指揮者カール・ベームってどんな人?出身やその生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

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カール・ベームという指揮者をご存じですか?カール・ベームは19世紀末に生まれ、20世紀において絶大な影響をおよぼしたオーストリア出身の指揮者です。1917年にグラーツ市立歌劇場でのデビュー以降、さまざまな世界的オーケストラの音楽監督を歴任し、モーツァルトやワーグナーの演奏で人気を博しました。

また同時代の作曲家たちとの交流も深く、R・シュトラウスアルバン・ベルクとは生涯にわたり交流が続いたことでも知られています。

では20世紀を代表する彼はどのような人生を歩んだのでしょうか。
今回はエピソードを交えながら、カール・ベームの生涯を解説します。

カール・ベームの生涯


激動の20世紀を生き抜いた大指揮者はどのような人生を歩んだのでしょうか。
多くの才能ある音楽家との出会いが、ベームの人生を後押ししました。

生い立ち

カール・ベームは1894年、オーストリア第二の都市グラーツに生まれました。父は弁護士をしており、音楽関係の知り合いも多かったため、幼少期のベームの周りには音楽関係者が集まっていたと言います。

幼くしてピアノの才能を発揮したベームは、ヨハネス・ブラームスの友人で、音楽学者のディチェフスキから最初の手ほどきを受けます。ウィーン音楽院、グラーツ音楽院に進学し、ピアノと音楽理論を学んだベームですが「指揮の方が向いている」ことを自覚し、指揮の勉強に取り組みはじめました。

また法律家だった父の意向もあり、グラーツ大学で法律を学んだベームは最終的に法学博士の学位を授与されています。ロリン・マゼールと同じく、音楽に秀でている人は、学問の才能もあるのでしょうか・・・。

そんなベームに転機が訪れたのは1917年の事。すでにグラーツ市立歌劇場の指揮者としてデビューしていたベームの演奏を、指揮者カール・ムックが聴いたことから始まります。ベームの演奏に感銘を受けたムックは、大指揮者ブルーノ・ワルターにベームを紹介。その後ワルターの招きにより、バイエルン国立歌劇場の第4指揮者に就任します。

そこでのベームはワルターから多くのことを学びましたが、とくにモーツァルトの解釈については、のちのベームにとって大きな支えとなったようです。

その後、順調に指揮者としてのキャリアを積み上げたベームは、ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督に就任。新作オペラを多数上演し、好評を博しました。
なかでも、新ウィーン楽派のアルバン・ベルクとは公私ともに親交を深め、ベルク作品の普及に大きく貢献しています。

世界的指揮者として

1930年代から世界的にも知られるようになったベームは、1931年からハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934年からはドレスデン国立歌劇場総監督に就任するなど、ドイツ国内の主要歌劇場の大役を任されるに至ります。

そして1938年にザルツブルク音楽祭に出演したのち、1940年代にはウィーン国立歌劇場の総監督となるなど、ベームはクラシック音楽界にとって欠かせない存在として、世界的な活躍を見せます。

第2時世界大戦の影響により一時ベームの活動は制限されたものの、1954年には再びウィーン国立歌劇場総監督に指名され、再建された歌劇場で披露された『フィデリオ』は大成功を収めました。

1962年に初出演したバイロイト音楽祭では、ワーグナーの『トリストンとイゾルデ』で大喝采を浴び、「新バイロイト様式」と呼ばれる新しい演奏スタイルを打ち立てました。

晩年と死

指揮者として数々の業績を成し遂げたベームは、1967年にウィーン・フィルハーモニーから「名誉指揮者」の称号を受賞し、1974年には「ニキシュ=ベーム賞」が設立され、その栄誉が讃えられました。

その後も精力的に活動したベームですが、1981年8月14日、R・シュトラウスのオペラ『エレクトラ』リハーサル中に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。享年86歳でした。遺体は多くの音楽家たちが眠るグラーツのシュタインフェルト墓地に埋葬されています。

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ベームの訃報は瞬く間に世界中に伝わり、カラヤンやレヴァイン、アバドといった多くの音楽家たちが彼の死を悼み追悼演奏会を開きました。彼の荘厳でダイナミックな演奏スタイルは、現在のクラシックファンからも変わらずに愛され続けています。

カール・ベームにまつわるエピソードは?

