シャルル・ケクランってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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19世紀半ばに生まれ、20世紀前半に活躍したフランスの作曲家シャルル・ケクラン。あまり馴染みのない人物かもしれませんが、モーリス・ラヴェルとともにガブリエル・フォーレに師事したのち、作曲家、音楽教師として後進の音楽家の育成に尽力しました。また近年、ケクランが残した『やさしいピアノ作品集』が日本でも刊行されたため、徐々に日本での認知も高まっています。

では、シャルル・ケクランはどのような人生を歩んだのでしょうか。
今回はエピソードを交えながらケクランの生涯を解説します。

シャルル・ケクランの生涯

シャルル・ケクランの生涯を解説します。音楽家としては遅咲きの人物だったものの、音楽教師としてフランス音楽の発展に大きく寄与しました。

遅咲きの才能

シャルル・ケクランは1867年、フランスのパリで生まれました。母方の祖父はフランスでも有名な慈善活動家で、織物業で生計を立てていたそうです。幼少の頃から音楽に強い関心を抱いたケクランですが、家族が機械技師になることを望んだため、1887年に工科大学に入学し、機械工学を専攻しています。しかし、翌年に結核に罹ったケクランは、6ヶ月の療養生活を余儀なくされ、1年遅れで大学を卒業しました。

卒業後は機械技師として生きていくのかと思いきや、音楽への情熱を捨てられずにいたケクランは、1890年にパリ高等音楽院に入学し、音楽の道を志します。このとき、ケクランはすでに23歳でした。

周囲に遅れて音楽院に入学したケクランですが、1892年にジュール・マスネに作曲を師事。ついで1896年からは、モーリス・ラヴェルとともにガブリエル・フォーレに師事し、以降フォーレから厚い信頼を得ることとなります。

音楽教師として

パリ高等音楽院修了後、ケクランはフリーの音楽教師として活動を始め、1909年からは音楽批評を任されるなど、徐々にその名が広がっていきます。また、1910年には学友だったラヴェルらとともに「独立音楽協会」を旗揚げし、新しいフランス音楽の普及に深く関わるなど、進歩的・革新的な態度を貫きました。

その後、第1次世界大戦の影響により家計が傾きかけたものの、音楽教師として生計を立てたケクラン。ブリュッセルやランス、マルセイユでは音楽学校の試験管として一家を支えました。そして終戦後は4度にわたり講演と指導のためにアメリカを訪れ、1929年の訪問では、交響詩がハリウッド・ボウル作曲賞を受賞し、大きな話題となりました。

1935年から1939年にかけて、パリの音楽学校でフーガを教えることが許され、作曲家・音楽教師として、不動の地位を獲得しています。

晩年

大ヒットとなる作品を生み出せなかったケクランですが、オーケストレーションでは高い評価を受け、フランス音楽史において重要な作品をいくつも編曲しています。
後年、ケクランは自身の人生について「不運の只中での幸運の連続」と回想してたそうです。
そして自分らしい音楽を貫き、次の世代を育て続けたケクランは、1950年に83歳でこの世を去りました。

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長年にわたる功績により、フランス政府はケクランにレジオン・ドヌール勲章を授与しましたが、権威を嫌うケクランはこれを拒否したそうです。詳しい死因はわかっていません。

シャルル・ケクランにまつわるエピソードは?

ケクランに関するエピソードを見てみましょう。
音楽以外にもさまざまなジャンルに興味をもち、好奇心旺盛な人物だったようです。

多趣味なケクラン

同時代の作曲家のような、大きな成功には恵まれなかったケクラン。しかし、彼は音楽教師としての才能を発揮し、当時のフランス音楽界でなくてはならない存在だったと言われています。そんなケクランは、多趣味でも有名でした。音楽の他に、旅行や写真、政治思想にも強い関心を持ち、生涯にわたって急進的な思想を持っていたそうです。
また、一時期病に倒れたケクランは、体力作りのために登山や水泳、テニスといったスポーツにも熱心だったとのこと。音楽家というイメージとは少し離れた、アクティブな印象が伝わるエピソードです。

ドビュッシーからも信頼されるほどの才能

生涯で200曲以上を作曲したケクランは、オーケストレーションの天才でもありました。
そしてその才能はドビュッシーとの出会いをもたらします。ドビュッシーがバレエ曲『カンマ』を作曲していたときのこと。ピアノ譜は完成したものの、オーケストレーションになかなか踏み切れない状態でした。

これを見た楽譜出版社デュラン社は、編曲家として成果を挙げていたケクランにオーケストレーションを依頼します。ドビュッシーの作品にほとんど触れたことがなかったケクランでしたが、この仕事を見事完成させ、以来ドビュッシーと親交を重ねることとなりました。

フォーレに寵愛される

パリ高等音楽院入学後、フォーレに師事したケクランは、フォーレから大きな影響を受けたそうです。一方、フォーレもケクランの熱心さを気に入り、生涯にわたり2人は親交を深めました。フォーレの代表作『ペレアスとメリザンド』では、ケクランにオーケストレーションを託し、また「シシリエンヌ」はケクランによる編曲をそのまま採用しています。フランスを代表する大作曲家に認められるほど、ケクランは優れた音楽家だったことがうかがえます。

まとめ

今回はシャルル・ケクランの人生を紹介しました。自分から表に出ることが苦手としたケクランは、謙虚でありながらも仕事はきちんとする、いわば「職人」のような音楽家だったのかもしれません。その証拠に、師であるガブリエル・フォーレやドビュッシーから厚い信頼を獲得し、とくにドビュッシーからは作品のオーケストレーションを任されるほどの評価を得ていました。初めて聞いた方も多いと思いますが、この記事を機会にぜひシャルル・ケクランの名前を覚えておいてください!

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