出典:[amazon]佐渡裕 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 [Blu-ray]
日本での活躍はもちろん、海外での活動もパワフルに挑み続けている世界的指揮者、佐渡裕。
佐渡裕の情熱ある指揮とその音楽は、それを聴いた多くの人々の心をつかみ、愛され続けています。
今回は、そんな佐渡裕のプロフィールや、現在の活動、指揮者としての実力や評判などについてお伝えしていきます。
佐渡裕プロフィール
1961年5月13日、京都府京都市で生まれました。
音楽にたずさわる両親のもとで音に囲まれて育ち、小学生のころにはフルートを始めています。
京都市立京都堀川音楽高校(当時は京都市立堀川高校音楽科)に入りました。
その後、京都市立芸術大学の音楽学部に入学、フルート科を専修しています。
この大学在学中に、指揮者としての勉強や活動をおおきく精力的にひろげました。
京都市内の中学や高校のブラスバンドや、アマチュアオーケストラなど、多くの団体やステージでの指揮を取り、名を上げていきます。
1987年にはタングルウッド音楽祭オーディションに参加し、世界的に有名な指揮者である故・バーンスタインや小澤征爾に師事しました。
この2人のサポートを受けてウィーンに渡り、おもな活動拠点をそちらに移しました。
バーンスタインのアシスタントなど行いながら、1989年には登竜門として知られる、ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝を果たします。
そこからプロの指揮者としての活動がいよいよ始まっていき、世界中の注目を集め続けていきます。
特にヨーロッパでの注目や活躍はめざましいものとなり、実にさまざまなオーケストラや吹奏楽団、オペラの指揮、また音楽監督としての就任など、活動の幅も多様にひろがりました。
1995年には第1回目のレナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクールで優勝し、「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号授与という栄光を、その手につかんでいます。
2002年からは日本にて、兵庫県芸術文化センターの芸術音楽監督に就任しました。
阪神淡路大震災の復興のシンボルとなる場所づくり、そして、音楽を通じた地域復興を手がける活動を行っています。
また、このセンターを拠点にしている兵庫芸術文化センター管弦楽団などでの、若手音楽家を育成する動きにも力を注ぐようになりました。
日本国内では、そのほかにも1999年からスタートして毎年12月の恒例となった、「サントリー1万人の第九」の総監督と指揮を担当しています。
2002年からは、吹奏楽団シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者も務めています。
さらにもう一つ、2008年からはテレビ朝日の人気番組、「題名のない音楽会」の5代目司会者としての活動を7年ほど務めました。
このころから、テレビなどのメディアに出る機会も増えています。
そんな中でついに2011年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から招待を受け、定期公演で指揮を取りました。
ベルリンフィルの指揮者を務めた日本人は、小澤征爾に次ぐ二人目という快挙です。
そのような活動の成果などによって、クラシックファンのみならず、幅広い層の人々がその存在や才能を知るようになりました。
2015年に題名のない音楽会を降板したそのすぐあとには、オーストリアで長い歴史を誇っている、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の常任指揮者に就任しています。
そこからあらためて以前のように、指揮はもちろんのこと、音楽に直接たずさわることをメインとして、今現在も積極的な活動をつづけています。
なお、演奏会やテレビなどのメディア活動をしてきたほかにも、多くのCDの作品集や、「僕はいかにして指揮者になったのか」などの著書も多数出しています。
佐渡裕は結婚している?
1989年ごろ、ウィーンを拠点にした活動をはじめたころに一般の日本女性の方と結婚しましたが、1993年に離婚しています。
指揮者としての活動をさかんに広げようとしている時期だったため、理解ゆえの離婚となったそうです。
2010年ごろに、別の一般の日本人女性と再婚しました。
ウィーンなど海外での仕事のときは単身で渡っているため、日本での活動のときに共に過ごされているそうです。
現在まで、お相手の方は表舞台にほとんど出ておらず、情報もほとんどありません。
佐渡裕の現在の活動は?