23歳のデビュー以来、数多くの名演を残したカール・ベーム。彼が残した功績はあまりにも多く、カルロス・クライバーやジェームズ・レヴァインといった次世代の指揮者たちに大きな影響を与えています

以下では、カール・ベームにまつわるエピソードを3つ簡単に紹介します。

R・シュトラウスから芸術の遺言を受け取る

指揮者として多くの作曲家と関わったカール・ベーム。その中の一人に、後期ロマン派を代表する作曲家R・シュトラウスがいます。ベームがハンブルク国立歌劇場音楽監督時代に2人は出会い、以降、長きにわたり親交が続きました。
1944年に開かれたR・シュトラウス生誕80周年祭での記念公演において『ナクソス島のアリアドネ』の指揮を担当したのもカール・ベームです。

ベームはR・シュトラウス本人から遺言を託され、彼の死後、その教えを胸に音楽活動に尽力しました。

多くの勲章を受賞した

カール・ベームは長きにわたる功績により、オーストリア政府だけでなく、国外からも多くの栄誉を受賞しています。1人の音楽家として、これだけ多数の栄誉を受けた人物はベームただ1人といっても過言ではないでしょう。

そんなベームの主な受賞歴は以下の通りです。
・ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者
・ロンドン交響楽団桂冠指揮者
・ウィーン市、グラーツ市、およびザルツブルク市名誉市民
・ドイツ連邦功労十字勲章
・バイロイト黄金名誉指環
・バイエルン国立歌劇場名誉会員
・ベルリン・ドイツ・オペラ名誉会員
など。
第2次世界大戦後、政治上の問題で帰路に立たされたベームですが、彼の偉大な功績は多くの聴衆に希望をもたらしました。

日本との深い関係

日本でベームが紹介されたのは意外に古く、1930年代半ばには、その名前が知られていたそうです。そんなベームの名が日本で広く知れ渡ったのは戦後のこと。

1963年、日生劇場のこけら落としのために初来日した際には、ベートーヴェンやモーツァルトの作品を披露し、聴衆から大好評を得ています。また初来日には、若きロリン・マゼールも同行しており、これ以降マゼールとの関係も深まるようになりました。

1970年代には日本での人気が頂点に達し、演奏後にはファンに囲まれ身動きが取れないほどだったと言います。そうした日本での反応に感激したベームは、すぐさま再来日を決め、他の予定をキャンセルして日本に訪れました。もしかしたら、遠い日本で歓迎されることにベーム自身も感動したのかもしれませんね。

カール・ベームの演奏風景

上述したように、カール・ベームはモーツァルトやワーグナーの演奏に定評がありました。これはブルーノ・ワルターによる影響が大きく、ベーム本人もその影響を認めています。
そのような意味では、ベームの活躍の背後にはワルターの支えが欠かせなかったと言えるでしょう。
Beethoven: Symphony No. 7 /Karl Böhm Wph /Tokyo Live ベートーヴェン 交響曲第7番 ベーム ウィーンフィル 東京ライブ
また、ハイドンやベートーヴェンの名演も多く残している一方で、アルバン・ベルクといった同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げ絶賛されています。

そこで今回は数あるベームの名演の中から、モーツァルトの『レクイエム』とベートーヴェンの『交響曲第7番』を紹介します。迫力のあるサウンドながらも、無駄のないベームの「指揮ぶり」に注目して聴いてみてください。

カール・ベームの生涯まとめ

今回はカール・ベームの生涯について解説しました。彼の偉大な業績はもちろん、日本との関係も深かったことに驚かれた方もいるのではないでしょうか。また、ベームは後進の音楽家の育成にも尽力し、多くの優れた音楽家たちが彼の元から巣立ちました。
近年ではあまり聴かれる機会が少なくなりましたが、この記事を機会に、ぜひカール・ベームの荘厳な演奏に触れてみてはいかがでしょうか。

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