ピアニスト・アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

[amazon]Arturo Benedetti Michelangeli -Complete Recordings On Deutsche Grammophon

2020年に没後100周年を迎えたイタリアの鬼才アルトゥーロ・ミケランジェリ(以下ミケランジェリ)。彼の性格は一言でいえば「究極の完璧主義」。そして一切の妥協を許さないその音色は、聴く人を異次元の世界に誘い込むと言われるほどでした。鬼才といえば真っ先に思い起こされるのはグレン・グールですが、ミケランジェリもグールドに劣らない異彩を放つピアニストとして現在も多くのクラシックファンから愛されています。

ミケランジェリは、あまりの完璧主義により「コンサートキャンセルの常習犯」として批判を受けたものの、その一方で、後進の教育に熱心な教育者でもありました。
そこで今回は、ミケランジェリの生涯についてエピソードを盛りだくさんで解説します。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの生涯

鬼才ミケランジェリの生涯について簡単に紹介します。

生い立ち

ミケランジェリは1920年、イタリア北西部のブレーシャに生まれました。父は由緒ある伯爵で、弁護士や音楽家、作曲家の仕事をしていたそうです。父の影響により3歳でヴァイオリンを始めたミケランジェリは、のちにピアノに変更し、その類い稀な才能を開花させます。

わずか10歳でミラノ音楽院に入学し、1938年、18歳で出場したイサイ国際音楽祭では初見が苦手で苦戦したものの、7位入賞を果たします。この時のミケランジェリの演奏について、審査員を務めたアルトゥール・ルービンシュタインは、「不満足の演奏であったが、すでに非の打ち所がないテクニックだった」と賛辞を送りました。ちなみにこの時に優勝を勝ち取ったのはエミール・ギレリスです。

翌1939年に出場したジュネーヴ国際音楽コンクールでは見事グランプリを獲得。アルフレッド・コルトーから「フランツ・リストの再来」と称されると、ミケランジェリは大きな注目を集めるようになります。

世界的演奏家として

これによりピアニストとしての道を確かなものにしたミケランジェリは、第2次世界大戦における徴兵ののち、1948年にアメリカ・ツアーを敢行。同年11月にはカーネギー・ホールでのオーケストラ共演も果たし、大成功を収めました。以降、コンサートツアーの他、ヨーロッパ各地で教育活動を主催。「ミケランジェリ国際ピアノマスタークラス」を祖国イタリアで開催するなど、後進の育成に務めています。

気難しく、完璧主義だったミケランジェリですが、教育には熱心にその身を投じ、若き日のマウリツィオ・ポリーニやマルタ・アルゲリッチもミケランジェリの指導を受けています。

1965年には初来日し、日本のクラシック音楽ファンから熱烈な歓迎を受けています。しかし「キャンセル魔」として知られていたミケランジェリが、予定通りコンサートを開催したのは初来日の時のみ。1973年の2度目の来日には、予定通りに日程をこなすことなく、場合によっては中止となったコンサートもあったそうです。ミケランジェリらしいといえばらしいですが・・・。

ミケランジェリの晩年

1988年、コンサート中に腹部動脈瘤破裂を起こしたミケランジェリは、緊急搬送され、7時間に及ぶ大手術を受けます。この時は無事に回復し、演奏活動を再開したものの、手術から5年後の1993年5月、ドイツ・ハンブルクでの演奏会を最後に表舞台から姿を消すことになります。

そして1995年6月12日、スイスのカントン病院にてこの世を去りました。
世界的ピアニストの訃報は翌日に発表され、遺体はプーラの墓地で静かに眠っています。
享年78歳でした。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの性格を物語るエピソード

ミケランジェリほどエピソードのある人物はいないのではないかというくらい、豊富なエピソードが残されています。今回は数々のエピソードの中から、とくに印象的なエピソードを5つ紹介します。

