など、たびたび日本を訪れファンを湧かせたそうです。なかでもブルックナー作品はチェリビダッケの代名詞とされ、公演時の定番となりました。指揮者、教育者、指導者として活躍したチェリビダッケですが、1996年8月14日、フランスパリにてこの世を去りました。享年84歳。詳しい死因はわかりませんでした。

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セルジュ・チェリビダッケの性格を物語るエピソードは?

世界的指揮者、教育者として活躍したチェリビダッケ。そんな彼には多くのエピソードが残されています。以下ではそのなかから3つのエピソードを紹介します。

毒舌をたしなめられる

チェリビダッケは他の指揮者に対して、しばしば辛辣な態度で周囲を困惑させていました。しかしある日、そんな彼の態度を見かねたカルロス・クライバーが今は亡きアルトゥーロ・トスカニーニからの手紙と題して、チェリビダッケにメッセージを送ります。
その内容は「ブルックナーは”あなたのテンポは全て間違っている”と言っています。天国でもカラヤンは人気者です」というものでした。このクライバーのユーモアに対してチェリビダッケがどのように反応したのかは定かではありませんが、彼が気難しい人物であったことがわかるエピソードです。

「超越的体験」の追求

チェリビダッケは生涯にわたり「超越的体験」を追求した音楽家でした。「超越的体験」とは、その瞬間に生まれる音楽に没頭すること。そして、音楽そのものを体験することにありました。これは禅の思想に影響を受けているそうですが、チェリビダッケにとっての音楽とは、ただ音を奏でるものではなく、音楽という大きな存在にひたることでもあったのかもしれません。
そのためチェリビダッケは音楽を「直接体験できない」としてレコーディングを極端に避け、コンサートでの演奏に集中したとも言われています。

カラヤンとの確執

1922年から1945年までベルリン・フィルの首席指揮者であったフルトヴェングラーは、ナチスとの関係により、その座から一時期追放されるに至ります。そしてフルトヴェングラーが不在の間、ベルリン・フィルの暫定的指揮者として指名されたのがチェリビダッケでした。その後フルトヴェングラーがこの世を去り、自分が正式に後任として指名されると考えていたチェリビダッケ。しかし次期首席指揮者に選ばれたのは、ヘルベルト・フォン・カラヤンでした。
この決定にチェリビダッケは激怒し「2度とこのオーケストラでは指揮しない」と誓ったと言われています。これ以降、カラヤンとチェリビダッケの間に大きな確執が生まれ、2人の大指揮者は別々の道を歩んだのでした。

セルジュ・チェリビダッケの演奏風景

演奏前の入念なリハーサルで知られていたチェリビダッケ。彼はどんな作品とも徹底的に向き合い、作品が持つ内面を追求したと言われています。なかでもブルックナーの作品においてその傾向が強く、スタンダードなテンポよりもかなり遅めに演奏したことでも有名です。作品によっては他の指揮者と15分も長さが違うことがあり、チェリビダッケの解釈の幅が垣間見られます。今回はチェリビダッケの代名詞とも言える、ブルックナーの交響曲をお聴きください。

まとめ

指揮者の巨匠セルジュ・チェリビダッケの生涯について解説しました。彼が紡ぐ音楽は荘厳にして重厚、哲学的で思慮深い印象を受けます。とくに、今回動画で紹介したブルックナーの演奏はチェリビダッケの本質がもっともよく表現された演奏と言えるでしょう。
その意味において、ライバルであったカラヤンの演奏と比較して聴いてみるのも、クラシック音楽の醍醐味かもしれません。多くの演奏を聴き比べながら、自分好みの演奏を発見してみてください。

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