現在は、
・ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団 主席指揮者、音楽監督
・兵庫芸術文化センター管弦楽団 芸術監督
・シエナ・ウインド・オーケストラ 主席指揮者
・京都市立京都堀川音楽高校 芸術顧問
を務めています。
日本とウィーンの両方に自宅を構えており、それぞれでの活動をメインにしています。
ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の常任指揮者に就任が決まったときは、題名のない音楽会には出演をつづけることが難しくなったため、降板しました。
ですがそのことにより、また改めてステージ上で指揮を振ることや、音楽に直接たずさわることをメインとし、今もストイックに活動し続けています。
直近の活動スケジュールでは、『佐渡裕/反田恭平with ジャパン・ナショナル・オーケストラ特別編成』、全10公演となるツアーが決定しています。
期間は2021年2月27日(土)〜3月14日(日)
全公演情報はこちらです。
佐渡裕/反田恭平 with ジャパン・ナショナル・オーケストラ 特別編成 チケット受付ページ – イープラス (eplus.jp)
活動はオフィシャルサイトからチェックできますので、確認してみてください。
音楽やそのパワフルな活動内容には、今後もますます目が離せません。
指揮者としての実力と評判は?
音楽に対する情熱を182cmの体全体をつかって表現し、はっきりと力強く伝えている指揮やその姿は、見る者・聴く者に迫力を感じさせ、圧倒的に魅了します。
おそらく、初めてクラシック音楽などを聴くような人にでも、分かりやすく伝わりやすい音楽になっています。
指揮者と奏者が一体になって作る音楽のストーリーやその臨場感、そして強い共鳴を呼ぶ動きは、佐渡裕だからこそ成しえる技です。
また、恩師であったバーンスタインに絶大な信頼と尊敬をよせており、バーンスタインに関する発言も多く聞かれました。
バーンスタインの代表作である「ウエストサイドストーリー」や「キャンディード」といった楽曲にも、おおきく情熱を注いでいます。
そしてバーンスタインの没後には、バーンスターンが15年行っていた「ヤング・ピープルズ・コンサート」という、子どもに音の楽しさを伝える活動を日本用に焼き直し、受けついで行っています。
このようなスタイルから日本国内のみでなく、世界中の楽団から指揮のオファーも多く寄せられ、さらにさまざまな活動にも挑んでいます。
活動がオーケストラだけではなくオペラや吹奏楽、現代音楽など多ジャンルにわたることでも、さらに定評を生んでいます。
そういったすべての実績や成果が認められ、日本人としては小澤征爾以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で指揮者を務めるという大きな快挙も成しとげました。
佐渡裕自身が、小学校の卒業文集に『ベルリンフィルの指揮者になる』と書いていたということですが、そのおおきな夢をしっかりと叶えたことも、実現力の高さが伺えるエピソードのひとつになっています。
また、このコロナ禍の昨今においても音楽で出来ることをつねづね探し、実現させる動きを積極的に行っています。
ソーシャルディスタンスを保った演奏会の実施、総勢120人での大編成でのオーケストラ作品に挑むなど、今も休まず努力しつづけています。
そういった力に引き寄せられるかのように、さまざまな国や地域に、関わる楽団や団体、アーティストやファンがたくさん存在しています。
そんな彼ですから、日本を代表する指揮者であることはもちろん、国内だけでなく海外でも活躍し、愛され続けているのです。
世界の音楽界で、大きな情熱のシンボルとして、今日も輝いています。
まとめ
大学在学中から、指揮の活動を活発に行ってウィーンに活動を拠点を移したあと、指揮者コンクール優勝などで名声をあげ活躍を続ける佐渡裕。
日本でも海外でも、音楽に対する情熱を、力強く伝える指揮やその姿は、見る者・聴く者を圧倒的に魅了します。
初めてクラシック音楽などを聴くような人にも、分かりやすく伝わりやすいのでおすすめでもあります。
結婚については、2010年に再婚し、今現在も共に過ごされています。
現在はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の主席指揮者などを務めながら、指揮はもちろん、音楽に直接たずさわることをメインに、今もストイックに活動し続けています。
バーンスタインの意思を受けつぐ活動や、オーケストラ以外にもオペラや吹奏楽、現代音楽など活動が多ジャンルにわたることでも、さらに定評を生んでいます。
情熱的なスタイルと、音楽性や完成度の高さなどから、日本国内のみでなく世界中の楽団から指揮のオファーも多く寄せられています。
関わる楽団や団体、アーティストやファンがたくさん存在しています。
さまざまな活動に積極的で情熱をもって挑みつづける姿とその音楽に、今後も注目していきましょう。
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