レナード・バーンスタインってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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20世紀のアメリカを代表する指揮者レナード・バーンスタイン。クラシックファンではなくとも、一度はその名を聞いたことがある人も多いと思います。世界的指揮者として活躍したバーンスタインは、ミュージカル「キャンディード」や「ウェストサイド・ストーリー」の音楽を担当した作曲家でもありました。指揮者、作曲家、ピアニスト、教育者として20世紀のクラシック音楽界に多大な貢献をしたバーンスタインとは、どのような人物だったのでしょうか。今回はエピソードを交えつつ、バーンスタインの生涯に迫ります。

バーンスタインの生涯

アメリカ生まれ、アメリカ育ちの音楽家として人気を博したレナード・バーンスタインは、どのような生涯を送ったのでしょうか。

幼少期から指揮者となるまで

レナード・バーンスタイン(以下バーンスタイン)は、1918年、アメリカマサチューセッツ州のローレンスに生まれました。父は理髪店を経営しており、音楽一家ではなかったものの、幼い頃のバーンスタインは蓄音機から流れる音楽が大好きだったそうです。そんなバーンスタインと音楽の出会いは、叔母の家に置かれたピアノを発見した10歳の時でした。

ピアノを発見したバーンスタインはたちまち音楽の才能を発揮し、ボストン・ラテン・スクールを卒業後、名門ハーバード大学の音楽専攻課程に進学します。ハーバード大学では作曲をウォルター・ピストンに学び、ハーバード卒業後に進学したカーティス音楽院では、フリッツ・ライナーから指揮法を学んでいます。

大指揮者のピンチヒッターとして指揮者デビュー

カーティス音楽院修了後の1943年、アルトゥール・ロジンスキーの指名でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に抜擢されたバーンスタインでしたが、抜擢されたその年に早くもチャンスが訪れます。20世紀初頭、世界的指揮者として活躍していたブルーノ・ワルターが体調不良で倒れ、そのピンチヒッターとしてバーンスタインに白羽の矢がたったのでした。その日のプログラムはシューマンの「マンフレッド序曲」やリヒャルトシュトラウス、ワーグナーの作品でしたが、これらを見事に指揮したバーンスタインは、一大センセーションを巻き起こし、衝撃的な指揮者デビューを果たします。

その後ニューヨーク・シティ交響楽団の音楽監督を3年間務めたバーンスタインは、指揮者・音楽家として経験を積み重ね、1958年、アメリカ人初となるニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任します。バーンスタインが音楽監督となったことにより、低迷していたニューヨークフィルの評判は回復し、黄金時代を築き上げます。

ニューヨークフィル引退後

11年間にわたりニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めたバーンスタインは、1969年に音楽監督を辞任し、辞任後はウィーン、イスラエル、バイエルン、ロンドンなど世界中の客員指揮者として指揮活動を始めます。音楽監督を辞任した大きな理由は「作曲に専念するため」だったと言われています。日本にも複数回来日しており、大阪万博では記念コンサートを開催しました。

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また、後進の育成にも積極的だったバーンスタインは、テレビ番組で音楽解説をしたり、国籍を問わず若い音楽家を受け入れるなど、クラシック音楽界の発展・啓蒙に大きく貢献しています。小澤征爾や佐渡裕、大植英次など、現代の日本を代表する指揮者も、バーンスタインの元で音楽を学んだ教え子たちです。

世界中で活躍し続けた晩年

世界各国で指揮者、ピアニスト、教育者として活躍したバーンスタインは、作曲活動も精力的に行いました。すでに「ウエストサイド・ストーリー」などで人気を博してたバーンスタインですが、1970年代からは「ミサ曲」、「ティヴェルティメント」、コラールを含むピアノ曲を手掛け、その内容も崇高な作風へと変わります。

1990年には国際音楽祭の一つである「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌」を設立し、後進の音楽家たちの育成に力を注ごうとしましたが、この年の8月に行われたタングルウッド音楽祭での指揮を最後に、1990年10月14日、肺癌のためこの世を去りました。享年72歳でした。

バーンスタインにまつわるエピソード

14歳からヘビースモーカー?

ヘビースモーカーで知られたバーンスタイン。14歳からタバコを吸い始めたらしく、1日に100本は吸っていたと言われています。それが原因で20代で肺気腫の兆候があると診断され、「タバコをやめなければ35歳で死ぬ」と宣告されましたが、結局禁煙はできなかったそうです。

噂されたカラヤンとの確執について

帝王カラヤンと人気を二分したバーンスタインですが、しばしば2人の間の確執が噂されました。しかし、当の2人はお互いの才能や仕事を心から尊敬しており、周囲が憶測するような確執などは一切なかったとのことです。それどころか、カラヤンは同じ指揮台を分けあう合同演奏会をバーンスタインに持ちかけ、バーンスタインはすぐに快諾するという間柄でした。合同演奏会が実現する前にカラヤンが亡くなったため、実現には至りませんでしたが、2人には強い友情があったことは間違いないでしょう。

まとめ

今回はバーンスタインの生涯についてご紹介しました。飽くまで個人的な意見となりますが、バーンスタインは20世紀最高の音楽家だと思っています。指揮者、ピアニストだったバーンスタインは、その温厚な人柄とユーモアで、多くの人から愛される偉大な音楽家でした。ミュージカル以外にも「交響曲」などの作品を残していますので、この記事を機会に、ぜひ聞いてみてはいかがでしょうか。

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