シャルル・グノーってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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美しく、色彩感豊かなハーモニーで知られるシャルル・グノー。グノーはその生涯で10以上のオペラ作品を作曲したほか、バチカン市国の実質的な国家である『賛歌と教皇の行進曲』の作者としても知られています。また、優れたメロディーメーカーであったことから、祖国フランスでは「フランス近代歌曲の父」と称されており、カミーユ・サン=サーンスなどから絶大な支持を得ました。そんなシャルル。グノーはどのような人生を歩んだのでしょうか。今回は、エピソードを交えつつグノーの生涯を解説します。

シャルル・グノーの生涯

フランス近代音楽の礎を築いたシャルル・グノーはどのような生涯を送ったのでしょうか。
以下ではその足跡を簡単に紹介します。

シャルル・グノーの幼少期

シャルル・グノー(以下グノー)は1818年、父フランソワと母ヴィクトールの次男としてパリに生まれました。1818年というと、まだベートーヴェンシューベルトが健在であると同時に、古典派からロマン派への移行時期でもあります。
父フランソワは美術教師、母はピアニストであったため、グノーは芸術に囲まれた幼少期を送り、最初にピアノの手ほどきをしたのも母ヴィクトールでした。
またグノーは幼いころからオペラに強い関心を示し、一日中オペラ座で過ごすこともあったと言います。その後、1836年にパリ高等音楽院に進学したグノー。音楽院在学中にはエクトール・ベルリオーズと出会い、その作曲技法や管弦楽法に大きな影響を受けました。
音楽院在学中はロマン派や古典派の音楽に傾倒し、なかでもべートーヴェンの『交響曲第9番(合唱付き)』を聴いた際には、「私の音楽的情熱に新鮮な刺激を与えた」と後年述べています。

ローマ賞受賞

その後、作曲家の道を志したグノーは、フランスでもっとも権威あるローマ賞をカンタータ『フェルナン』で受賞。副賞として与えられた海外研修を通じて、作曲家としてのキャリアを大きく前進させるきっかけとなりました。研修期間中にはフェリックス・メンデルスゾーンとも出会っており、メンデルスゾーンが発した第一声が「君が姉から聞いた狂人か」という挨拶だったそうです。しかし、メンデルスゾーンは4日間にわたりグノーをもてなし、若い芸術家を大いに励ましたと伝えられています。

1843年、パリに帰郷したグノーは教会のチャペル・マスター(楽長)を経て1852年から1860年の8年間にわたり、当時パリで有数の合唱団だったパリ市立オルフェン合唱団の音楽監督に就任しました。合唱団には若き日のジョルジュ・ビゼーが在籍しており、グノーの指導に感銘を受けたビゼーは、生涯の師としてグノーを崇拝し続けたと言います。

1860年以降のグノーは、歌曲、宗教曲、オペラの作曲に意欲的に取り組み、20曲以上の宗教曲のほか、オペラ『ファウスト』や『ロメオとジュリエット』など優れた作品を作曲しました。とくに『ロメオとジュリエット』は発表当時、万国博覧会が開催されていたこともあり、ヨーロッパだけでなくアメリカやイギリスでも大成功を収め、グノーを代表する作品として国際的な地位を確立した作品でもあります。

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晩年

オペラの成功を機に、フランスを代表する作曲家となったグノー。晩年はオペラの作曲から距離を置き『イエスの聖体のミサ曲』や、オラトリオ『救済』といった宗教曲の作曲に取り組みます。また、音楽理論やエッセイの執筆に没頭し、残された書籍からグノーの音楽的思想や人生観を伺い知ることができます。
作曲家、エッセイスト、そして教会のオルガニストとして、晩年も精力的に活動したグノー。しかし1893年10月、地元の教会でオルガン演奏を行ったのち、自宅でレクイエムを作曲中に脳卒中で倒れ、3日後の10月18日に75歳でこの世を去りました。

同年10月27日、パリのマドレーヌ寺院にて国葬で葬儀が行われ、葬儀ではガブリエル・フォーレが指揮を担当し、多くのパリ市民が偉大な作曲家の死を悼みました。

シャルル・グノーのエピソードについて

グノーのエピソードについて、2つ紹介します。意外にも、グノーは印象派絵画を代表するある人物の先生でもあったようです。

アヴェ・マリアを作曲

グノーの代表作として、もっとも知られている作品が『アヴェ・マリア』です。本作はバッハの平均律クラヴィーア第1番の「プレリュード」にメロディをつけた作品であり、シューベルトやカッチーニの作品とともに「3大アヴェ・マリア」の1つに数えられています。

そんな名曲を世に送り出すきっかけとなったのが、義理の父ジンメルマンの「とても良い曲だね、世間に発表してみては」の一言だったそうです。グノー本人は即興の遊びのつもりで弾いていたようですが、1859年に初演が行われると瞬く間に大ヒットとなり今日に至ります。もしジンメルマンの何気ない一言がなければ、美しい「アヴェ・マリア」は生まれていなかったかもしれません。

印象派を代表する人物の音楽教師だった

グノーは作曲家であると同時に教育者でもありました。そんな彼がサン・トゥスタッシュ教会の楽長を務めていた頃のこと。聖歌隊に才能あふれる1人の若者が所属していました。グノーはその少年に声楽を教え、将来はオペラ歌手として活躍できるよう両親にオペラ座への入団も打診するほどでした。しかし少年はグノーの申し出を断り、絵画の道へ進みます。
その少年こそ、印象派を代表する人物の1人オーギュスト・ルノワールでした。
グノーはルノワールの才能をとても評価していたため、申し出を断られた際は大いに落胆したと言われています。

まとめ

今回はシャルル・グノーの生涯について解説しました。日本ではあまり知られていない作曲家かもしれませんが、祖国フランスでは現在も絶大な人気を誇る作曲家です。そんなグノーの作品は近年再び注目を集めており、2024年には新しい演出を施したオペラ『ロメオとジュリエット』の映画版が日本でも公開されます。シェイクスピアの代表作でもある本作の新演出は、クラシック音楽ファンにとって待ち遠しい限りです。グノーの作品を聴いたことがない方も、この記事をきっかけにぜひその美しい旋律に心を任せてみてはいかがでしょうか。

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