怒って審査員を脱退する

1955年に開催された、第5回ショパン国際ピアノ・コンクールでの出来事。
コンクールの審査員として参加したミケランジェリの目は1人の若者に注がれました。

スポンサーリンク

大胆にして技巧美しく、誰よりも素晴らしい演奏をしたその青年の名は、若き日のウラディミール・アシュケナージ。

しかしミケランジェリの意見とは異なり、アシュケナージは第2位という結果に終わります。この結果を不服としたミケランジェリは審査結果にサインせず、コンクールからの脱退という事態に発展します。

気難しい印象を受けるミケランジェリですが、音楽に対しては、誰よりも真摯であることがわかるエピソードです。

ユーモアたっぷりな人柄

ミケランジェリは完璧主義で近寄りがたい人物だったそうですが、一方で、ユーモアあふれる人物だったといいます。とくに冗談が好きだったらしく、伝説的な自動車レース「ミッレミリア」に出場したと吹聴しては、妻のジュリアナを困らせていました。

妻ジュリアナはレースについての事実を否定した上で、「夫は話をつくるのが大好きだったんです。実際にそのような競技に参加したことはありません」と弁解しています。

異常な聴覚

どんな小さな音の変化にも気がついたミケランジェリ。その繊細さは超人的で、バチカン市国で開かれたコンサートでは、小さな声で鳴くコオロギの声が気になり植木鉢や花瓶を撤去させたという伝説も。

演奏中に気になるとは、どれほど耳が良いのでしょうか・・・。また、この事態を見た聴衆は当然あっけに取られたそうです。

こだわりが強すぎて人の言うことを聞かない

カーネギー・ホールで開かれた演奏会での出来事です。開演時間ギリギリまでリハーサルに集中したミケランジェリ。心配した専属調律師フランツ・モアがミケランジェリのもとに歩み寄り「マエストロ、調律のために30分だけ時間をください」と懇願します。
しかしミケランジェリは「練習しなくてはいけない」と答え、ピアノを弾き続けたそうです。もちろん調律は間に合わず、そのままの状態でコンサートに臨むと、翌日の新聞に「マエストロのピアノは音が狂っていた」と評されたとのこと。

ここまでくると、何にこだわっているのかわからなくなりますが、こうした所がミケランジェリの魅力なのかもしれません。

スピード狂だった

最後は短めに。ミケランジェリは音楽家の他に医師やパイロット、レーサーの肩書をもっていたそうです。なかでも愛して止まなかったのが車。フェラーリからメルセデスまで、さまざまな車種を楽しんだといいます。しかも恐ろしいほどのスピード狂で、街中でも180キロ出し、高速道路では260キロで走ったこともあったのだそう。

これについてミケランジェリは、「死と隣り合わせのスリルがたまらない」と語っています。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの演奏

天性の聴覚を持っていたミケランジェリ。その聴覚は、あらゆる音楽家よりも鋭敏であったと伝えられています。それが災いしたのか、完璧な音が出せない場合には、たとえどんなコンサートでもキャンセルしたため、いつしか「キャンセル魔」と呼ばれるようになりました。あるシーズンでは、演奏会が10回も行われないシーズンもあったそうです。

しかし一度コンサートが開かれると、彼を待ち望んだ聴衆が殺到しその演奏に酔いしれましたと言います。動画はミケランジェリによるショパンです。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのまとめ

ミケランジェリの生涯を紹介しました。エリック・サティやグレン・グールドなど、音楽家には個性的豊かな人物が登場しますが、間違いなくミケランジェリもその1人と言えるでしょう。同じくメディア嫌いで完璧主義の指揮者チェリビダッケでさえ、ミケランジェリの扱い方には細心の注意を払ったそうです。

一方、慈善活動や教育にはとても熱心だったミケランジェリは、教えを求めて来た生徒に無償で指導する、愛情深い一面も持ち合わせていました。
現在でもyoutubeなどでミケランジェリの卓越した演奏が気軽に見れますので、ぜひこの記事を機会に彼の完璧な演奏に酔いしれてみてはいかがでしょうか。

👉[amazon]アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのCDはこちら。

>>[amazon]クラシックのジャンル別話題作をチェック!

スポンサーリンク
関連記事
(Visited 494 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)